あの世のような場所
ポチャン、ポチャンと滴る音が聞こえるのは水滴、かな。
肌に感じるのは、ひんやりとした寒さと、薬品臭い空気。
周りを見渡すと、真っ暗闇。一寸先も見えない。
ああ、そうか。これは夢の中だ。で、どこかの研究施設だ。
「よっと、」
アタシはゆっくりと立ち上がって、目を閉じてみる。
何もない、真っ暗闇がアタシは怖かった。ずっとずっといつまでも続くような暗闇がずっと怖かった。
不安ばかりが大きくなって、すぐそこに死が待ち構えてる。そんな気がして気が気じゃなかった。
「ああ、そっか」
だけどアタシは不思議と心が落ち着いてた。これが夢なんだ、って思ったからか。それとも、アタシが強くなったからなのか。どっちだろう?
「別にどうでもいっか」
夢なら、その内さめる。そうじゃないなら、その時の事だ。
アタシの脳裏に浮かぶのは、あの時の事。デモリッション、っていう相手と戦っている最中に観たあの光景の事だ。
◆
”ここは異界。まぁつまりはあの世みたいな場所だ”
とカラカラと笑いながら、誰かがそうアタシに告げた。
「は?」
それが全部。困惑しかない。いきなりあの世とか言われたって納得出来るワケがない。戦っている最中に、今にもマズい状況だったのに。
「何よ?」
”いや、普通もっと驚くだろ? あの世って言われたらさ”
「驚いてるわよ」
”でもよ。そのわりにゃあんまし、ショック受けてる様子が見受けられないんだが…………”
「そんな暇ないの。で、結局アタシは死んだの?」
”いんや。まだ──”
「だったら今すぐ戻せ」
”ちょ、ちょっと待てっての。お前いくら何でもせっかちすぎんだろ”
「うっさい。死んでないなら、こんな場所にいる理由がない。戻らなきゃ」
”ミカゲ、お前マジでスゲーな”
「呼び捨てにすんな」
”うん。これはあれだ。マジでドSってヤツだ。あいつも物好きな……”
「どうしたらここから出られるワケ? 死んでないなら早く戻りたいんだけど」
”おまけに話はきかないって、どんだけじゃじゃ馬だって話だよ。はぁ、”
「ため息つきたいのはコッチ。用がないなら」
”用があるに決まってんだろが。お前にゃなくとも、こっちにはさ。
いいかよく聞け。今のままじゃミカゲ、お前は死ぬぜ”
その言葉には不思議な確信みたいな響きがこもってた。まるで、……。
”そうだ。言ったろ、ここは異界。あの世みたいな場所だってさ”
誰かはアタシの心を読んだみたいに告げた。その言葉で理解した。誰か、の言葉はアタシの末路を、辿るであろう結末を観た上でのモノなのだと。
”ようやく話を聞く気になったみたいだな”
振り返ったアタシを前にして、顔のない、顔の見えない誰かは、多分笑った。
”いいか。今のあんたじゃあの相手にゃ勝ち目がない”
単刀直入、誰かは断じる。
本当なら怒ってもいい所だと思うけど、アタシは何も言い返せない。
だって、分かってた。あのデモリッション、っていう相手が自分よりも強いコトを。囮を引き受けて、対峙してその確信はいよいよ深まっていく。
”でもな、相手が強いのは簡単に言えばズルをしてるから。本来なら、あいつはあそこまで強いはずがないんだ”
「ズルをしてる?」
”そうだ。何せあいつは他人から力を借りてる。いんや、そいつは少しばっか違うか。他人から力を押し付けられたって方が正しいかもな。何にせよ、自分だけの能力じゃない”
「でもそれじゃ、アタシだって……」
そうだ。他人の力、自分のじゃない力というなら、それが問題なら、アタシだってそうだ。
アタシはこれまで多くの人から色んなモノを受け取ってきた。ズルしてるのは相手だけじゃない。アタシだって──。
”ちょい待った。ミカゲ、お前さんのはズルじゃないからな”
「何が違うのよ? アタシだって」
”お前さんのは借りてるんじゃない。誰かから、受け取った。或いは引き継いだって言うのさ。
