もう一人の自分(The other me)その23
「グ、アッッ」
倉庫内では小さな呻き声と殴打の音だけが、まるで競い合うかのように幾度も幾度も鳴り響く。
02には容赦がなかった。いや、ないのではなく、そもそも存在しない、という例えの方が正しい。
彼が白い箱庭で教わった事は、ただ人の殺し方と壊し方のみ。
如何に効率的に目的を遂行すべきか、それだけを教え込まれた。
拘束したトーチの指を躊躇なくへし折ったのを皮切りとして、殴打を開始。
淡々と、ただた拳を幾度も幾度も叩き付ける。
トーチは最初こそ痛みから呻き声をあげたが、いつの間にか黙り込んでいた。
彼はこう思い始めていた。こいつは、本当に人間なのか、と。
だからこそ、思わず言葉を発していた。
「やれよ。拷問でも何でもすればいい」
「…………」
「俺は別に仲間とか何とか義理だの人情だのには興味はない。だけどな、てめーにゃ何一つだって喋ってやるものか」
「…………」
「そうだ。その目だ。何もかも分かってますよって感じの嫌な目をしてやがる。俺はその目が気に食わねぇ」
「そうか」
「ああ、そうさ。俺はてめーが嫌いだ」
自分自身で言いながらよくもまぁ、ペラペラと言葉が紡がれるものだ、と内心感心していた。
トーチは、このまま何もせずに耐えるのを止めた。
リーダーが何もせずに手をこまねいているとは思わない。ああ見えて、リーダーは身内を守る所がある。だから、今だって何か手を打っていると思うから。
「どうした? 何か言い返さないのか、クソガキ」
挑発的な言葉を発し、相手の様子を窺って、確信を抱く。
(やはりこいつは、少なくとも今、俺を殺すつもりはない)
そもそも殺すつもりであれば、わざわざこんな場所まで運ぶ必要などない。ああして素手で暴行したのも、聞き出したい情報があるからこそ、だ。
殺してしまえば、情報を聞き出せない。少なくともその手段を持っていないからこそ、こんな事をしているのだ。
「おい、何か言えよ、黙ってないでよ」
だから、この状況は必ずしも絶体絶命ではない。窮地ではある。危険な状態には変わらない。されど死なないのであれば、殺される可能性が低いのであれば、まだいくらでもやりようはあるはずだ。
必死に頭を、知恵を巡らせ、生き延びる機会の到来を窺う。
02は目を細める。
「そうか。あくまでも何も喋らない、そういう事なんだね」
「だから、そういってんだろクソガキッ」
「そうか」
「──」
「ならいい」
02の言葉のトーンが変わり、トーチの背筋に寒気が走る。
「じゃあ、死ね」
まるで氷のような冷徹な声、そして目。拳を小さく握り締めた。
(おい、マジかコイツ)
トーチは02の様子の変化を受け、自らの選択が間違っていたのでは、と思った。
そして気付く。目の前の少年は淡々と冷静なのだとばかり思っていたが、そうではない。
今の今まで気付かなかったが、感情の起伏が目立ちにくいだけなのだと。
その証拠に握り締めた拳から、血が一筋流れて、ポタ、と地面に落ちている。爪が食い込んでいた為だった。
よく目を凝らせば、他にも気付ける部分はあった。
その眉間にはぴくぴくとした筋が浮かび、呼吸も微かに乱れている。
今の今まで殴られているだけで、痛みに耐えるだけで精一杯だったから見えなかったのだ。
激情を露わにしなかっただけで、目の前の相手は機械のようなモノではなく、感情を持ったモノなのだと。
そしてどういう訳だか身を小さく震わせており、怒り心頭なのだと今更ながらに理解した。
迫ってくる死の危険を察知し、トーチが問いかける。
「お、おい」
だが02に聞く耳などない。血を滴らせる拳を引き絞り──そして突き出そうとしたその時。
事態は叫び声により動いた。
「ウッガアアアアア」
バリバリ、という音を立てて、倉庫のシャッターが壊される。
「なっ、」
