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全速と全力

 

(数秒前、縁起祀の攻撃直後)




(あ、やられたかぁ)

 地面に転がり、天井を見上げている事に気が付いた零二は自分が相手に倒されたのだ、と素直に認識した。

 全身が痛いらしく、イマイチ動かない。

(ま、それも当然ちゃあ、当然だな)

 何をされたのかも分からないまま、一瞬で無数の攻撃を喰らったのだ、自分の神経細胞が何をされたかをまだ把握しきれていないのだろう。つまりは知覚出来ない程の攻撃という事だ。で、その為に熱の壁が発動していないのだろう。

 音使いであり、遥かな遠距離からの無音で攻撃が可能な、……自分の相棒である桜音次歌音とは違う意味での知覚の外からの攻撃。

(にしても、みっともねェなオレは)

 思わず苦笑する。

 意外な事に彼は、この有り様にも特段怒りは抱いてはいない。

 負けた、弱い、そういう自分自身に対する非難めいた感情が全くないのではない。

 ならば何故怒りを抱かないか? それは、そんな事にイチイチ苛立つ事が無意味だと理解しているからに他ならない。

 ゆっくりと起き上がる。

 ズキズキと全身が痛む、さっき倒れた際に全身を強打したのだろう。何せ、受け身すら取れないのだ、無理もない。

 相手はこちらが起き上がった事に気付いてはいないらしい。

 そもそも、あっちも”限界”が近いらしく、身体が重そうに見える。

 それもそうだろう、と零二は思う。

 あれだけの速度を駆使して身体に何の影響も出ないはずがない。無論、マイノリティである以上、一般人よりは肉体面でもそれなりに強化されているだろうが、それでも肉体自体が変異していない以上、あくまでも肉体強度も一般人からかけ離れた物でもないはずだ。

 彼女は恐らくは、いや、まず間違いなく肉体操作能力ボディの系統に属するイレギュラーを使うマイノリティだろう。

 彼らが肉体を変異させるのには理由がある。

 それは、そうしなければ自分の能力を扱いきれないから。極々当たり前な理由だ。

 見た所、相手、つまりは縁起祀という女は肉体変異をさせてはいない。いや、しているのかも知れないがそれは見た目を変貌させるレベルではない。そういう事だろう。

 それに、イレギュラーっていうのは聞いた話では、そのマイノリティ個人の精神的な要素に大きく左右されるのだそうだし。

 ……案外、あの女性は誰よりも早く走りたい、って所なのかも知れない。

(ま、そこら辺り……オレの場合はよく分からねェな)

 武藤零二は生まれつきのマイノリティだ。

 彼は産まれ出でたその時には焔を発したそうだ。

 産まれ出でたばかりで焔を発する幼児とは一体何なのだろうか?

 考えても仕方のない話だ。理由など知る訳がないのだから。

 ただ分かる事はある、自分が親に忌み嫌われたであろう事。

 だからこそ、あの”白い箱庭”なんぞにすぐに入れられたのだろう。


 武藤零二の人生とは、”無数・・敗北・・”そのものだ。

 彼は常に負けてきた。

 あの白い箱庭で、長年自分に非道な人体実験を受け続けたというの表だっては反逆しなかった。

 云われるがままに、同じ様な境遇の同年代の少年、少女を手にかけた、……死にたくなかったから。

 あの藤原新敷という外道に虐待に近い、否、虐待そのものの訓練を施され、日々完膚なきまでに叩きのめされた。

 表向きこそ狂暴に、まるで野生の獣の如くに牙を剥き、反発して見せた。

 だが違う、……いつも怯えていた。

 怖かったのだ、自分が怯えていると周囲に知られる事が怖い。

 あの白い箱庭では、弱い者から”処分”される。

 だからこそ、決して知られる訳にはいかない。

 自分が誰よりも死ぬのが怖い、怯えているだなんて、決して知られる訳にはいかない。

 弱い自分を誤魔化す為に狂暴に振る舞う。

 本当に子供だったんだな、と今は思う。


 武藤零二は外に出てからも負けっぱなしだ。

 後見人にして、世話役である加藤英二には手合わせする度にこてんぱんにされる。

 ──負けるとは、恥じる事では無いのです。大事な事は……。

 あの世話役はいつもそう言う。


(分かってるさ、オレは弱ェ。だがな……)

 零二は身体に力を込める。

 痛みはするが、動く分には何の支障もない。

 いつも通りの事だ。負けても勝てばいい。

 真の敗北とは、心の問題なのだから。心が折れない限り、人は誰にも負けやしないのだ。

 だからこそ、もう負けない。

 誰にも、そして何よりも自分自身に。


 だからまだ戦う。心ならまだ大丈夫だから。



 ◆◆◆



 (現在)




