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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 15
505/613

もう一人の自分(The other me)その17

 

「──ッッッ」

 疑義が腰からナイフを取り出す。

 こうなれば最早逃げる事は叶わない。顔も見られた以上、戦う以外の選択肢はない。

 距離にしてわずか三十センチ。至近距離、手を伸ばせば届く間合い。まさしくナイフの間合い。

(余裕のつもりかっ)

 武藤零二がその気であれば、ナイフを引き抜くよりも早く動けたはずだ。それを見逃したのは、自分の方が強いのだという慢心に他ならない。少なくとも疑義はそう思った。

「くたばれッッッ」

 突き出した銀色の刃が相手の胸部を抉るべく向かっていく。ここに至っても相手は動かない。ナイフの刃先がいよいよ胸部へと届かん、としたその時。

「──な」

 心臓へと届いたはずのナイフは何故か届かず。

「──ぷぎゃ」

 脳天を突き抜けるような衝撃が走り抜ける。

 何が起きたのか、薄れていく意識の中で目にしたのは。

 ナイフの軌道が逸らされ、自身の顎を縦拳が撃ち抜いている光景。

「な、な、……」

 小さく呻きながら、疑義は昏倒。その場にて崩れ去る。


「…………」

 02は特に何かをした訳ではない。これはイレギュラーではなく単純な技能による結果。

 ナイフの軌道を読み、その刃の到達を前にして右足の踵を浮かせて身体を後方に引く。すんでの所で届かないナイフを持つ手を左手で素早く叩き落とし、同時に右の縦拳を叩き込んだ結果だ。

