Vanity Fair always gives priority to curiosity(悪女は常に好奇心を優先する)
デモリッションによる一連の事件が終幕を迎え、警察による規制線が撤去されたからだろう。静かだった九頭龍の駅周辺は深夜にもかかわらずにわかに活気づく。
繁華街は無論、オフィス街や地下街にも多くの人が行き来していく。
彼らは夜の喧騒の中、ある人は帰路を急ぎ、またある人は一時の酔いを楽しむべく、そしてある人は一夜の出会いを求めて悲喜こもごもの出来事が起きる事だろう。
そんな街の様子を、上から見上げる目があった。
パタパタ、と羽根を羽ばたかせて、闇の中を飛び回る蝙蝠。だがその蝙蝠、他のモノと比べて、明らかにおかしな点がある。
蝙蝠は闇の中に身を沈めるモノ。少なくとも一般的にはそういった認識だろう。しかし、その蝙蝠は全身真っ白。
「ん、あれ?」
蝙蝠を目にした女性が足を止める。
それに気付いたのか、腕を組んでいた男性が女性に話しかける。
「どうしたの?」
「うん、空に白い、雪みたいなモノが見えたんだけど……」
「雪が降るには季節が早すぎるよ、きっと流れ星か何かだよ」
「うん、……そうだね、きっとそうよ」
男性の言葉に納得したのか、女性は笑うと、「あ、願い事すれば良かったかなぁ」とこぼす。
「おいおい、俺たち充分幸せだろ? これ以上何があるってんだよ」
彼らには今さっきそこにいた白いモノへの関心などもうない。ただ今、この時。この場所での幸せに充足しながら、夜の街に消えていった。
「そう。面白いわ」
ミラーカは嗤う。
毒の華を思わせる紫色のバスローブをまるで外套のようにひるがえし、窓から外を満足そうに眺めている。
傍目から見れば、その姿はまだ十代半ば程度の少女にしか見えず、美しく整った顔立ちはまるで精巧な人形のようですらある。
何処か浮き世離れしたその姿は、まるでファンタジーに出て来るエルフのようでもあり、街中を歩かば、万人がその姿に足を止め、見惚れてしまう事だろう。
だがここにいるのはそういった感情を知ってはいても理解しない人形のみ。
「楽しそうだね」
パペットのこの言葉も、別に感情を推し量ったからではなく、単に集積した無数のデータから算出した結果の発露に過ぎない。
だがそんな事をミラーカは気にはしない。
「ふふ、ええ。愉しいわ」
彼女は感情を隠そうなどとは思わない。にこやかに口元をほころばせつつ、「どうしてか分かるかしら?」と訊ねる。
人形は思考を巡らせるも、軟禁された現状、何よりも思考を並列化してある自分達のストックが今はない。
「さぁ、僕にはわからない」と即座に降参する。
その行為は彼女には思考放棄とも見えたのだろう、ミラーカはピクリと眉を動かすと手にしたグラスを砕き割る。粉々になったグラスからは赤黒い血が流れ落ち、床のカーペットに染みを作る。
「つまらないわ。やはりあなた人形ね」
そう言うと不意に手を上へと振る。
「──ぐ」
するとパペットの身体は椅子ごと窓へと強かに叩き付けられる。強烈な衝撃にもかかわらず窓はピシリと僅かにヒビが生じるのみなのは、強化ガラスだからだろう。
「常に合理的で効率的、そう言えば聞こえはいいけど、それって思考放棄よ。ワタシはあなたに回答を求めたの。だったら、正解不正解なんてどうでもいいから答えを言うべき。そうは思わない?」
ミラーカは手首をくい、と上向きに動かす。パペットが座らされた椅子は天井スレスレへと浮き上がった。
「ここの天井の材質が何かは知らないけれども、あなたの作り物の身体とどちらが柔らかいのかしら、ね?」
「君は僕を必要としている、……そうだろ?」
「何、駆け引きのつもりかしら?」