 飛び込んできた零二の攻撃はかすりもしない。

 それどころか、縁起祀にいいようにいなされ、派手に前方に転がっていく。

 本来であるなら、相手の醜態を笑う場面だろう。

 しかし、

「なっ、何故」

 縁起祀の表情にはハッキリとした動揺の色が浮かぶ。

 さっきのは本気だった。

 彼女自身は未だ他者の命を奪った経験はない。

 だが、さっきのは違う。少なくとも殺す気で攻撃した。

 間違いなく人体の急所を打撃した。

 いくらマイノリティであっても、知覚の及ばない短時間であれだけの攻撃を喰らえば死ぬ。そう彼女は聞いていた。

 だからこそ、これ迄はああいった連撃を加えずに単発での打撃に徹してきたのだ。

(落ち着け、よく見ろ)

 そう、零二は立ち上がっただけ。

 明らかに身体にはダメージが残っている。

 死にかけなのは一目で分かる。

 だというのに……

 相手の眼光は些かも衰えない。いや、それどころかその凄味は一層強くなっているように思える。

「うっ」

 相手の目と自分の目が合った瞬間、思わず足が一歩下がる。

 状況からは彼女の方が圧倒的に有利だというのに。

 確かに全身の筋肉が軋むとは言え、まだ戦えるというのに。

(これじゃまるで、こっちが負けてるみたいじゃないか!)


 その心の動揺を、……間隙を見透かしたかの様に相手は声をかけた。

「さって、ボチボチやるか」

 と。

 明らかに自分の方が重傷なのに、明らかに自分の方が不利にも関わらずに。まるでこれ迄の事など関係無いかの様に軽く言う。

「ふざけるな、この死に損ないが!」

 縁起祀は思わず吠えた。

 馬鹿にされたのだ、と解釈した。

 ならば、笑えない様にしてやる。

 一度、距離を改めて取る。今から全身全霊での一撃を敵に加える為に。中途半端な間合いでは最大限のダメージを与えられないから。

「いいだろう、こちらも本気で殺す気でやるよ――後悔するな」

 それだけ言うと彼女の姿は瞬時にかき消えた。


(上等だぜ)

 零二は口元を歪めた。

 思った通り、だと思った。相手の攻撃は痛烈ではあった。確かに全身を、急所も攻撃された。

 だが、何処か手を抜いている様な感じがあったのだ。

 それが不思議だったが、……冷静に考えれば単純な理由だ。

 あの縁起祀、という女性は他者を殺めた事が無いのだ。

 確かに、あれだけの速度を扱えるならば、殺さずともどうにでも相手を翻弄出来る事だろう。

 自分みたいに何もかもを燃やし、破壊するイレギュラーではないのだから。

 命を奪ってはいけない。

 それは、恐らくはとしては至極真っ当だ。

(だけどよ、アンタは間違ってるぜ……)

 零二は全身の熱を解放する。

(……だってオレもアンタも同じく化け物なンだからよ)

 この対決は始まってからまだ二〇秒程しか経っていない。

 残り時間は、四〇秒位だろうか。

 だが、これでは”届かない”。

 彼女の速度は今の自分を凌駕している。

 ならどうすればいい?

 自問して出た答えは実にシンプルだ。

(あとは、オレ次第ってこったな)

 零二は思わず笑みを浮かべた。


 ”ロケットスターター”という異名は伊達ではない。

 彼女の最大の攻撃は、その速度そのものだ。

 全速度による突撃。要はタックルだが、その威力は実験では戦車の装甲すら貫いた。

 これを人体に用いれば間違いなく相手は即死するだろう。

 だからこれまで彼女は、本当に本気で全速を出した事はなかった。

 もう脳裏には相手の最期が浮かぶ。

 その四肢やら何もかもが吹き飛ぶ様がありありと。

(でも、これ位じゃないとダメだったんだな、アンタは)

 そう、相手は化け物。自分の人生の中で初めて見た同類なのだから。あの怪物相手に中途半端な事が通じるはずもないのだ。

 最早、周囲の風景すら歪んで見える。

 あまりの速度に何もかもが本当にスローに見える。

 相手は何もしないように見える。

 口だけだったのか、それとも単に自分が速すぎるだけなのか。

 何にせよ、もうすぐに決着は付く事だろう。

 だが、

 次の瞬間に想像もしない事が起きた。

 確実に命中したはずだった。

 だというのに、そこに標的はいない。

(何っっっっ?)

 訳が分からない。一体何処に行ったというのか?

 そう思った瞬間。

 何かが背後にいる、そう理解した。

 バシン、という衝撃。

 振り向き様に咄嗟に両腕でガードしたが威力に押され、身体が飛ばされる。

 何が起きたのか分からずに視線を向けると、そこには零二が腕を勢いよく振るっていた。

 全く訳が分からなかった。

 何故、相手に自分の攻撃が命中しなかったのか?

 何故、相手を見失ったのか?

 何故、そもそも、何故、相手が攻撃を当てる事が出来たのか?