 そもそも02は基本的にイレギュラーを用いる事を好まない。

 彼にとってのイレギュラーとは、他者を殺す為の手段でしかない。

 格闘技術もまた、殺す為の技能ではあるが、こちらは幾分か加減も利く。実際、今の相手は気絶しただけで済んだ。

「じゃあ、次は……」

 02は淡々とした様子で、スマホを取り出すと何処かへ連絡を入れた。それは、武藤零二であれば頼るのを逡巡するであろう相手だった。



 ◆◆◆



「う、ううっ」

 朦朧とした意識の中、疑義が目を覚まさば、そこは見覚えのない部屋。

「ここ、は?」

 周囲を見回すも、やはり見覚えはない。

 そこに声がかけられる。


「お目覚めですかな」

「……誰だあんた?」


 疑義に声をかけたのは、いわゆる燕尾服をまとった初老の老人。

 無論、彼に面識などない相手。老人は訝しげな視線に気付いたらしく、おだやかな笑みを浮かべると、

「ここはさるお方の個人的な倉庫の一つ。私めはそのお方の側用人を務める者です」

 と言うと、頭を下げる。一見何でもない所作の一つ一つは洗練されていて、疑義は思わず見とれてしまった。

「ま、待て。どうして俺はこんな所に……」

「はっは。お分かりいただけませぬか」

「当然だ。だって俺はさっきまで……」

 そこで思い出す。そう、確か自分はさっきまで寮にいた。武藤零二の足止めを引き受け、WGのメンバーや如何にもガラの悪そうな不良をぶつけ、失敗した。

 その後どういう訳なのか、逃げ出そうとした所を待ち受けられ、とっさにナイフを用いて攻撃を試みるも訳もわからぬままに倒された。そのはずだ。

「──武藤零二、あいつは……」

「ああ、これで」

「──うっ」

 杖の先端が疑義の喉へ突きつけられる。

「ようやく本題へと入れます」

「な、な、あんたは?」

 そこで疑義はようやく気付いた。目の前にいる執事姿の老人の目には一切の光がない事に。そして同時に静かだが底知れない殺意が滲んでいる事に。

「申し遅れましたが、私めは加藤秀二。武藤の家の使用人にして、次期当主零二の執事を務める者で御座います」

「あ、あ、」

 誰だったか、言っていた。武藤の家を敵に回すのだけは避けた方がいいのだと。

 どうしてだ、と別の誰かが訊ね、それで返ってきた答えはこうだった。

 “あの家の使用人はヤバイ“

 何がどうやばいのか、それについての回答はなかったので、今の今まで忘れていた。

 というより、武藤零二があの武藤家に連なる、それも次期当主という事を知り、今更ながら疑義の背筋は凍り付く。

「もっとも若ご自身は家を継ぐ意思がないのですが、しかし、それでもです」

 杖を更に押し付け、喉を圧迫して秀じぃは訊ねる。

「この度、私めを頼られた事は誠に感激。ですから、貴方には役割を果たしていただきたく存じます」

「く、ぐ、」

 疑義としてはそんな事情など知るか、と反発したい場面だが、杖に喉を圧迫され、呼吸すら困難な状況では何も言えない。

 すると疑義の顔色が青くなった事に気付いたのか、秀じぃは杖を引き、申し訳なさそうに頭を下げる。

「ああ、これはとんだ粗相をしてしまいましたな」

「かは、っ、はぁ、はぁ」

 ようやく酸素を巡らせる事が叶い、疑義は涙を浮かべて、存分に息を吸い始める。

 そんな彼の様子を老執事は見下ろした上で問う。

「さて、そろそろ宜しいでしょうか。貴方方は何者で、何を目しているのかを」

「は、話すと思うのか?」

「ええ、勿論話しますとも」

「ぼ、暴力で無理矢理、するのか」

 そう自分で言って疑義は思わず目を逸らす。目の前の老人なら、何の躊躇もなくやってのけるだろう、と確信したのだ。

 だが秀じいは笑顔を浮かべて否定する。

「いえいえ、それよりももっといい方法が」

 指をパチンと打ち鳴らす。

 すると、部屋の向こうからだろうか、ギシリとした椅子の軋んだような音がする。

「あらら、もう出番ですの?」

 そう言いつつ、姿を見せたのは皐月だった。

「────」

 疑義は思わず目を剥く。皐月の服装はさっきまでと同じなのだが、何よりも肉感的な体つき、艶のある声、その雰囲気の全てが魅力的だった。

「あ、あんたは?」

「私? 皐月よ、宜しくねボ・ウ・ヤ」

 ふぅ、と耳元で囁く声は扇情的であり、ゾクリとした震えを生じさせる。

(いい女だ。こんな女ならさぞかし、抱き心地も)

 ここまで秀じい相手に怯えていた疑義の表情に、僅かながらも余裕らしきものが生じていく。この状況ならば、彼には打てる手がある。

 まずは種まき。

「ボウヤか、……まぁいいけど。あんた美人だな」

「あら、分かっているけど嬉しいわね」

「ああ、そんじょそこらのガキとは違う、大人の女、って感じがするぜ」

「フフ、悪い気はしないわね」

 社交辞令めいた言葉の応酬だが、これでいい。

 疑義のイレギュラー、ルサンチマンは他人の感情を扇動する能力。例えば特定の相手に対する憎しみを植え付ける。その結果、扇動された相手は特定の相手へ向けて、アクションを行う、といった具合だ。

 ルサンチマンはあくまでも扇動、誘導する能力であり、直接的に操ったりは不可能。

 精神干渉系の能力としてはそれ程強力ではないのだが、それ故の強みもある。

 ルサンチマンは、疑義が不特定多数の相手へ向けて、自分が抱かせたい感情を想起させる言葉を繰り返し繰り返し送る能力。声にならないその声は脳内にて反響し、感情を狂わせ、思考をも狂わせる。射程はおよそ五百メートル。強力な精神干渉、洗脳能力ではないからこそ、離れていても効力を発揮するこのイレギュラーを疑義は気に入っていた。

 小遣い稼ぎ以外でも、使いようはある。

 例えば、能力の範囲を敢えて小さくし、不特定多数の相手ではなく、すぐ目の前の誰かにのみ訴えかける。すると疑義の言葉は範囲が大きい時よりも遥かに強力に効果を発揮。何せ普段は効力こそ小さいなれども、五百メートルもの範囲に影響を及ぼせるのを、たったの一点。目の前の一人にのみ働きかけるのだ。一発一発ならさほどの効果のないジャブだとしても一瞬で数百発叩き込まれればどうか。

 実際、この切り札を用いてこれまで散々楽しんできたのだ。

 自分の事を見下していたお高く止まったどこぞの令嬢やら、鼻っ柱だけは強いご婦人方がころりと自分の為に身も心も捧げる様は痛快だった。

(ああ、この女もいい肉付きだな。出来ればお楽しみしたいが)

 まずはこの女を使って、あのジジイを殺す。ただ者じゃないのは分かった。だが、身内相手ならどうだ。

(不意を付けばどうにでもなる、ああ、たまらねぇ)

 舌なめずりしたいのをこらえて、皐月がこちらに顔を寄せるように、椅子ごと大袈裟に倒れ込む。

(さぁ、こい、さぁこい)

 女が自分を引き起こすべく、身を乗り出す。

「ありがとう。()()()()()()()()()()

 直接、耳朶を刺激するように囁く。これで仕込みは完璧だ。あとは、一言口にすればそれだけでいい。

「【助けろ】」

 勝利を確信し、疑義はその表情を大きく歪めた。

 皐月はゆっくりとした動きで周囲を見回し、そして不意に動き出す。

(やった、勝った)

 してやったり、という笑みを浮かべた次の瞬間。

「…………へ?」

 疑義は何故か天井を眺めていた。


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