もう一人の自分(The other me)その1
目の前で炎が巻き上がっている。
だけどソイツは単なる炎じゃない。蒼い焔だ。
コレは一体何だろう?
周囲を見回せば様々な色をした焔が湧き上がっている。
コレは、何処かで見覚えがある。思い出せ、何処で見たのかを。
そうか。二年前のあの時。白い箱庭を壊滅させた時だ。
あの時のことは、正直あまりよく覚えてない。色んなコトが起きてたのは間違いないけど、そのどれもが断片的で、朧気で、ひどく曖昧だ。
それにしたって、ココは何だ?
色んなモノが見える。
大きな湖があって、デッカい山がある。
空は半分真っ青で半分は真っ暗闇。
月が上がってるし、太陽だって真上にある。
ワケが分からねェ。
もしかして、アレか。ここは死後の世界ってヤツなのか?
”いやいや、違う”
うお、っと。
いきなり誰かに話しかけられ、思わず驚いちまった。
だけど、姿は何処にもない。前後左右を見回しても、やっぱし誰の姿も伺えない。
”僕を見ようとしてるみたいだけど、今の君じゃ無理だよ”
ち、じゃあアンタは誰だ?
”僕か、そうだな。僕は君だ”
意味が分からねェな。ソイツはどういうこった。そもそも、ココは何処だよ?
”説明するのは難しいな。だって僕もここにはいつの間にかいた、っていうのが正しいから”
ったく、じゃあ分かる範囲で教えてくれよ。
”そうだな。ここは────”
◆
ああ、そっか。
そういやココに来たのは初めてじゃねェンだな。
今まで何度も何度も来ていたってコトか。
まぁ、朧気でも知ってる場所だってならとりあえずは安心かもな。ココがそういう場所なら、とりあえず今すぐどうのこうのってワケじゃないってコトだ。
考えてもしゃあねェ。今、表に出れねェのなら、せいぜいゆっくりと休ませてもらうさ。
まずは寝よ。いくら寝ても誰にも怒られないってのは何だかいいな。
◆
「…………ハァ、凄いな君は」
正直言って呆れた、というより感心した。
武藤零二、僕とは違う僕。
彼の中にいて、時折彼の観ているモノを一緒に見たり、たまに僕の居場所に来る彼と色んな話をしたりしたから、今、どういう状況なのかもおおよそ把握している。
だけど、こうして表に出てまず思うのは、引っ込んだ彼が存外平然としている事。
何ていうか、もっと狼狽えたっていいはずなのに、こちらが驚く程に冷静だ。
まぁ、下手にお互い争ったりすると色々厄介だったから、この展開は助かるのだけど。
「さて、行くかな」
ともかくも僕は出来る事をやるだけだ。
こうして表に出て来る機会はもう二度とないのかも知れないのだ。
「おいレイジ、一体どうしたの?」
「ん?」
気が付けば僕の横に少女の姿がある。
見覚えがある。確か、名前は……。
「何でもないよ巫女ちゃん」
そう、神宮寺巫女。それがこの子の名前。確か、彼が救った子で、紆余曲折の末に今は同居人のはず。口は悪いけど、心根は優しい妹のような相手だった。
「…………」
おかしい。巫女ちゃんはこちらをじー、と訝しげに見ている。
何ていうか、こう、まるで不審者でも見るような目で。
「どうかしたの?」
もしかして彼女は具合が悪いのかも知れない。
(……調子悪いのかな?)
だったら問題発生だ。仮にも身近な相手の変調を見過ごしていた彼にも責任の一旦はあるかも知れないけど、まずは彼女の事が最優先。
こういう場合、心配するのが正しかったはず。
ならばこれが今、僕の取るべき行動の最適解だ。
なのに、
「え、レイジ。具合悪いの?」
「…………は?」
どうして彼女はそんなに僕を怪しそうに見ているのだろうか。さっぱり意味が分からない。何故だ?
