生意気なガキと……
経済特区九頭龍の繁華街。
片町と云われた場所と浜町と呼ばれた二つの場所がいつしか一括りになったのはいつからだろうか?
片町が典型的な繁華街としての機能を持ち、浜町は足羽川沿いで料亭などがあり、歴史の息吹きとでもいうべき趣を感じさせる場所。この二つの場所が一つにされたのは、この地が経済特区となり、人口の急増に伴う混乱の中で街の胃袋を満たそうとして、慌ただしく決まった。
電車や道路で大きく寸断された二つの場所を繋ぐべく、地下道が整備され、巨大な陸橋も用意された。
その挙げ句には双方を繋ぐ為に二つのビルから空中回廊まで作られる始末。
矢継ぎ早に様々な支援が行われ、こうして半ば無理矢理に二つの場所が一つになり、今のこの繁華街の原型が出来上がった。
それから十数年。
この巨大な繁華街は双方から徐々に周辺へとその範囲を伸ばし、今に至っている。ここだけで人口が五万人もいるのだ。
そこから就労人口と往き来する客達を含めると軽く数十万人にも及ぶだろう。
一方は、桜並木を愛でながら、一時を優雅に過ごせる花街。
一方は、雑然とした喧騒の中で、一時の享楽に更ける飲み街。
この二つの正反対な雰囲気の漂う地区に、少年の寝ぐらはひっそりとあった。飲み街の裏通りにある店に。
「あーーあ、……ねみぃ」
少年、武藤零二が目を覚ましたのは、ハンモックの中。
途中で自分で揺らしたのか、緩やかに揺れながらカーテンの隙間から微かに入る陽射しで目を覚ました彼は、今が朝だと気付く。もうすぐ四月ではあったが、まだ朝は肌寒い。しかし、零二の格好はタンクトップにハーフパンツ。まるで真夏の様だ。炎熱系のイレギュラーを用いる者の多くはイレギュラーの影響で、体温が高いか低い。彼の場合は典型的な前者であり、常時四十度はあるのだ。だから、真夏でもそうそう汗もかかないし、冬の寒さもそうそう堪えない。
それだけならば、寧ろ良いことだらけなのだが……。
クギュルルル。
猛烈な空腹感に苛まれる。
ただし、零二の場合は”熱使い”としての弊害として、常人の十倍、一般的な炎熱使いの、三倍もの熱代謝が発生。結果として、いつも空腹に悩まされているのだった。だから、とにかくよく食べる必要がある。空腹はこの少年にとって命取りに成り兼ねない問題なのだ。
WDの一員である彼は世間的に見るなら良くて”過激派”。悪くいうなら、所謂テロ組織の一員である。
とは言え、敵対組織であり、世界の守護者を名乗るWGではあるが、世間にはマイノリティやイレギュラーについての情報の一切を公開してはいない。普通なら脅威に対する情報は知るべきなのにも関わらず、だ。
現在、世界中の政府機関も同様にマイノリティ達の情報は公開しないし、出来ないだろう。少なくとも今は無理だと考えているからだ。
もしも仮に今、彼らの存在を公表すればどうなるだろうか?
