格の違い
ハンマーが美影に一蹴される姿を彼らは見ていた。
正確には彼らは最初から”そもそも”工場を見ていた。彼らは少し離れた場所からそこで起きている出来事を、その一部始終を余すこと無く監視している。
彼らは戦いの為にいるのではない。単に依頼の為にいる。
今日幾つか指定された場所の”近辺”で起こるであろう、マイノリティ同士の激突を録画。それを持ち帰るという偵察任務を。ただ淡々と。
そして、それを無視した愚かな巨漢を、彼らは既に見捨てていた。
──標的は?
──見えてる。ハンマーの奴はまぁ、予想通りに失敗したぜぇ。
──で、クライアントからの指示はどうなの?
──待機だ。我々の役割はあくまでも……。
──分かってる。あのバカがどうなろうと問題ないぜぇ。てかあいつは足手まといだからいらないぜぇ。
──それより、準備は出来ているか?
──いつでもいけるわ、……必要とあれば、ね。
◆◆◆
「げはは、何をそんなに驚く? マイノリティがイレギュラーを使うのは当たり前の事だろうが」
ハンマーは表情を歪めながらも、くく、と笑う。
「だってよ、……折角の力だ。使ってやらなきゃそれこそ宝の持ち腐れだろ」
何を当然の事をいわせる、と巨漢は美影と零二を交互に見る。
対して美影は露骨に顔をしかめて言う。
「アンタと一緒にしないでくれるかしら」
はっきりとした侮蔑を込めた視線を敵に向ける。
「な! お高くとまりやがって。……あんたならどうだ? 知ってるぜ、WDの一員だろ?」
今度こそは、と零二を見る。
当の零二は、へっ、と笑いつつ肩を竦める。
「そうだな、確かにオレらは普通の連中とは違う。力を持ってるし、そいつがどンだけ強力なのかも知ってる」
「そうだろ……」
「だけどよ、それがどうかしたのかよ? ンな力があったからってソイツを使うのはテメェ自身だ。使いたきゃ使えばいい、……そンだけの事だろ」
くっだらねェ、と言いつつ零二は鼻を鳴らす。
「そうだろ、分かってるじゃ……」
「結局のトコはテメェのここの問題だ」
そう声をあげ、自分の心臓を親指で指す。
「だからよ、ねェさん。アンタは気に病むなよ。マイノリティだろうが何だろうがバケモンはバケモン、マトモなヤツはマトモなまま。単にそれだけじねェか。
そんな中でオレはバケモンになる事を選ンだ。でもよ、だからってあのアホみてェに弱いもンをオモチャにはしねェ。……力ってのは使うもンであって、使われるもンじゃねェからな」
「そこのバカに賛同するのはシャクだけどその通りよ、縁起さん。アタシ達はその力に責任を持たないといけない。強い力自体が悪いんじゃない。それを行使する側に責任があるの。そこにいるアホみたいに何も考えないヤツは単なる【フリーク】。あんなのとアタシは違うし、アナタもそうでしょ?」
零二と美影の言葉に縁起祀は顔をあげる。
彼らの言葉から感じたのは言い方の差異こそあれ、自身に対するプライド。それを抱く姿。
対してあの仲間達の仇である巨漢からは、プライドなど微塵も感じさせない。自分に責任も何も持ってはおらず、まるで他人事の様な言い草だ。
彼女の中で巨漢に対する怒りがこみ上げてくる。
(こんな奴に、こんなくだらない奴の楽しみの為に……皆は)
沸々とした怒りが再燃し始める。
目の前にいる最低の悪党に対して殺意が抑え切れそうもない。
「げはは、なぁ、武藤零二ぃ。おれとお前が協力すればこの女共など容易く殺せるぜ」
ハンマーは零二に媚びる様に、卑屈な声でそう話しかけた。
「…………」
零二は何も答えない。
「なぁ考えてみてくれよ。おれの雇い主もWDなんだぞ。ってことはだな、そもそも味方ってことになるだろ? だから、な」
「……………………」
零二は無言を通す。愚かな巨漢は零二がついさっき口にした言葉を聞いていなかったとでもいうのか、ベラベラとよく喋る。
その言葉の端々から、この巨漢は零二が味方をしてくれるモノだと思い込んでいる、とそう縁起祀は感じた。
(見えていないのか? この男は? 気付かないのか?)
零二の表情が変わって来ている事に。
いいや違う、その目には冷ややかな光が宿っている。
その両の手を強くぎゅっ、と握り締めている事に。
ゾッとする程に冷酷な表情。凄味すら感じる。
「もういい、……黙れクソ野郎」
紡がれた言葉は表情と同様に冷ややかだった。
饒舌に話を続けていた巨漢もようやく気付いた。勝手に味方になってくれる、と思い込んでいた相手の本心に。
「な、なんだよ。味方じゃねえのかよ」
怯えが襲ってきた。全身が震える。怖い、恐ろしい、逃げてしまいたい。今すぐにでも。
だのに、
足が動かない。完全に呑まれている。
恐らくは理性を失くした、この巨漢は本能で理解した。この少年がマイノリティとして、いや、生物として格上の存在である、と。
決して抗ってはいけない相手を完全に怒らせてしまったのだと、今、ようやく気が付いた。
◆◆◆
──ああ、もう駄目だなアレは。
──そうだぜぇ、さっさとやっちまおう。
──仕方がない。あいつに余計な事を話されても困る。
──あんな下っ端に何か話したのかい?
