もう一人の自分(The other me)その20
──君に頼みがある。
リーダーからそう任務を言い渡されたのは、昨晩の事。
話を聞いた最初は正直言って、冗談だろと言い返した。
何せ相手は事もあろうにWG九頭龍支部にいる。
九条羽鳥がいた頃はともかくも、元来自分達WDに関わる者にとっての一番の敵。
よそに比べれば、九頭龍ではまだそこまで激しく敵対している訳ではないが、それでもこの一ヶ月程で互いに衝突する回数は急増。男もまた、何度か仕事を妨害されそうにもなった。
見つかればただでは済まない。良くて身柄を確保、悪ければ始末されかねない。そんな敵の陣中深くに単独で潜入しろ、と言うのだから。
だが、リーダーは冷静だった。
──問題はない。少し準備すれば君は潜入可能だ。
そして実際、こうして警戒厳重な支部に潜入出来た。
──コーディネートは任せてくれ。
その通りに、男の顔は別人のそれになっていた。
見た事のない別人の顔は、WGの医療関係者との事。
──では次の段階だ。
そしてその顔の人物が住むマンションへ向かい、出勤前の駐車場で襲撃。制圧してそのまま運転させる。その場で本物を殺さなかったのは、最初のゲートを確実に通過する為。下手にマンションで殺した場合、万が一発見でもされればそれで潜入が不可能になりかねなかったから。死体の始末も男のイレギュラーなら可能なのだが、完璧ではない。
──無事に潜入出来たようだ。なら、後は…………。
「ああ、後は標的を始末するだけだ」
──成功を期待しているよ。
誰もいない病室で男はリーダーとの通信を終える。
既に相手の病室は確認した。後はそこで標的の息の根を止めさえすれば、脱出するのみ。逃走ルートは前もって打ち合わせ済み。病院にあるダストシュートから地下へ。そこからはリーダーが予め用意していたバイクで強行突破。
(ここからは一気に行く)
無人の病室を後にして、男はしっかりとした足取りで目的の部屋へと歩を進めていく。
ガラガラ、と勢いよく扉を開いて病室へ。
カーテンを剥ぐように荒々しく開くと、相手は眠っているらしい。
(よし、ならば──)
男が胸ポケットに入れた万年筆を手にする。そしてそれを一気に振り下ろす。狙うのは相手のこめかみ。それを突き刺して終わり。即死であればマイノリティでもリカバーは不可能。それに自身のイレギュラーを組み合わせれば、尚の事確実だ。
「死ねッッ」
万年筆は相棒のこめかみと思しき部位に突き刺さり、これであとはイレギュラーを使えば終わり、のはずなのだが。
「──ん?」
違和感を感じる。確かに突き刺したはずなのに、手応えが妙だった。本来なら、もっと頭蓋の硬さを手に感じるはずなのだが、柔らかい。まるで、これは──。
「な、っ」
かけ布団をめくり上げれば、そこにあったのは精巧に作られた人形。
では、標的は一体何処に──。
慌てる男に声がかけられる。
「そこまでだ」
「──!」
シャ、とカーテンが開く音がして、顔を振り向かせると、病室の別のベッドにいたのは田島だった。
「お前、誰だ?」
「誰って、ここがパーティー会場に見えるのか? WGの支部だぜ。だったら俺はあんたの敵に決まってんだろ」
そう言うや否や、先手必勝とばかりに田島は右手にククリナイフを発現。躊躇なく切りかかる。
「くそ、っ」
男はその一振りを身をかがめて回避。相手のがら空きの胸部へと万年筆を突き出す。
「う、おっ、と」
田島も身を後ろへと傾かせて躱すと、前のめりになった男の腹を蹴る。
「く、ぬ」
軽く呻いて距離を外す男は、これ以上ここで時間を使うのは無駄だと判断。迷わず逃げの一手として打ったのは。
「うわっ」
田島は思わず怯む。いきなり目の前に火柱が上がった。男の全身から炎が上がり、唸りをあげる。その火勢によって天井に備え付けられたスプリンクラーが反応。消火剤を部屋に撒き散らす。
視界が遮られ、相手はその隙に前へ、窓へと駆ける。
「く、っそ。待て」