驚きの声を上げたのはトーチ。一人の男がシャッターを文字通りの意味で、身体毎突っ込んできたのだから当然だろう。
「ムトウレイジィィィッッッッ」
そう叫びながら、シャッターに突っ込んできた男はむくりと起き上がると、ふらふらと覚束ない足取りで02へ迫る。
「──」
一方、狙われる立場の02は突然の乱入者にも全く動じない。
冷静に怒りを出さずに、静かに客へ視線を向ける。
「ガアアアアアッッッ」
男は腰からナイフを引き抜くと、飛びかかる。
「…………」
02は無言のまま喉へと迫る凶器を一瞥。躊躇なく自ら前へ。ナイフを持った右手を内側より左手で押さえると、残った自身の右手を直線的に打ち込む。狙いは鼻柱。寸分違わずに直撃し「グ、アッッ」と小さな呻き声をあげ、男がよろめく。
02は「ふっ」と小さく息を切ると、男との間に生じた隙間を利用。上半身を地面と平行にまで倒し、腰を入れた蹴りを放つ。強烈な蹴りは男の胸部へ叩き付けられ、突き飛ばす。
そこに。
「ひゃっはあああ」
今度は壁をぶち抜いて別の男、誘拐業者の頭目が襲いかかる。
手には銃身をこれでもかとソードオフしたショットガン。
「しぃねぇぇぇぇ」
口から泡を噴きつつ、二連装式ショットガンから散弾をばらまく。
「──!」
直撃するかに見えた無数の小さな弾丸だが、目標には届かず、その目前にて落ちる。
「ひゃっはあああ」
頭目はショットガンを握り締め、鈍器として使用。大きく空を切るも、彼には通じない。至近距離とは言えど、大振りの横からの攻撃など問題外。左裏拳にて銃身を叩くや否や、突き刺すような右縦拳を顎へ。頭目は脳を大きく揺さぶられて崩れ落ちる。
「ひゃああ」
次いで姿を見せたのは三人の中で一番の小男。小柄の零二、もとい02よりも一回りは小さな男がダガーナイフを投擲。さらに予備のダガーを取り出して接近。
02がダガーを上半身を逸らして回避するのも想定通りなのか、小男は構わず二本目のダガーを投擲。今度は大腿部を狙っての攻撃。
「──」
だが02も相手の動きを読んでいた。ダガーの刃を右手刀で弾いて接近。左手を伸ばし、小男が三本目のダガーを抜くすんでのところで腕を掴むと、前へ引き寄せて姿勢を崩し、無防備となった足を刈り取るように払う。小男が受け身を取ろうにも、02が腕を掴んだままではままならない。さらに地面へと直撃の寸前に腕を引いてタイミングをずらす。小男は強かに背中、頭部を打ち付け、「グヴェ」と小さくか細く呻くと、口から泡を吹いて倒れる。
だが02は止まらない。
「シッ」
足をおもむろに引き上げるや否や、小男へと振り下ろす。小男は喉を、頸骨をへし折られ即死。一瞬全身をピクリと震わせてそのまま事切れる。
「ク、ヒャハ」
最初に襲いかかってきた男が再度飛びかかるが、そこまでだった。その手で掴みかかる前に左手で腕を叩き落とされ、直後に斜め軌道の右裏拳が顔面を直撃。カウンターで入った一撃は男の鼻柱を完全に粉砕。ごぼりと口と鼻から血を噴き出し、倒れる。そしてしばらく脈動した後にピクリとも動かなくなった。
「へ、へへへ」
「完全に動けなくなるはずだったけど」
いつの間にか頭目が起き上がっていた。
「おまえおまえだ。おまえをころせばぁぁぁぁ」
絶叫にも似た叫びをあげ、着用していた黒のタクティカルジャケットを脱ぎ捨てる。同時に無数のピンが引き抜かれる音。シャツの上に無数の手榴弾が巻き付けられていた。
「くたば、え、へ?」
困惑の言葉を吐いて頭目はその場で破裂。爆風は周囲を襲い、包み込む──はずなのだが。
「…………」
02は全くの無傷のまま立っている。平然とした顔で周囲を見回し、倒した敵の様子を確認。粉々になった頭目以外の二人を横目で見やり、呟いた。
「そうか。彼らは捨て駒か」
ついさっきまで拘束されていたはずのトーチの姿が忽然と消えていた。