狂信者(Fanatic)その19
ああ、ああ。
目の前が血に染まってく。
ポタ、ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。
とめどなく血が滴り落ち、幾ばくかの時を過ぎるその都度に、誰かが命を失っていく。
目の前にはもう何もない、誰もいない、あるのはかつて誰かだったモノの欠片だけ。
硝煙と火薬の臭いに、反吐が出る程に濃厚な臓物の臭い。鼻が曲がりそうだ。いいや違う。もう臭いなんか分からない。
そんな街を俺は歩く。ただひたすらに歩き、目の前に立つモノを手当たり次第に潰しながら歩く。
俺の中にあるのはただただ虚しさだけ。何もかもを失った俺にあるのは妙な力だけだ。
身体のほんの一部だけを硬くする力。
例えばこの拳。硬くなれ、と意識を集中させればそれだけで何もかもを砕けるようになる。
無敵だ。これを使えば何だって出来る。
そう思った。思えた。
それがどうだ。
いい気になって、油断した結果がこのざまだ。
大勢の誰かも分からない奴らがこっちに向かってくる。
身体はピクリと動かず、ただ奴らが迫るのを見ている事しか出来ない。
何もかもを失った。仲間は皆死んだ。俺だけが生き延びてしまった。人を殺した。この拳で、奪い取った銃で、転がってた石で、包丁で、ハサミで。とにかく手当たり次第に殺して殺して殺してやった。
どれだけ殺しても足りない。足りない。
何かが決定的に足りない。
どうすればいい? どうしたらいい?
いくら考えても、答えは出そうもなかった。
◆◆◆
「か、は、う゛うっっ」
デモリッションの全身が染まっていく。自分の血をまるで噴水のように吐き出して。
身体はピクリとしか動かない。指先を辛うじて動かすのがせいぜい。
「グ、グランドマスター」
視界も朧気になり、何もかもが曖昧になっていく。
「わ、わたしは、」
ここまで来れば理解せざるを得ない。間もなく自分は死ぬのだと。
「しんこうの、ちからがたりなか、ったのです……」
今際の際に考えるのは、唯一無二のお方。偉大なる指導者へ己が未熟さを悔やむ事のみ。今にも命は尽きる、そう受け入れかけたその時だった。
”リベレーター”
声が聞こえた。
小さい声、消え入りそうな程にか細い声、だが聞き間違えるはずもない、そんな事などあってはならない。何故なら。
「ぐ、らんどますた」
どうしてこの声を聞き違えよう。この世界で何よりも、誰よりも偉大なお方の声を。
”解放なさい。あなた自身を”
声は続く。さっき同様に、小さくか細く、消え入りそうに。
「あ、あ、ああ」
”授けた恩寵を今こそ解放するのです”
言葉は彼の中に轟き、染み渡り、そして、────。
「う、うオオオオオオオオオオオッッッッ」
絶叫と共に立ち上がる力を引き出すに至る。
「なに?」
歩は思わず唖然とする。確実に仕留めたはずなのに。
「バケモノ?」
美影はデモリッションの姿に思わずそうこぼす。
「お、オオオオオオオオオオオオオオオオオ」
獣のような叫び声をあげ、破壊者を覆っていた白い外套が不自然に蠢く。まるでそれ自体が生き物であるかのように、ウネウネと蠢き、デモリッションから離れ、宙に舞う。
するとどうだ。破壊者の肉体に変化が生じる。
ボコボコ、と全身あちこちの筋肉が隆起、またはあちこちが陥没していく。まるで粘土細工でもこねていくかのように異様な変化を始め、苦しみ、もがき、喘ぐ。
その変化はまるであの白い外套は一種の拘束具であったかの如く。さっきまでとはまるで違うモノへ変化していく。
「ぐらんど、マスターッッッッ」
その声はまるで亡者のような、低く、生き物とは思えない異質さを漂わせる。
モコモコ、と全身を隆起、または陥没させつつ、デモリッションは人でないモノへと変貌を遂げる。