まず起こるのは”大混乱”だろう。
それも当然と言える。自分の隣人が人智を凌駕した能力を持っているかも知れないのだ。
その後で間違いなく起きるのは、冤罪による云わば”魔女狩り”。
疑わしいという理由だけで他者を疑い、嫉み、貶める。
今や、小さな情報でもネットに流れれば、あっという間に世界中へと拡散されるのだ。
無数にそういった情報の全てに対して、如何にWGや各国の諜報機関が優秀であっても全てを遮断する事は出来ない。結果として幾つかの情報は流出。情報を流された人物は仮に冤罪であっても怪物として認定され、世間から抹殺される。
もしも、そうした事態に反発したマイノリティが現れれば、事態は急激に悪化を辿る。その強力なイレギュラーにより、破壊がもたらされたら最早、起きるのは暴力の連鎖だろう。
そして行き着く先は戦争、誰が生き残っても疑心暗鬼に満ちた世界の誕生だろう。
WDには、マイノリティの存在を公開しようと目している勢力が存在する。
この組織のモットーは”自由”。その中には、世間に自分達を知らしめようとする自由もあり、それを許容する者がいる。
もっとも、未だにそれらの目論見が達せられないのは、WDが佳くも悪くも個々人の繋がりが希薄であるからだろう。決して一枚岩等ではなく、公開に反発する者と殺し合いにまで発展する事もあるのだ。
WDがそういう集団である以上、如何に個々が優れていようとも、組織として結束した集団と正面衝突すれば不利である事は明白だ。これがWDが、WGに対して決定的に優位に立てない理由だ。彼らは集団の、組織での結束を重視するのだから。
とは言え、零二には自分がWDの一員である意識は極めて低い。
彼は二年前に引き起こした事故の為、処分寸前だった。
とは言ってもその時の彼は、WDなんて組織の事など知る由もない、何故なら。
生まれて直ぐに研究の為に差し出され、そのままそこで生きてきただけなのだから。
WDの所有する幾つかの極秘実験施設の中でも、最重要だった施設を彼は自分のイレギュラーの暴走により、壊滅。数百もの研究員やマイノリティをこの世から消したのだ。その結果、とてつもない損益を出した人間は数多くいただろう、怒りが収まらない連中からすれば、零二の存在は決して許せないだろう。
研究施設を壊滅させた彼は、気を失った所を捕らえられた。そして、何処かは分からないものの、この真っ暗な狭い部屋に押し込まれたのだ。
もっとも零二自身は、どうでもよかった。殺しに来るなら来ればいい、それならそれで返り討ちにしてやればいい。で、ソイツらの頭を消せばいい、そう考えて静かに拘束されていた。いつでも動ける様に身構えながら。
真っ暗なその部屋には一切の明かりはない。カビ臭く、ジメジメとした湿った空気が漂う。逃走防止の為、窓もなく、ただそこにいるだけの時間が過ぎていく。
そうしてどの位の時間が経過したのか、ある日事態は動いた。
客人が面会に来たのだ。
「私の為にその力を振るいませんか?」
そう開口一番に問いかけたのが、九条羽鳥。彼女は、WD九頭龍支部の支部長と名乗った。
見たところ、年齢は二十代半ばから後半位だろうか?
彼女は不思議な雰囲気を纏っていた。
その服装こそ、如何にも有能そうな印象を与えるスーツ姿ではあった。しかし、それ以上に印象的だったのはその双眸。
一方で、何処まであるのか想像も出来ない様な深い深海のような得体の知れなさを。
もう一方では、まるで写真で見た様な、太陽の様な鮮やかさをも感じさせた。
その微笑みには、嘘と真実が含まれ、底が全く窺えない。
それは彼にとって初めて目にした本物の、人の姿をした”怪物”だった。
そう認識した瞬間に、全身にゾクリ、とした寒気が走った事を今でも鮮明に覚えている。
勝てるとか勝てないとかの問題では無い。
相手の余りの得体の知れなさに震えたのだ。
「さ、お返事を頂けますか?」
そう穏やかに語りかける美女の姿を取った怪物の前にして、少年は初めて戦っても決して勝てない相手がいる事を人生で初めて悟る。
「へっ、上等だぜ。……言っとくがよ、オレは簡単にゃ飼い慣らせないぜ」
そう答えるのが、彼なりの精一杯の強がりなのも相手にはお見通しなのだろう。
