もう一人の自分(The other me)その13
(多分、レイジは私の知ってるレイジじゃない)
覚悟はあったし、していたはずだ。
だが。
「え、?」
零二、いや02を名乗る者の告白は、巫女を大きく揺さぶる。
彼女にはその名乗りは違和感しかなかった。
「な、なんなんだよ。それ……」
だって、それじゃ、という言葉が口をつきそうだった。隠そうとしてはいたが、その身体は震える。そんな巫女の内心を見抜いたかのように、02は言葉を続けた。
「僕は、君が慕う武藤零二とは別のモノ。でもね、同時に彼と同じモノでもある」
にこり、と穏やかな笑みを浮かべて、巫女の手を取り、囁くように優しく語りかける。
「本来なら、まともな存在とは程遠かった僕がこうしてここにいられるのは、武藤零二のおかげであり、また、彼を通じて様々な事も学べた。
だからね、心配しなくていい。僕は君の味方だよ」
その言葉は音から相手の心情を見抜く巫女の耳を以てしても、心から安心感を抱けるものであり、彼の言葉に一切の嘘偽りがない事をも指し示す。
「今はこうして表に出ているけど、大丈夫。武藤零二は程なく僕と入れ替わって出てくるからね」
「……はい」
巫女の中にあった不安は消え去る。その様子を見て取り、02は彼女に話を切り出した。
「巫女ちゃんにお願いがあるんだ」
「──」
「この学部周辺で、奇妙な音があればそれを教えて欲しい」
もとより巫女には協力しないという選択肢はない。
「わかった。おれ、私に出来るならやるよ」
二つ返事で応じた。
◆
(十分後)
「つまりは、俺達は揃いも揃って、誰かの差し金でクリムゾンゼロと敵対しちまったって訳?」
「ああ、残念ながらな」
「それで、向こうさんから、協力要請があって、俺達もそれを手伝う、と?」
「ああ、そうだ」
「それはいいんだが、……何でここに巫女ちゃんがいるんだ?」
進士から事情を聞き、何が起きたのかをおおよそ把握した田島は、当たり前のように自分達の傍らにいる少女に視線を向ける。
対する巫女は、その視線に気付くとぷい、と顔を背ける。その上で会心の一撃を放つ。
「やめてもらえる。バカが移りそう」
「ぐっは」
容赦の欠片もない言葉の刃を受け、田島が身悶えするのをよそに、進士は巫女へ話しかける。
「状況を整理しよう。敵は高等部を丸々巻き込む範囲に恐らくは精神に影響を及ばせる、これはまちがいないんだな?」
「そうだ。あんた達には聴こえないと思うけど、お、コホン。私の耳はずっと気分の悪くなりそうな音を聴き取ってる。多分これが誰かがあんた達を操った原因」
「それで、君は乗せられた僕達の精神を元に戻せるんだな」
「戻す、というよりは、吹き飛ばせる、といった方がいい。あのキモい音を打ち消せる声を出せば問題ない」
その言葉で田島は進士へと訊ねる。
「あ~、つまりは俺らを助けたのは、」
「ああ、そうだ。彼女が僕達の生命線だ」
「で、クリムゾン、……いや武藤零二は何処にいるんだ?」
「レイジなら、私が相手を見つけ出した時に備えてる」
「俺らはディフェンス、向こうがオフェンス、か」
「そういう事になる。僕達は彼女を守りつつ、守ってもらう立場という訳だ」
互いの立場とやるべき事を確認し、巫女に田島と進士は再度屋上にいた。
これは単純に遮蔽物が少ない方がより正確に音が聴こえるから、という彼女の提案を受けての事だが、同時に守り易さ、という観点からの選択でもある。
少なくとも出入り口は一つのみ。他の生徒はめったに寄り付かない。そして視界が開けている、という点も田島と進士には都合が良かった。
「とりあえず、支部長には連絡を入れたぞ」
「それで難色を示したか?」
「いんや。快諾してたよ」
「そうか」
「何だよ? 不満そうだな」
「別にそういう訳ではないが」
「お前も大概嘘付くのが下手だよな。顔に出ちまってるぞ、言いたい事があるって、な」
「────」
田島の追求に、進士は白旗を上げるしかなかった。
確かに単純な頭の良さなら、進士は田島よりも上だろう。
だが、一方で進士に足りない物を田島は持ち合わせている。
それは顔を突き合わせての駆け引き、腹の探り合い、だ。交渉力と言い換えてもいいだろう。これは単純な頭の良さのみならず、度胸なども必要な要素であり、田島はそういった点を評価され、一ヶ月前までは九頭龍に於けるギルドの責任者たるシュナイダーとの折衝役をしていた。今も田島から見れば、顔色とか関係なく、進士が何を考えているのかなどきっとお見通しなのだろう。
(もっとも、それでも神宮寺巫女と比べれば見劣りする部分があるんだがな)
巫女には如何に上手く表情や態度を取り繕っても無駄だという。確かに“音“に関わるイレギュラー持ちのマイノリティは精度の差こそあれど、総じて読心術に優れた者が多いと言う。
WGでもそういった点を考慮して、尋問官や諜報で活躍しているらしい。
(桜音次歌音、彼女もまた音に関係するイレギュラー持ちだったな)
そう思うと、クリムゾンゼロこと武藤零二の周りには音にまつわるマイノリティが二人もいる事になる。
(これは今更ながら、厄介極まる話だな)
今後の事など分からない。一寸先は闇だ。今は協力関係にあっても、明日には敵かも知れない。ましてやWGとWD、本来なら敵対関係にある組織なのだから。
(何せ彼らとは、いや、彼女達の前では虚偽など無意味なのだからな)
こうした考えもまた、巫女にはバレている可能性すらあるのだ。心を直接読むのではないから、正確に考えを読めるとは思えないが、それでも感情の揺れ動き、思考の方向性を常に把握されるというのは交渉の場ではとてつもないアドバンテージと成り得る。
(とは言え、そんな事を今考えても仕方がない)
結局、何が起きるのかを正確に知る術などない。
進士の“不確実なその先“は数秒後に起き得る可能性を彼に提示する。
傍目から見れば、進士のイレギュラーは予知能力にしか見えないのだろう。だがそれは大きな間違いだ。
進士に提示されるのは起こり得る可能性の羅列であり、それは一つではない。無数の可能性が進士の前に提示され、そこからどの可能性が一番起こり得るのかを判断するのはあくまで進士のみ。
一瞬にも満たない僅かな時間、瞬間にそれらを確認、検証し、選択する。
それがどれだけ担い手に強い負担を強いるのかを余人は知りようもない。
故に進士は、自身のイレギュラーを過信などしない。もしも提示された可能性の、選択を見誤ればそれによって致命的な結果を招くかも知れないから。
だからこそ、不確実なその先、という名を付けたのだ。決して己を過信するな、今は良くても一寸先は闇、思わぬ落とし穴が待ち受けているのかも知れないのだから。
「……それで、分かったか?」
田島は進士が何やら考え込んでいるのを見て、あえて相棒には声をかけずに巫女へと話しかける。
「ちょっと静かにして、…………うん。変な音を出してる奴がいるよ。すぐにレイジに伝えて。場所は──」
「りょーかい。だが、少しばかし問題発生だ」
「うん、そうだね。近付いてる」
「進士、銃を構えろ。お客様が来るぞ」
「──ああ、分かった」
巫女の耳は近付く足音を聴き取り、田島は念の為に仕掛けたカメラの映像により、ここに迫る複数の妨害者を察知するのだった。