(よくよく考えてみりゃあよ……簡単なコトじゃねェか)

 零二は笑っていた。

 彼の身体は激しく火照っていた。

 全身の血肉が、臓腑が、毛髪が、汗、尿、体液、ありとあらゆる肉体を構成する、自分という存在モノを定義する物質が煮立ち、沸騰している。

 沸々、とした熱量が器足る肉体を満たしていく。

 今、武藤零二という器は今にも燃え上がる寸前だった。

 武藤零二というマイノリティの本来のイレギュラーは炎。

 それも只の炎ではない。

 あらゆる万物を文字通りに呑み込み、消し去る災厄。

 かつてその炎は彼の住まう世界を焼き尽くした。

 以来、彼は自身の意思によりその炎を封じた。その身を器にして文字通りに封印したのだ。

 だが、封印とは完全な物ではない。

 いくら大元を塞いでも、種火は常に器から洩れ出でる。

 だからこそ、その種火を火ではない形で発散する必要が器である零二には必要であった。

 今や炎を扱えない彼にとってその代替手段こそが、熱操作。


 よくよく考えてみれば、全力での時間は三分だとか決めつけているのは何故だ?

 そうだ、それはその時間が一番彼なりに効率よく身体能力を発揮出来る時間であったからに過ぎない。

 効率よくとは何か?

 簡単だ、それが一番バランス良く戦闘力を発揮出来得る、ただそれだけの事に過ぎない。


(バランスなンぞ知ったコトかよ――!!)

 どのみち、あと数十秒でこっちも限界だ。だったらその時間がもっと早くなったって何も問題ない。

 それは制限時間というよりは、タンクに入った燃料が燃え尽きる迄の時間。

 それをもっと激しく燃やせば熱量も増大する。

 要するに自分の限界を、いや限界だと思っていた以上の熱消費を行えばいい。

 本当に簡単な事だった。

 全身から微かながら焔らしきモノが洩れ出でている。

 湯気というよりは、ガスなのかも知れない。

 だが試みは成功した。

 零二の肉体はこれ迄で最速だった。

 それはさっきまで全く見えなかった、縁起祀の動きすら視界に捉える程の動体視力をも手に入れた。


「うあっっ」

 縁起祀の身体が地面を跳ね飛んでいく。

 幾度となくまるでゴム毬の様に跳ねて、壁にぶつかる。

 幸い、ダメージは大した事ない。

 今のも零二に攻撃を受け流され、勢い余って地面を転がったに過ぎない。

 起き上がりながら確信していた。

 武藤零二は自分に匹敵──或いはそれを上回る速度を持っている。信じられなかった。

 これ迄自分以外にこの半ば静止したかの様な世界に足を踏み入れた者なんていなかった。

「くっそっっ」

 頬を拳が掠めた。

 それどころか今、相手の拳が見えなかった。

 相手の方が速い。


(もう一度、もう一度だ!)

 縁起祀は勢いよく後方に飛び退き、壁に着地。

 下肢に全神経を、全筋力を集中。まるで弓矢の如く自身を矢と化し射出する。

 凄まじい速度。

 空気を抉り、地面を削り取りつつ襲いかかる。

 これは紛れもなく縁起祀、ロケットスターター足る彼女の最大速度にして最大の攻撃だ。

 これを外せばもう打てる手立てはもうない。


(へっ、まるで魚雷だな……コイツぁよ)

 零二がそう認識した時、縁起祀の肉弾は目前にまで迫っていた。

 躱す事も出来るだろう。

 だが、それでは残り時間が過ぎてしまう。

 ならば、取るべき道は一つのみ。

(歯ァ食いしばれ、ちいとばっか痛ェだろうがよ)

 目を閉じ、覚悟を決める。


 全身を一撃。

 それはまさしく巨大な鉄球の直撃の様。

 全身を砕かれる様な衝撃が疾走し、肉体が砕け散りそうになる。

 零二の全身から血が吹き出す。

(勝った)

 そう縁起祀は思った。間違いなく命中した。

 全身を砕き、瞬時に全てを破砕した。

 なのに、

 相手は笑っていた。

 不敵に、獰猛に、理不尽に笑う。

(何でだよ?)

 信じられない事だった。

 最大の攻撃を喰らったというのに相手は笑っている。

 よく見ると零二の全身を炎が覆っていた。

 それはまるで鎖帷子の様に纏わりついている。

 どういう理屈なのかは全く分からない。だが実際、それが本来であれば標的を即死させるだけの衝撃を緩和せしめていたのだった。

「あ、っ?」

 そこから先はもう勝負にもならない。

 既に縁起祀は静止していた。

 その動きは既にゼロになっている。

 相手の左手が彼女の肩を掴んでいる。

 零二は何も言葉を発しない。だが、こう言っているように思えた。”逃がさない”と。

 ぞわり、とした悪寒が彼女の……その全身を震わせる。

 零二はゆっくりと右の手を広げる。そこから一本、二本と指を折り曲げ拳を握る。

 左足を一歩地面に踏み出す。

 ミシシ、という音。地面に亀裂が入る。

 そこから伝わる動力か握られた右拳に伝わり、集約していく。

 向かって来るその拳と襲いかかる一撃は──もうどうしようもない程に最後の一撃となる。

 縁起祀の身体はまるで人形のように宙を舞い、そして地面に叩きつけられた。



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