ククリナイフを一閃するも、大きく空振り。さらに消火剤により滑りやすくなった床に足を取られて転倒。男が窓を割って飛び出していくのが見える。
「将ッッッ」
田島は念の為にと、窓からの逃走に備えていた相棒の名前を読んだ。
一方、進士は特殊病棟、つまりWG九頭龍支部のある建物とは対面する形の一般病棟の屋上。
ヘリポートにて様子を伺っていた。
「了解」
そのスコープ越しに見えるのは、病室がいきなり炎に包まれたのと、大量の消火剤と思しきモノの噴射。そして、間髪入れずに窓を割り、外へと身を投げ出す敵の姿。
「仕留める」
スナイパーライフルの銃口を相手へ向けるも、引き金は引かない。理由は簡単。自由落下している標的を狙撃するなどという神業的な芸当など自分には不可能だから。
(焦るな、狙うのはまだ先)
ふう、と小さく息を吐き、相手を視界に入れる。何せ自分は狙撃手ではないのだ。あくまでもサポート要員、出来る事など数える程しか出来ない。
なら、ば。その数少ない出来る事を確実にこなすのみだ。
「──く」
窓から飛び出した男が着地し、コンクリートの地面を融解させる。衝撃には耐えるも、動きが止まったその瞬間を、進士は待っていた。迷わずに引き金を引き、弾丸を放つ。
ターン、という音が聞こえた次の瞬間には、男の腕を弾丸が貫く。ボトリ、と落ちる腕を呆然と見て、「クソッタレ」と怒りを露わに炎を噴き上げる。
「まずい」
進士のアンサーテンゼアは数秒後に起こり得る可能性を提示。狙撃を中断すると、迷わずに身を隠す。同時に火の玉が狙撃場所を直撃、そこにいればどうなったのは明白だった。
「ふぅ、流石に仕留めるのは難しいな」
まるで他人事のような台詞を吐いていると、無線機越しに相棒から一言。
──似合わねえな、そういうの。
いつもならここで皮肉を返す所だが、今日はそんな気分ではない。
「ああ、そうだな」
素直に同意し、無線機越しの相棒を絶句させるのだった。
◆
「どうだ? 何か聞こえるかい」
02は静かに、だが明確に相手に訊ねる。
彼の目にも、WG九頭龍支部の一角で、火災らしきものが見えていた。
「……どうなった」
それは相手にではなく、この場にはいない協力者への投げかけ。返ってくるはずのない問いかけだった。
「…………」
疑義伸介への尋問の結果、判明したのは彼らが今夜狙うのがあの怒羅美影だという事。
依頼主が誰なのかまでは疑義は知らないらしく、実行者も不明。ただ夜になっての実行である事のみを聞いたのだそう。
(何だろう。こんなにもどかしい、というのか、……そんな感覚は初めてだ)
ふと武藤零二であればどう行動しただろうか、と考える。
武藤零二は、彼の目から見て単純明快な男だった。
自分よりも強い相手と相対して、生か死かのギリギリの瀬戸際を綱渡りのように切り抜ける様は、成る程、まるで創作物にでも出るキャラクターのようだった。
(だけど、僕は違う)
02は自分というモノが如何に空虚なモノなのだ、と感じていた。
(僕は何も思わず、ただ殺した)
空気を吸うように、水を飲むように、殺した。
(目の前でたくさんの、多分僕とそう変わらない子達を殺した)
日々のルーチンワークでもこなすように殺した。
(みんな、何を思っていたんだろうか)
あれだけ大勢をその手にかけたのに、誰の顔も思い出せない。いいや、覚えていない、と云うべきか。
(みんな、それぞれに人生があって、それぞれに生きていた)
なのに、殺した。
(何の躊躇もなく殺した。蟻でも踏み潰すみたいに)
その手を血で染める事もなく、ただ一方的に殺した。
(ああ、だからこそ、)
02は絶対に救いたかった。
彼にとって、初めての感情らしい感情を目覚めさせたあの日、あの時。
(そうだ僕は、救いたいんだ)
何を於いても、という言葉が口から出そうになり、穏やかな、されども何処か空虚な笑みを浮かべた時、巫女から音が飛んできた。
──レイジ。見つけたよ。
「分かった、すぐに行くよ」
02はそう言い終わるや否や、その表情を冷徹なものに変えていた。