誰かの力を、思いってのを理解した上で自らの血肉と化す。最初は確かに借りてたのかも知れない。けど、ミカゲ。お前はそれをきちんと使いこなすべく鍛錬をし、今じゃ使いこなせるまでになった。だからそいつばもう、お前さんの力なんだ。
だからな、ズルなんかじゃ絶対ないんだぜ。後ろ向きになるな、胸を張って前を向けばいいんだ”
「あ……」
気付けばへたり込むみたいに座り込んでいた。
何故だろう。何故コイツの言葉はこんなにもアタシの心に突き刺さるんだろうか。
どうして、アタシはコイツの前ではこうも素直になってしまうんだろう。
「分かった。ズルじゃないっていうならそれでいい。で、勝ち目がないなら、どうしてアタシはココにいるの?」
これはアタシの偽らざる本音だ。誰か、の言葉は正しい。で、死ぬっていうのなら。まだ死んでもないのに、ココにいるのは何故なんだろうか? 異界、あの世みたいな場所。意味もなくそんな場所に来てるなんて思いたくはないから。
”ああ。それは簡単だ。お前さんにはあいつを倒してもらわなきゃならないからな”
事も無げに誰かはそう言う。
「意味が分からないんだけど。勝ち目がないのに、どうして倒せるワケ? 太刀打ち出来ないから、相打ち狙いで行けって言いたいの?」
”いんや。相打ちなんか狙わなくていい。お前さんの能力の使い方を少しばっかし変えるだけで充分だぜ”
そして、誰かはアタシに話し始めた。
それは本当に簡単なコト。だけど、今まで試したコトのない、イレギュラーの使い方だった。
”いいか。左右それぞれを氷だの、炎だのって分けて考えるな。お前さんは左だろうが右だろうが関係なく両方使えるはずだ。まずはそいつを実感しろ。時間なんぞ気にすんな。ここには時間なんて概念は存在しない。いつまでいたって何も変わりゃしないんだからな”
異界、あの世みたいな場所でアタシはイレギュラーをただ使った。ひたすらに、がむしゃらに使い続けた。これまでみたく、左手で氷、右手で炎だけじゃなく、入れ替えさせられた。
”氷とか、炎って考えるから分からなくなっちまうんだ。両方とも熱変化現象だ。違いは単に扱う温度の方向性だけ。違和感をなくせ、どっちも同じく等しく使いこなせ”
何よコレ? 何でアタシこんなトコでこんなコトしてるんだろ?
周囲には何もない。ただただ白い世界。誰か、以外には誰もいない、そんな寂しい世界。
”ばっか。余計な事考えるなって。今、お前さんがやるのは自分の力の使い方を学ぶことだけなんだぜ。いいからほら、やるぞ”
そうして、一体どの位そこにいたんだろうか。
アタシは違和感なく左右両方ともに氷炎を使えるようになっていた。
”よっし、これで大丈夫だ。ミカゲ、お前さんはちょっとやそっとじゃ負けない位にゃ強いはずだ”
誰かは笑った。顔はないのに、表情なんか見えないはずなのに、確かに笑った。
その見えないはずの笑顔は、何故だろうか、……とても見慣れたものに思えた。
「あ、ありがと。一応言っとくわ」
”へっへ。光栄の至りってやつだな。そろそろ戻れ”
「うん」
”今のお前さんなら、ゆっくりした世界でも更に色々小細工出来るはずだ。そうなりゃ大半の異能者なんざ敵じゃないぜ”
「そうだね」
”じゃあな、これでお別れだ”
「そうね、お別れだ」
世界が閉じていく。白かった世界が暗く、仄暗く変わっていき、そして、──。
”アイツによろしくな”
誰かは、そう最後にそう言った。
◆
「ん、うう」
目を覚ますと、まず感じたのはまばゆい光。
さっきまでの夢の中、真っ暗闇の世界から一転、思わず目を閉じる。
「病院?」
ああ、そっか。アタシはデモリッションと戦って、気を失ったんだ。
ここにいるってコトは勝ったんだろう。じゃなきゃ、生きているワケもない。
「気が付いた?」
「ん?」
誰かがいた、声の方向に視線を向けると、……ウソ。
「心配したよ、君が倒れたって聞いて──」
有り得ない、絶対有り得ない。これは夢だ。しかも悪い夢に違いない。
「良かった、本当に良かったよ」
だって、そんなセリフを口にしてるのは、あのバカ。武藤零二なんだから。




