もう一人の自分(The other me)その29
戦いが終わり、朝が来る。
「じゃあ、行ってくるよ」
何事もなかったかのように屋敷を出て行く02の背中を、巫女が不安そうに見送る。
「レイジ、本当に大丈夫なのか?」
ほんの数時間前。倒れていた02を助けたのは彼女だった。
本当ならば、予め言われていた場所で待機しているはずだったのだが、嫌な予感を感じ、現場に向かったら力なく倒れている彼を発見。すぐに秀じいに電話を入れると、武藤の家に運び込まれた。
秀じいは、家に入るなり開口一番に「皐月、若の身体を見てくれ」と声を張る。
「あらら、……またひっどい有り様ね、若」と皐月はすぐに顔を見せると、担架に乗せられた02と共に屋敷の奥に消えた。
「…………」
そうして気付けば朝になっていた。
屋敷の庭へと視線を向ければ、たくさんの雀が集って、恐らくは虫を食べる為だろうか、地面を啄んでいる。
「はぁ、おれ役に立ってないよな」
巫女は、自分がどれだけ周囲に依存していたのかを痛感する。
“ディーヴァ事件“で零二に出会ったのが春先の事。そこから紆余曲折の末に一緒に暮らすようになって、日々を過ごしてきた。
武藤零二、という少年がWDなる組織に所属していて、様々な事件に関わっている事はすぐに分かった。お世辞にも自慢なんか出来ない、悪い事に手を染めているのも程なく本人に聞いた。
ある日、不意にこう言われた。
“オレのコトが怖くなったろ? ムリはしなくていいから、イヤならいつでも出ていけばいいぞ“
そんな事を言っていた事を思い出す。
今にして思えば武藤零二は常にそうだった。
少しでも距離を、近付こうとするとそうやって煙に巻くような物言いで牽制する。
(多分、ううん。おれが裏の世界に関わらないようにしてたんだ)
02、と名乗ったモノは最初に謝った。
“すまない。君を巻き込んだのは彼にとっては不本意だろうから“
結局、彼が何者であったのか、詳しく聞く事は時間が合わずに出来なかった。
(でも、いいや)
それが巫女の答えだった。02というのが武藤零二とは別のモノだというのは理解した。そして悪人ではない。それだけで充分だ、と思ったから。
(レイジが起きたら、色々言ってやるけどな)
何だかんだで、結局関わってしまったのだ。実際に何をしたのまでは知らないが、間違っても自慢出来るような行為ではないのは確かだろう。
「おれはもう、単なる妹分なんかじゃないんだから、な」
だから、言ってやろうと思った。
おれもお前の仲間なんだぞ、って。ぎゅ、と手を握って真っ直ぐに空を見据えた。
◆
「ふぅ、やっぱり回復してないな」
02は武藤の屋敷を出て、近くの無人駅に到着してからようやく小さく呟いた。
あれから数時間、寝たのはせいぜい二時間程。身体中がだるくて仕方ない。
(そろそろ、限界みたいだ)
到着したバスに迷わず乗り込み、座席を探す。乗客など殆どいない車内の後部座席に空きがあったので腰を落とすと、中央に座っていた男がわざわざ隣に場所を移し移して来た。そして02が不信感を抱いたのと同時に声をかけてきた。
「お前は誰なんだ?」
声を発したのは春日歩。WG九頭龍支部の支部長であり、武藤零二の兄。
「お前がアイツじゃないのはもう分かってる。誰なんだ?」
ぱさ、と座席の間に置かれたのは、無数の写真。ここ数日のモノらしいそれらの大半は昨日のモノらしい。
「WGの情報網を甘くみるんじゃないぜ」
田島や進士に云われるまでもなく、歩は武藤零二の監視を続けていた。
直接的な手出しの予定はない。自分の家族、弟だから、ではなく。あくまでもWG九頭龍支部の支部長としての指示で、この一ヶ月クリムゾンゼロの一挙手一投足を監視していたのだ。
そして、だからこそ、気付いた。
「お前、零二じゃないな」
昨日の武藤零二は明らかにおかしかった。それとなく話をしてみて、繁華街の住人達も驚く程に礼儀正しく、何処か他人行儀だと口を揃えていた。昨日いくつかのマイノリティ関連の事件にもその形跡が残っていて、証拠などは主に武藤の家が隠滅してしまったものの、微かに残った痕跡から見ても、いつものクリムゾンゼロの手口とは異なる点があったから。
その上で、こうして直に顔を見て確信した。
「答えろ」
殺意などは出さない。下手に戦闘に突入してしまったら、バスに被害が出てしまうのは確実。乗客は自分達以外は運転手とあと二人だけだが、それは避けねばならない。
被っていたフードを取って、目を細める。
その歩の追求に02は音を上げたのか、小さく息を吐くと、「そうか。やっぱり僕は彼には見えないんだな」と返事を返す。
「認めるんだな」
「ええ、僕は武藤零二とは別のモノ。でも、彼に近いモノです」
「そうか」
「……………………」
そこで会話は途切れ、奇妙な沈黙が場を支配した。
かれこれ数十分。バスの窓から見える景色は緑豊かなものより、街の中心部へと移り変わっていく。
02からすれば、これ以上の話は聞かれない限り口にするつもりはなく、歩からすれば、最低限の事実は確認出来たのでそれ以上聞くつもりはなかったからだ。
「聞かないんですね」
「ああ。お前が悪党ってなら、やるべき事をするだけだが、そういった話は生憎聞いていないんでな」
「僕は別に善人じゃないですよ」
「だろうな。俺にしろお前にせよ悪人じゃないにせよ、善人って訳もないだろうよ。
で、アイツはどうした?」
「彼でしたら、今は休んでいます。僕もそろそろ限界なので、間もなく入れ替わると思います」
「…………そうか」
それを最後に、歩はそれ以上の追求はしなかった。彼は元々京都での一件で、零二の中に他の誰かがいるであろう事を薄々感じていた。監視についても支部長になった事で人員を回せるようになったからこそ、調べておきたかった、というのが本音であり、そこからどうこうしようとは思っていなかった。
敵でなければそれでいい、そして02はそういう存在だと分かった。充分だった。
「また会えるか?」
「わかりません。もう出て来れないかも知れませんし」
「…………そうか。じゃあな」
歩は不意に席を立つと壁に備え付けられている降車ボタンを押す。
それから十秒足らずで停留所に到着したバスは停車する。
無言で立ち去ろうとする歩の背中に02が言葉をかけた。
「あの、ありがとうございます」
「……やっぱり似てないなお前ら」
振り返る事なく歩はバスから降り、ドアは閉まる。そうしてゆっくりとバスが加速していく。
「ったく、いい子ちゃんだよな。嫌味くらい言わせろよ」
小さくなっていくバスに向かって歩は呟いた。
「さってと、俺もお仕事に行かなきゃな、あー忙しい忙しい」
わざわざ二つ前で降りなきゃ良かった、という言葉を押さえ込み、WG九頭龍支部長は軽い足取りで歩き出した。