「その位の心構えがあれば問題ありません。上出来です」
穏やかな優しさを讃えた笑顔を……全てを見透かす様なそれを浮かべながら、淑女は手を差し出し、零二もその手を取った。
後で聞いた話だったが実はこの時、零二はまさに処分寸前だったそうだ。その為に”執行部隊”まで動員していたらしく、すんでの所で命拾いをしたという所だろう。
ケルベロスとは、WDの上層部直属の戦闘部隊。たった三人しかいないが、その戦闘力は優に一国の軍隊をも退ける。実際、過去にはとある南米やアフリカの紛争でその能力を遺憾なく発揮したそうだ。
兎に角、零二は九条に保護され、彼女が管轄する九頭龍へとやって来た。彼には実感は無かったが、ここは彼が産まれた街であり、故郷という事になるらしい。全く実感等なかったが。
正直言って、家族の事には興味が湧かなかった。
物心つく前には、既にあの研究施設、”白い箱庭”にいたのだ。
今更家族等と言われても実感もないし、そもそも自分が何者かさえ、知らないのだ。それに、彼にはまだ”名前”が無かったのだから。ただの検体02でしかなかったのだ、その時はまだ。
◆◆◆
「うーす、起きたか零二」
野太い声が耳に届く。
起きてからおよそ五分、二階から降りてきた零二に声をかけたのはこの寝ぐらの主であるバーのマスターだ。
ここは所謂、ダーツバー。零二はここで時折用心棒紛いの事をする代わりに二階の一室を寝ぐらとして使わせてもらっているのだ。
「ああ、ども」
まだ寝起きで目をシパシパさせつつ、まずは顔を洗うべく、カウンター奥の洗い場に足を運ぶ。
「わぷ、はあ」
相変わらず、冷たい水が顔にかかるのは苦手だった。
嫌な記憶を思い出すからだ。
研究施設では、冷たい水は彼には訓練の名を借りた”拷問”の小道具でしかなかった。
訓練という名目での拷問の初期、あの大男にやらされた。
少年は目を閉じて、耐えた。全ての水を沸騰させ、蒸発させるまで顔を無理矢理押し付けられたのだ。
無我夢中だった。いくらマイノリティとか言っても酸素がなければ死ぬのだ、少なくとも零二はそうだ。彼にとっては大量の水とは死の象徴とも言える。
この二年間で、少しずつ社会に適応出来るように教育を受けたので、今では風呂にも入れる。だが、幼少時に植え付けられた記憶やイメージはそうそう払拭出来る物でもない、苦手な物はやはり苦手だった。
「おう、目ぇ覚めたか?」
マスターはこれでも食え、とばかりにカウンターに皿一杯のサンドイッチにコーヒーを差し出す。
彼の名は”進藤明海”まるで女性みたいな名前だが、勿論男だ。
このマスターは肌が浅黒く、顔には無数の傷が付いている。
身長は優に二メートルを越え、体重も軽く一二〇キロはあるそうだ。元々は傭兵をしていたらしく、全身に無数の傷が付いている。
こう見えて酒には弱く、すぐ酔い潰れる。
彼は一般人だが、零二を見た瞬間に感じたらしい、訳ありだと。
街をフラついていた赤の他人に声をかけたのは、どうにも危なっかしいと感じたかららしい。放っておくと、行き場のない怒りで暴れ出しそうにでも見えたのだろうか。
ここでたまに寝泊まりする様になって、かれこれ一年だ。
ちなみに零二には、九頭龍に実家もある。
だが、そこに帰るのは精々半月に一回ないし二回。それも主に週末位だ。
家族は既にいなかった。
両親は既に二人とも死去。
母親は、零二を産んで直ぐに息を引き取ったのだそう。
理由は単純で、零二が産まれてきた瞬間に炎を纏っていたから。
出産時に瀕死の重傷を負わせた事が死因らしい。
それを聞いて、少年は理解した。
自分が産まれた瞬間から”怪物”だったのだと。
だからこそ、家族は自分を捨てたのに違いないのだ、と。
一方で、父親は世界中を回るビジネスマンだった。
だが、数年前に乗っていた飛行機が墜落。その遺体は、他の乗客と見分けが出来ない程に酷い有り様だったそうだ。
他にもう一人兄がいたらしいが、彼は父親の死後、家を飛び出してそのまま音信不通。
そして今では、この家にいるのは数人のお手伝いさんと、零二の後見人でもある執事の”加藤秀二”。通称、秀じぃのみ。