「そう思ってもらって構わない。僕は君が求めるモノを完成させる事が出来る。その為の知識を保持している」
「へぇ、そう言えばそうだったわね」
「君は誰よりもネフィリムの完成を待ち望んでいるし、それは僕も同じだ。僕をここで潰してしまえば、それが遠退いてしまう、そうだろ?」
天井まで僅か数センチ。ミラーカの気分次第ですぐにでも圧殺されるのは明白。それでも、パペットには確信があった。彼女のネフィリムへの執着を知っていたから。たたみかけるように言葉を紡いでいく。
「ネフィリムの研究は進んでいるよ。二年前、白い箱庭がなくなった事で資料の大半は損失した。今やその資料や研究に精通しているのは僕だけだ。二ノ宮博士から知識を引き継いだ僕だけが君の欲求を叶える事が出来る」
「そうね、あなたの言う通りかもね」
「そうだろ。僕達は互いに協力し合えるはずだ。君がスポンサー、僕が研究を完成させる。これで問題は全て解決だ」
「その通りね」
「なら────」
パペットにそれ以上の言葉を発する事は叶わなかった。ぶしゃ、という不快な音と共に、人形は天井に押し潰されたから。
ミラーカは天井の染みと化した人形の残骸に告げる。
「確かに研究は必要だし、あなたも必要だわ。でもね、代わりならもう確保したのよ。あなたと同じものを複数人手元に集めたのよ。
だからね、もうあなた一人位必要ないのよね」
と、窓を何かが突き破る。
白い蝙蝠が室内へ入り込み、ミラーカの肩へ乗る。
「ワタシは聞いたわよね? 質問したわよね?」
蝙蝠は突然その身体を変化させ、白い外套へと転じる。そしてコロコロと床に転がるのは、目玉。
「答えはね、ワタシの玩具が壊れたから、よ。割と長持ちしたけど、ついに壊れちゃったわ」
彼女にとってデモリッションは、単なる暇潰しの玩具でしかなかった。
「貧弱なイレギュラーしかなかったから、少しばかり補強したんだけど、まぁ、いずれはこうなったでしょうね。
血だってあげたし、他にワタシの一部を用いたマントに、魔眼をあげたのだけど──」
目を瞑り、その時の事を回想する。
今にも死にそうだったマイノリティを彼女は見つけた。
周囲にはそのマイノリティがやったのだろう、無数の兵士の死体が転がっている。
それだけなら、ミラーカはそのまま立ち去ったに違いない。
だが、彼女はマイノリティの命を救った。
血を与え、傷を癒やし、そして外套と魔眼を与えた。
理由は、…………。
「絶望と怒りに狂ってたのよ、彼。この全部の不幸を一身に受けるみたいな目で、空を見上げてたのよ。ああ、本当に滑稽だったわ。だからね、理由をあげたの。自分の行いを正当化出来るように都合のいい考えを吹き込んであげたの。全部解放してあげなさい、って。
ふふ、ええ。本当に本当に滑稽だったわ。楽しめたわよ」
何の事はない。それは彼女にとっての遊びでしかなかった。白い外套はいつしか彼女の中に還っていき、手で摘まみ上げた魔眼を飲み込む。
「本当に人間って愚か。だからこそ楽しいのだけど」
ミラーカは白い外套、蝙蝠の目を通してデモリッションの最期を見届けた。彼女が上機嫌なのは、その戦いの中で興味を惹かれたモノがあったから。
「ファニーフェイス、だったかしらね。あの子、面白そうだわ」
彼女は美影を見初めていた。
「あの子、きっとネフィリムの研究素体にいいわ。ふふ、ええ……」
ミラーカは街を眼下に見下ろし、満足そうに嗤う。
「きっと素晴らしい玩具が手に入るわ、うん、うん」
彼女にとって、好奇心こそが全て。己の関心を引くか否か、ただそれだけ。
「さぁ、たくさん楽しませてね、ふふ、ええ」
少女の顔をした悪女は、心底愉快そうに嗤うのだった。