「あのさ、レイジ」
どうしてだか巫女ちゃんは、僕の肩をぽんぽんと叩く。
「巫女ちゃん、僕ならこの通り元気だ。それよりも君の方こそ──」
「──わかったわかった、今日はあれだな。なりきりプレイってのをやってるんだよな」
うんうん、と一人納得したように何度も頷く彼女は、その後僕が何を言っても、「まったくレイジって割と細かいんだな」とか返すだけ。
「とりあえず、シャワーに行くだろ? その間に朝ご飯用意しとくからさ」
「…………」
何だろう、全く釈然としない。だけど、まぁ。シャワーで汗を流す、というのには賛成だ。せっかくの機会なんだ。僕も久方ぶりにすっきりさっぱりとしたいからね。
なので、巫女ちゃんへ軽く手を振るとバスルームへ。
気のせいかも知れないけれど、「本当今日はキザだなぁ」と巫女ちゃんが言ったような気がした。
「はぁ、気持ちいいなぁ」
お湯が肌を濡らしていく。今さっきまで寝ていた身体が、目覚めていく感覚。炎熱系のイレギュラーを使うマイノリティは、基本的に熱に関する感覚が鈍感だ。でもそれは当然だろうとも。だって自分達の扱う炎熱やら氷雪の方がずっと熱く、また凍える。それに身体自体が適応出来ねば本末転倒もいいとこ。だから自然と周囲の熱には鈍感となってしまう。他にも汗などもかいたそばから気化してしまうので、基本的には入浴などもしなくても良かったりする。
「はぁ、ふぅ」
ずっと研究所で暮らした僕にとって、入浴という習慣はあまり馴染みのない行為だった。したことがない、という訳じゃない。僕自身は汗とかをかかずとも、実験とかで戦った結果として埃やら汚れやらはついてしまう。それを洗い流す行為としか認識していなかった。
「うん、」
肌についた水滴を手で触ってみる。シャワーの勢いを弱め、壁に固定して目を閉じてみる。緩やかな勢いのお湯が僕の肌を優しく叩く。
「レイジー、お願いがあったんだけどさ」
「ん? 何だい」
「って、うぇっっっ。ちょ、ちょっとッッッ」
「何をそんなに驚いてるの? それでお願いって何?」
巫女ちゃんの様子がおかしい。呼ばれたから出ただけなのに、顔を林檎みたく真っ赤に染め上げて必死な様子で顔を背けてる。
「そ、その前にかくせ」
「…………?」
「バッカッッッ」
「う、ぷっ」
いきなりタオルを顔に投げつけられる。ばふ、という柔らかい感触、うん、箱庭ではタオルなんか使った事ないものな。これで身体を拭くんだよな。拭けって事か、ああ、床が水で濡れるからか。それは悪い事をした。
「いいから、服着てよね」
「そうだね。分かった」
うん、タオルで身体を拭くのってこんな感触なんだな。気持ちいい。
「いただきます」
左右の手を合わせて合掌して、僕は目の前のご飯を食べようと試みる。
「……………………」
あれ? これってどうすればいいんだろう。
「どうしたのレイジ?」
巫女ちゃんが訝しげな目で僕を見る。手にはこんがり焼けた食パンがあって、それをパリッと齧るように食べている。
「いいや、何でもない」
そうか。目の前には巫女ちゃんがいた。彼女の仕草を見れば、どうやってこの食事を口にすればいいのかも分かるはずだ。
「う、ん」
巫女ちゃんのやった通りにパンを手にして、口に近付ける。口を開いて齧るように食べてみる。途端に口の中に香ばしい香りと、味わいが広がっていく。箱庭じゃ基本的には固形物を口にしなくて、食事とはペースト状のモノをスプーンで口にする事。たまにステーキが出るくらいだったから、こんな色々ある食事は初めてだ。
「美味しい」
「レイジ?」
何故だろうか。巫女ちゃんがまた僕の事を訝しげに見ているような気がする。何か間違った作法でもあったのか? どうにも知識としては知ってるつもりだけど、実際にするとなると勝手が違うみたいだ。
「巫女ちゃん」
「え、は、はい」
「朝ご飯、美味しいよ」
「え、うん。どういたしまして」
和やかな空気の中で、僕は朝食を堪能した。目玉焼きを食べて、サラダだったかな、野菜を口にして、コーヒーを飲む。窓からは日光が差し込み、風がカーテンを揺らす。そうか、これがご飯を食べる、っていう事なのか。うん、いいね。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく。朝食を終えて、歯を磨いて、身支度を整えると、玄関へ。
「じゃあ、行ってくるよ」
「レイジ、頼んだ事は大丈夫?」
巫女ちゃんは心配そうな目で僕を見ている。
「大丈夫だよ。洗剤を買ってくればいいんだよね」
「うん、お願い」
「じゃあ先に行くから」
「ああ、行ってらっしゃいレイジ」
こうして僕は家を後にする。素晴らしい朝、次は学校か。楽しみだ。