零二が実家に帰らない最大の要因は、この執事にあった。
加藤秀二こそ、社会を知らなかった検体だった少年に一般常識を”叩き込んだ”人物にして、お目付け役。
彼の知る限りでは間違いなく”最強”の人物だ。
モラルを教え、礼儀作法を教え、戦い方を教えた師匠でもあり、この世でもっとも恐れる人物だった。
口にこそ出さないが、正直言って秀じぃには感謝している。
形はどうあれ、今彼がまがりながりにでもマイノリティとして生きていけるのは、紛れもなく彼のお陰だから。
でも、そこに至るまでの過程がキツかったのだ。
あの白い箱庭での藤原新敷、零二が心底憎む男が行ったのが、訓練とは名ばかりの、肉体と精神を限界まで追い込む半ば拷問にだった事を思えば多少の事は問題ない、そうたかをくくっていた。
だが、秀じぃの教育は零二の想像を絶していた。
彼の教育は勿論、拷問ではない。
ただ、ひたすらに実践あるのみ。
ただし、間違えたらやり直しというペナルティだ。
飽きてきた零二が途中で放棄しようものなら問答無用で、投げ飛ばされるのは普通。何回逃げてもアッサリ捕まって、課題をこなせるまでやらされたのだ。
持っていた炎を九条により”封印”され、イレギュラーが使えなくなった零二に改めて”熱操作”のイレギュラーを徹底的に鍛え上げたのも、この後見人の薦めによる結果だ。
兎に角、色々と借りが大きすぎて苦手なのだ。
だからその反動もあり、この一年は実家にはあまり帰らない。
秀じぃも、社会について学ぶいい機会です、と後押しした。
──ただし、きちんと働いてくださいませ。苦労しなくては意味がございませんので。
そう一言、念は押されたが。
◆◆◆
「ごっそさんです」
皿一杯に盛られたサンドイッチをあっという間に平らげ、零二はコーヒーを喉に流し込む。ブラックコーヒーの苦味が口の中を落ち着かせてくれた。
「あ、そうだ。今日から春休みだろう? 買い出し頼めるか?」
「ああ、いいっスよ」
進藤は零二を、あくまで普通の人間として扱ってくれる。あんな光景を目にしたと言うのに。
「キシャアアアアア」
その相手は獰猛に襲いかかって来た。
巨大な蟻のフリークには、既に何発か左拳を叩き込んでいて、その全身は軽く燃え出している。もう決着は近い。これも最後の足掻きでしかない。繰り出す腕、いや前足を左腕で弾く。もう一本の足が零二の首へと襲いかかる。足には無数の突起物がまるで釘の様に出っ張っており、直撃すれば無傷とはいかない。
だが、避けない。ただ真っ直ぐ相手を見据え………右の拳を、白く輝くその塊を突き出す。必殺の拳は向かってきた前足を千切り飛ばし――そのまま相手の胸部を突き通す。
瞬間だった。元々全身が高熱により軽く燃えていた。そこへ熱の塊が直撃。一気に全身は沸騰し蒸発していった。
その時だった。見られたのは。
初めてマスターに出会った時、零二は自分のイレギュラーを見られた。非日常の光景を、世界をだ。
この時のフリークは素早い相手で、被害者を出しては次々と移動を繰り返す為、フィールドを展開しても人払いが間に合わなかったのだ。
フィールドには欠点がある。
一般人には、人払いの効果があるのだが、同じマイノリティに対しては近くに同類がいる事がバレてしまうのだ。
目撃された以上、本来ならばその場で口封じするなり、記憶改竄なりを行わなければいけなかった。だが、結果的に零二は何もせず、そのままその場を立ち去った。正直言って一般人に力を行使する気にもならなかったし、そもそもそういった行為は秀じぃから教わった事に反していたからだ。
(ま、仮に言い触らしたトコで、何かあるたぁ思えねェしよ)
巨大な蟻の様な姿をした化け物に、それを素手で跡形もなく消し去る少年、こんな現実離れした話を信じる奴はいない、そう判断したからだ。
それから数日後だった。
当てもなく繁華街をぶらついていた零二に声がかけられたのは。
「よ、また会ったな」
そう平然とした顔で声をかけたのは紛れもなく進藤明海だった。
「なンだよ、ブッ飛ばされてェのか」
思わず拳を握り、警戒する彼に強面の大男はこう言った。
「お前、腹減ってないか?」
と、そうはっきり、平然とした顔で。