「ウ、オオオオオオオオオ」
その姿は。
「ぐらんどぉますたぁあぁぁ」
人の形こそしているものの、その顔、腕、足、見える範囲全ての部位にはあるべきはずの皮はなく、肉を剥き出しにしており、グロテスク極まりない。
まるで人体模型そのものであり、その目には正気とは思えない異様な光を爛々と輝かせる。
「あ、ああああああああ」
その声には隠しようもない、苦悶が滲み出ていて、変異そのものがデモリッションを苛んでいるように見えた。
実際、デモリッションは全身より、ポタ、ポタ、と血を流し、のみならず全身の何処かしらが常に隆起し、また陥没している。その都度に、変化した部位は異常に発達し、またブシュ、と音を立てて潰れている。
「支部長、これって」
「ああ、変異したってレベルじゃない」
「……暴走してる。フリーク化してるのに、──」
「ああ。限界を超えて破裂寸前。もう長くない」
その変異はマイノリティ、暴走状態であるフリーク化をすら突破していた。
◆◆◆
ミラーカは語る。
「何もかもが壊された時、絶望に打ちひしがれた時にこそ、人間はその本質を露わにするわ」
少女でありながら、まるで淑女のように、品を漂わせたかと思わばまるで娼婦を思わせる艶やかさを漂わせる声音で。
「そうね。例えば欧州の何処か。長い間他国と途絶した国。
自由平等なんて程遠くて、政治権力と軍事力が全てを支配する国があるとしましょうか。
そこでは自由に子供も作れない。子供の人数は予め決められていて、それ以上増えるなら莫大な税金が必要だとするわね。
そんな国で、予期せぬ子供が産まれました。さて、どうしますか?」
まるで天使のようなまばゆさを思わせる笑みを浮かべ、
「答えてパペット」
また悪魔のように狡賢い邪悪さを感じさせもする。
「子供を捨てるしかない。方法は幾つかあるけど、中絶するか、文字通り捨てるか」
パペットは淡々と答える。人を模した人形にとって、不快な事を理解は出来ても、実感はない。感情を知っていても、本質的には理解は出来ない。今の問いかけにせよ、ミラーカの無邪気な悪意は読み取れても、それが自身にどういった変化をももたらさない事を知っている。
知識は並列化させた同じ自分達同士で共有化出来る。
その知識を元に様々な計画、研究を推し進める事も出来る。
だが、彼はどんなに研究を進めても、計画を練ろうが、達成感はない。感情を知ってはいても、持ち合わせない人形である以上、彼に満足などない。
「そうね。何の躊躇もなくそんな回答を返せる。素晴らしいわやっぱり感情がないって素敵よ」
ミラーカはだからこそ、人形の回答に満足した。
「人形に感情は必要ない。そうね、二ノ宮博士は本当に合理的で無駄がない」
でもね、と少女は前置きを一つ入れる。
「私は単なる人形よりじゃ、物足りないのよね」
まるで悪戯っ子のように無邪気に笑ってみせる。
「人間を人形にした方がずっと面白いわよ。それまで生きてきた人生を狂わされて、何かを壊したモノをお人形にするのって最高に愉快なのよね」
「……そうだね。君はそういう人だ」
パペットは知っている。ミラーカが何を楽しんでいるのかを。恐らくは今頃、そう遠くない場所で彼女は人形遊びをしているのだろうと。
「でも、いいのかい? この九頭龍にはかなり強いマイノリティがいる。君のお人形とやらも、ただでは済まないと思うのだけど」
「そうね。壊れちゃうかも知れないわね。でも、それがいいのよ。元々壊れかけたモノを人形にしたのだから。
放っておいたらそこで壊れてたモノなんだから、いつ壊れたっておかしくないし、構わない。形あるモノはいつか壊れてしまうのでしょう? なら、そういう事なのよ」
ミラーカは何処までも無邪気に、そして悪辣に。今まさしく街で起こる事態を楽しんでいた。