──まさか、そんなヘマはしないさ。
──なら、余計な事なんか知らねぇじゃないか。問題ないぜぇ。
──だが、あいつは我々の姿を見ている。このまま捕虜にでもされれば問題だ。
──じゃ、行くか。片付けよう。
そして三人組は動こうとした。自分達の不始末の為に。
だが。
ピピピピピ。
一本の電話がそれを遮ったのだった。
◆◆◆
「げはは、た、頼む。見逃してくれ」
ようやく状況を飲み込めたのか、ハンマーは今更ながらに命乞いを始めた。
無様に卑屈な目で。自分の周囲にいる三人に媚びる様に。
美影はその無様な様に怒りを抱く。
零二は侮蔑を込めた視線で睨む。
縁起祀はその全身をワナワナと震わせ、今にも殴りかかりそうな雰囲気を醸す。零二は彼女の肩に手を置くと、
「よせ、こんなカス。アンタが殺しちゃダメだ」
そう言った。
「そうね、怒るのはもっともだけど、ソイツを殺すのはアナタじゃないわ」
美影も同意したように零二とは反対の肩に手を置く。
縁起祀は思わず、うっ、と呻く。
その肩にかけられた手には強い力がこもっていて、彼女がその微笑とは裏腹に怒りを感じている事が嫌が応にも伝わる。
零二と美影は縁起祀の前にスッ、と進み出る。
「げひいっっっ」
ハンマーと名乗る巨漢に寒気が走った。
ゾッとする程に恐ろしい。
思えば彼はこうして自分が殺される、と思った事はこれ迄皆無であった。
他者よりも体格に恵まれた彼は、常に周囲の者よりも強かった。
周囲の者よりも頭一つ抜けた彼は見下ろす事はあっても、見下された事など無かった。
舐めた真似をしてきた連中にはその身をもって後悔させてやった。連中は最初こそ数を頼みに、調子づいた事をほざいていたが、どいつもこいつも最後には泣き言を叫ぶ。そんな情けない連中ばかりだった。そいつらを見下すのがたまらなく最高だった。
マイノリティになった時も、真っ先に思ったのはこれでもう自分を止められる奴なんかいなくなった、という優越感だった。
この力は最高だ。
凡人などはまるで紙切れの様に簡単に捻り潰せる。
今夜だって最高だった。
他の奴等は興味がないとか、言っていた。
だからこそ一人で堪能してやった。
いい準備運動になったし、これで後は同類を殺して金が入る訳だから本当に最高だった。
(な、なんだよ。なんで?)
巨漢には理解出来ない。強者のはずの自分が何故こうして見下ろされている理由が。
これ迄の人生で負けた事なんて無かったのだ。
だからこそ、……分からなかった。
今、自分が死に直面している事を受け入れる事が出来ない。
かといって彼自身は理解していたのだ。
今は何とも無いように思えるが、彼の全身が時折”熱い”理由を。あの微笑を称えた少女の気分次第で、また突然身体が炎上させられるかも知れない。
思わず全身が恐怖で震えた。さっきの苦痛が、あの身を焦がされる感覚がありありと甦る。
「や、やめろ、な、何でも話す。話すからっっっ」
そう、叫び声をあげる。
その時。
≪そうはいかない、余計な事を【喋るな】≫
その声はハンマーにだけ聞こえた。
その途端、呻き声を出そうにも何も音が、声が出せない。
更に声は聞こえる。
≪お前はここで死ね。邪魔者を二人ばかり【道連れ】に、な≫
その声が聞こえた瞬間。ハンマーは突如、立ち上がっていた。
歯を剥き、凶悪そのものの様相で残った手を、槌を巨大化。
みるみる内に自らの胴体に匹敵する程のソレを振るい、零二と美影へと襲いかかった。
巨漢はその見た目以上に素早く攻撃をした。
しかし、相手が悪かった。
零二は獰猛な笑みを浮かべ、その槌を左手で受け止める。
ミシミシッ、という音。地面にヒビが入る。常人であれば確実に潰れ、ひしゃげる程の重量と衝撃が零二の全身を襲う。
「で、こンだけか?」
野生の獣の様な雰囲気を纏った少年は口元を歪め叫ぶ。
「ドラミッッッッ」
「ったく、仕方ないわね」
美影は如何にも面倒そうに舌打ちを入れ、指を高らかに鳴らす。
「っらあああッッッ」
同時に零二も残った右拳を突き出す。白く淡く輝かせながら。
その指先から放たれた小さな火花が、輝く拳が巨漢に命中。
それ自体は何のダメージをも与えない。
しかし、
そのどちらが契機にしたのかは分からない、巨漢の全身で燻っていた種火が反応──激しく炎上し始めた。
「げはは……ウヒイッ!!」
悲鳴があがる。
美影の激怒の槍の残滓たる炎が、巨漢をアッサリと炭へと変えていく。
圧倒的な死を前にして、正気に戻った巨漢が最期に思ったのはただ一つ。
(あれ、おれは何で?)
なぜ、自分がこうなったのかについての疑問。
そうして、愚かかつ哀れな巨漢はこの世から焼失した。