もう一人の自分(The other me)その12
「う、ううっ」
田島は目を覚ますと同時に、ズキズキとした酷い頭痛に苛まれる。
「つう、う」
何があったのかが今一つ思い出せない。
まるで靄でもかかったかのように、記憶が曖昧でこの痛みもまた、自分以外の誰かが感じているものじゃないのか、とすら思える。
無論そんなはずもなく、田島はこの痛みは紛れもなく自分自身に降りかかる現実なのだとすぐに理解。焦点の合わない目で周囲を見回すと、近くには進士が壁に背中を預けている。
「よぉ、俺何かしちまったのか?」
「…………」
「ど、うにもミスったみたいだな」
「ああ」
「悪いな」
「気にするな」
「妙に優しいじゃないか。お前、どうかしたのか?」
「──!」
「ぶふっ」
まるで自覚のない相棒の言い草に流石に頭に来たのか、進士の拳骨が田島を直撃。
「なにしやがんだ馬鹿野郎」
「それは僕の台詞だ。全く、あろう事かクリムゾンゼロに見逃されたんだからな」
「そういや、監視はどうなった」
「残念ながら、中断だ。それどころじゃない」
「……そうか、まぁいいか」
「いや、いい訳ないだろ」
緊張感の欠片もない言葉の応酬を繰り返す内に、田島にせよ進士にせよ苦笑する他なかった。
(一つだけ言えるのは、あれが別人にせよ、こちらに敵対する意思はない、という事だな)
進士は、零二? を敵に回さずに済んだ事に内心感謝をしていた。
◆
同じ頃、高等部学舎にある自習室。
零二? は我が事ながら、「しかし、随分と簡単に鍵を貸してくれるものだな」と感心なのか呆れなのか、どっちだともとれる表情で、指にひっかけた鍵をクルクルと回す。
一方で「いや、多分それレイジが怖いから鍵渡したんじゃないの?」とこちらは明確に呆れた顔と言葉を吐くのは神宮寺巫女。
彼女は学部どころか、九頭龍学園に通っている訳ではないので、もしも教職員に見つかれば問題なのだが、それを零二? が「この子は以前から九頭龍学園に通いたい、と言っていて今日は見学したい、という事です」という出任せにより、今は見学許可証を首に下げている。
「とにかくだ、学部どころか学校自体違う訳だから本当はこんなの駄目なんだぞ」
「わかってるよ、ゴメンって」
「まぁ、おかげで助かったのだけれども」
「…………」
巫女は零二? をじっと見つめる。
どこからどう見ても間違いなく、そこにいるのは武藤零二だ。整形とか、変装だとかそういった類の小細工などない。
なのに、だ。
彼女には分かってしまう。目の前にいるのが、零二であってそうではない人物なのだと。
今朝方の時点では何となく、おかしいな、と位にしか思わなかったが、改めて聴こえる相手の鼓動は、そこにいるのが武藤零二とは異なる、されど姿は寸分違わぬ別人なのだと確信を抱かせる。
(これがもしも、歌音ちゃんなら、もっと上手くやったのかも知れないけど)
巫女の脳裏には零二の相棒役であり、最近は自分と友達でもある桜音次歌音の事が浮かぶ。
お互いに“音“に関わるイレギュラーを持っていて、年も同じ。そして共通の武藤零二がいる、という事から、いつからだったか気付けば巫女から歌音へと猛アタック。最初こそ素気なくかわし続けた歌音も、ついには根負け。今では毎日互いにSNSでやり取りする仲になっている。
(でも、おれはおれ。歌音ちゃんじゃない)
巫女は、自分が歌音のように状況に応じて柔軟に行動出来ない事を知っている。
音楽にこだわるのが何よりの証左だろう。
あの“ディーヴァ“の一件があった後、普通ならもう音楽に関わろうとは思わなくなってもおかしくないらしい。少なくとも、歌音は言った。
──巫女って凄いね。
何が凄いかは分からない。巫女にとって、音楽を、歌を止めるなんて事は考え付きもしなかったのだ。
そんな彼女の心を知ってか知らずか、歌音は続けて言う。
──私だったら、多分歌えないと思う。
それは多分、桜音次歌音という少女の本心だったと巫女は思う。
確かに、あの事件直後は怖いと思った。
歌には力がある。それは知っている。所謂名曲と呼ばれる歌には、生き方にすら影響を及ぼすものだってある。歌を聞いた事で人生が変わる。歌を歌う事で心に平穏を得る者もいる。
素晴らしい歌は、多くの人に、良くも悪くも多大なる変化を与える。
だが、巫女にとって歌とはそういうモノではない。
彼女にとって歌とは常に自分の間近にあったモノ。息をするように、気付けばそこにあったものであり、それを止める等有り得なかった。
(おれ、わたしは歌音ちゃんみたいには割り切れない)
巫女にとって桜音次歌音、という少女は何事につけても冷静で、決断力に優れた人物。スマートでカッコいい相手。羨ましいと思った事が一体何回あった事だろう。
(でも、それでいいんだ)
されど結局の所、神宮寺巫女は何処までいっても神宮寺巫女以外の何者でもない。
取り繕っても、すぐにボロが出る。そんなに器用ではない。
だから、彼女は訊ねる。
「それで結局、今のレイジはわたしの知ってるレイジなの?」
何の捻りもない直球。相手が否定すればそれだけで終わってしまうような稚拙な問いかけ。でも、それで充分。どの道、不器用な自分には腹芸などこなせる訳もない。
それよりも、相手の返事、発する鼓動などから判断すればいい。何よりも、この方が自分らしい、という思いから発した言葉だった。
零二? もまた、彼女の真意を受け取ったのだろう。聞き流す、或いは答えないという選択肢もあったはずだが、返事を返す。
それは、
「いいや違うよ」
予想通りであり、
「僕は、武藤零二とは異なるモノだ」
だが、衝撃的な告白だった。
「僕は、【02】と呼ばれた者の成れの果てだ」