バーにて
美影や歩、家門達によってデモリッションが倒された光景を最前列で視ている目があった。
それはビルのすぐ傍をパタパタ、と羽ばたいている。
デモリッションが完全に倒れたのを確認すると、それは静かに場を飛び去っていく。
しばらくすると、にわかに周辺が騒がしくなる。無数の警察車両が動き出す。
誰もがそれに注意を払う事はない。当然だろう。警官達の関心は事件現場で何が起きたのか。空を飛ぶそれになぞ関心があるはずもない。
警官達の誰もが謎の連続殺人事件、そしてその犯人への手がかりを追い求めている。彼らにとって上空、闇の中を飛び交うモノになど関心など一切あるはずがなかった。
それは地上でざわめく人々を嘲笑うかのように、悠々とその場より立ち去った。
◆
「それで、やけ酒を飲みに来たって訳か」
「認めるのは癪だが、……そうだ」
(九月二日午前二時半)
九頭龍繁華街の片隅、進藤明海のダーツバー。
西東はカウンター席に腰を落とし、グラスに注がれた酒をあおる。
「ったく、今夜は散々だぜ」
「! 珍しいな、愚痴るとは」
「るせぇ」
西東は新藤がこうして愚痴を口にする姿を初めて目にした。
さっきまでの、何とも表し難い苛立ちなどいつの間にか何処か遠くに吹っ飛んでいた。
「俺で良かったら話を聞くけど?」
「ったく、お前さんも大概性格悪いな」
「ああ、警察なんて因業な仕事をしているもんでね」
「ま、いいか。たまにゃ他人に愚痴るってのもよ」
「ああ、お巡りさんってのは困った人の味方だからな」
「良く言うぜ。不良警官のくせしてよ」
互いのグラス同士がぶつかる。カラン、と氷が動き、静かな店内にはジャズの音だけが鳴り響く。
「で、お前さんは何をそんなに考え込んでいやがるんだ?」
飲み始めて、どの位の時間が経過しただろう、口火を切ったのは新藤からだった。
「どうしてそう思う?」
「おいおい、今更腹の探り合いなんて時間の無駄ってもんさ。お互いに初めて顔を合わせたって訳でもない。それなりに分かってるものだと思ってたんだがな」
怪訝そうな表情をする西東を、禿頭の大男は如何にも悪そうな笑顔で迎え撃つ。
互いに無言で睨み合う事数秒、先に折れたのは不良警官だった。
「はぁ、分が悪いのは俺だな」と西東はため息をつき、かぶりを振る。
「おうとも。ここは俺の店だ。文句があるなら、さっきまでの酒代
を現金で払ってもらうぜ。勿論今すぐにな」
「そいつは不味いな。どれだけぼったくられるか分かったものじゃない」
「おうとも。だから観念してゲロっちまえ」
「ったく、これじゃまるで俺が取り調べ受けてるみたいだな」
「これでも色々経験は豊富なんでな。嫌な経験も、使い方次第だ」
「かなわないぜ」
ちくしょうめ、と悪態をつき、西東はグラスをあおる。
「で、あれか。デモリッションとかいう化け物に負けちまったのが引っかかるのか?」
「いいや、それは違う」
「ほう。悔しくはないってのか?」
「悔しいさ。負けちまったのは事実だ。俺の力不足で、WGの連中に任せちまった。正直言ってみっともないって気持ちはある」
「ふむ。で、」
「だけど。警官ってのは事件が起きてから動く存在だ。犯人に対して常に後手に回っちまう」
「そいつはまぁ、事実だな」
「だから、警官として大事なのは被害者を少しでも少なくする事。犯人がこれ以上罪を重ねる前に逮捕する事だ。俺個人の勝ち負けなんてのは、それに比べりゃ大した事じゃない」
「…………」
進藤は顔にこそ出さなかったが、今の西東の言葉に感心していた。この禿頭の大男にとって傭兵時代は、常に命懸けだった。一瞬の油断が己の、部隊の死を招く。そこではあらゆる事態が起こり得る。騙し騙され、命を奪い合う。そんな日々を送ってきた。
傭兵、というのは軍隊から見れば、云わば使い捨ての駒だ。戦場で自国の兵士が死ねば、政府は非難を受ける。だからこそ、傭兵は戦場に駆り出される。代替品として、危険な戦地へと。何故なら彼らは自国民ではない。もしも死んでしまっても、非難はされない。国民ではない存在、金で雇われた存在、ならば生き死には彼らの自己責任だ、と。
傭兵は、部隊の事もだが、何よりも自身の身を第一にする。死んでしまっては元も子もない。何が何でもがむしゃらに生きる事に執着する。少なくとも、進藤明海はそうして生き抜いてきた。
「そうか。個人の勝ち負けなんてのは、大した事じゃない、か」
だからこそ、西東の言葉は彼に刺さった。
彼にとって、デモリッションとの対決、敗北とは、勝ち負けで言えば勝ちなのだろう。警官として判断するのであれば、少なくともあのビル内にて被害者は出なかったのだから。
「だったら、何が引っかかってるんだ?」
だからこそ、進藤は疑念を抱く。西東が何をそんなに気にするのかが、分からない。
「お前さんは勝った。少なくとも生き死にで言えば生き残った訳だし、被害者も出さなかった、そうだろ?」
「ああ。そいつはそうだが、……」
対して西東は歯切れ悪く言葉を返す。彼自身が何を引っかかってるのかが分からない。ただ漠然とした不安が、まるでしこりのように残っていた。
「どうも、何も終わっていない。そんな気がする」
その言葉はまるで呪詛のような不吉な響きを持っていた。




