狂信者(Fanatic)その18
(数分前)
ビチャ、という何か液体をこぼした音が無人のフロアに響く。それもバケツの注がれた水をぶちまけたような音。
「さて、準備は整ったな」
歩は手首から大量の血液を流し、足元を血に染めあげた。使ったナイフは血でコーティングすると、ホルスターに収める。
傍目から見れば、その流血量はどう見ても致命傷。間違いなく出血死する程の物だが、彼は顔色を少し青くするのみで、意識もハッキリしている。
「──行け」
小さく、呟くのと同時に床の血液は一斉に動き出す。具体的に言えば、小さな小さな穴を穿って床へと染み込んでいく。
(これで仕込みは済んだ。見えようがどうだろうが関係ない。少しばかり流しすぎたが、確実を期す為だ。仕方ない)
めまいを覚え、足元がふらつく。
「そろそろいかなきゃな、美影ちゃんがピンチだろうし」
うわごとのような声で呟きながら、ポケットから一本の注射を取り出すと、迷わずに首筋に刺した。
「う、っ。行くか」
注射器内に残った液体は緑色。まるで毒のような禍々しい色だった。
◆
「ふ、く、ふっっ」
デモリッションの全身へめがけ赤い弾丸、いや、刃だろうか、赤い雨粒が続々と襲いかかっていく。
確かに一粒一粒に関すれば、さほどの威力もないだろう。
貫通力があるとて、マイノリティであれば、耐えられない攻撃ではないだろう。
だがそれが無数であればどうだ。
「く、ぐ、う゛がっっ」破壊者はついに呻き声をあげる。
全身を射抜く赤い雨を前に、さっきまでの余裕など吹き飛んでいた。
「く、う゛お、っぐ」
一体どれだけの赤い凶器が全身を貫いたか、数え切れない。
相手へと向けた拳以外の全身に小さな小さな穴が穿かれ、その穴へと入り込んだ凶器は血へと戻って体内へ。その上で血は全身で振動を始める。無数の血の粒が全身くまなく振動を生じさせ、それらはやがて互いに共鳴、共振を起こす。
「ブラッディレイン」
鮮血の雨は歩の意思で振動する。
その特性を使って床を通り抜け、下のフロア、つまりはこのフロアの天井へ到達。そして相手が自身の勝利を確信、注意を散漫にさせる時を見計らい、天井を穿って降り注がせたのだ。
歩には感覚で分かる。自身の血の一滴一滴の振動、そしてそれらが互いに共振、増幅していくのが分かる。
「ここがお前の終着駅だ」
増幅した振動はやがて入り込んだ器を破壊する。
「う゛、ぐがっっ」
まるで冗談のように破壊者は全身から幾十、幾百、幾千、血を噴き出した。文字通りの意味で全身を己の血で染め上げ、白い外套もまた鮮血によって染め上げられていく。
それは例えるならば、デモリッションの体内から銃弾を無理やり発射したようなもの。この場合、弾丸とは歩の血液である。一度体内へと入り込んだ滴が、再度対外へと排出。行きがけの駄賃とばかりに体内をズタズタに破壊した上で、という悪辣極まりない攻撃。
「……………………」
如何にデモリッションが相手の肉体の兆候を視れようが関係ない。降り注ぐ無数の弾丸までは見切れない。視界の上、死角。ましてや狭い範囲での雨あられなど躱しようもない。歩には自身の血は見るまでもなく分かる。要はタイミングだった。
「か、っっ」
口から多量の吐血。全身をびくびく、と激しくびくつかせ、その場に倒れ伏す。
「ふう、やったか」
手首に貼った絆創膏を外し、相手から飛び出した己の血を回収する様は異様だが、足りない血液を補充するには一番手っ取り早い方法でもある。
「倒したんですね」
ようよう立ち上がる美影の問いかけに、歩は「ああ」とだけ言葉を返し、その場に尻餅をつく。
「確かに手応えはあったよ」
その呟きは、どうしても消えない漠然とした不安を拭わんとした彼の気持ちの発露だった。
◆
「あら、あら」
ミラーカはグラスを口につけようとして、動きを止める。
「これは面白い事になってるみたいね」
さっきまでは何処かつまらなそうだった表情を一変。
「思った以上に手強いのね。安心したわ」
彼女にとってはこの事態は歓迎すべき事だった。
「いいわ。解き放ちなさい。あなたの全てを出し尽くしなさい」
だって、何故ならば。彼はミラーカにとってお気に入りではあるが、失うには少し惜しい程度のモノでしかないのだから。
「あなたの名前を思い出すのよ。あなたは何者なのか、思い知らせなさい」
妖艶な笑みを浮かべ、
「【解放者】」
目の前にはいない、されど間違いなく自身が従えるモノの名を告げた。




