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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 14
471/613

狂信者(Fanatic)その11

 

 目の前が朱色に染まっていく。

 視線を落とさば、手もまた朱色。

 すぅ、と一息。鼻孔を刺激する独特の鉄臭さ。

 目を閉じ、耳を澄ます。

 ポチャン、ポチャンと水滴のような音は、ついぞ今し方、私が解放してさしあげた愚者からだろう。

 ぶる、と身を震わせて私は笑みを浮かべつつ、目を開く。

 吊した愚者は今や物言わぬ肉塊と化している。つまり、有り体に云えば死体だ。


 誰かが言っていた。殺人は悪い事だと。なる程、確かにそうなのかも知れない。人が人を殺すという行為は悪い事だとは小さく頃に大人が口にしていた。


 私は物心ついた頃には浮浪児だった。

 親に捨てられたか、或いは流行病か何かで死んでしまったのか、周りにいた同じような境遇の子供達はしきりにそんな話をしていたものだが、私はこう思う。そんな話に意味があるのか、と。

 私たちは親など知らない。知っている者も幾人かはいたが、そういった奴らは大抵長くは生きられない。

 飢え、病気、気候、あらゆる事象が敵だった。

 無力な子供にとってみれば、世界とは過酷なものだ。

 大人にしてみればどうしてこんな些細な事で? と疑問を抱くような小さな出来事で容易く死ぬ。

 薄汚れた私たちを周囲の大人たちは無視した。

 飢え、苦しんでいる仲間を横目に、何もせず無視し続けた。

 そしてやがて動かなくなった仲間はそのまま腐っていく。

 私たちには墓などない。

 何処かの国の何処かの薄汚れた街。

 そこでは自分以外のものなどどうでもいい存在。

 いいや違う。毎日のように鳴り響く銃声。広場で行われる公開処刑。きっかけなんて何でもいい、ただ目が気に食わないだとか、めぼしい女を手に入れようとしたら、既に恋人がいたのがむかついた等々。つまらない理由で人は死ぬ。私たちはそういった世界で生きていた。

 だから理由なんて必要ない。私たちが死ぬのにも理由なんて必要ない。


 その日は、いつもよりもずっと冷え込んだ。

 地下にある下水道管と、皆でくっ付いて暖を取り、何とか寒さを凌ごうとしていた事を覚えている。


 聞き慣れない靴音に目を覚ますと、私たちは兵隊に囲まれていた。

 彼らはただニタニタと底意地の悪い下卑た笑みを浮かべ、何の躊躇もなく銃口を向けて引き金を引かば、無数の火花が、血が飛び散った。

 私も全身に無数の銃弾を撃ち込まれ、地面に倒れ込む。

 兵隊は運ぶのを厭うたのか、私たちを下水へと蹴り落としていく。

 みんなが流れ、或いは沈んでいく。

 私たちはこんな事で死ぬ、何故だ、と思った。

 確かに私たちは嫌われ者だ。大人たちから見れば汚物も同然だろう。だが、だからってこんな最期を迎えなければいけないのか?

 こんな下卑たやつらに殺され、汚水にまみれていく。そんなのが最期でいいのか? いやだ。そんなのはいやだ。


 私は手を伸ばし、近くにいた兵隊を引き倒す。相手はまさか子供の一人がまだ死んでないとは夢にも思わなかったのか、頭から血を流し、驚いた顔を浮かべて、死んだ。殺すのは簡単だった。彼らが銃を使うのを目の前で、特等席で見たのだ。使い方は分かってた。他の兵隊がこっちを振り向くが、膝立ちの状態の私の方が相手を撃つまでの時間は短い。それにこの狭い地下では兵隊は展開出来ない。今度は血をまき散らすのはお前らだった、それだけだ。


 簡単だった。人を殺すのは本当に簡単だった。

 こんなに簡単に殺せるのなら、どうしてもっと早く覚えなかったのだろう。そうすれば、みんなはまだ死なずに済んだかも知れない。いつの間にか撃たれたはずの傷はなくなっていた。



 ◆◆◆



(九月二日 午前一時二十一分)


 深夜。九頭龍駅周辺にいくつかある商業ビル。

 元々は旧福井県周辺の再開発事業の一環として、整備されたビル。

 経済特区九頭龍となった今では同規模のビルが他にも複数整備され、かつて程の存在感は醸し出さなくなったものの、それでも駅前のランドマークとして機能している。

 本来ならば、今日のこの時間は一階及びに二階部分の飲食店が定期的に行っているキャンペーンの為に混雑しているはずだったのだが………。

「ふっ」

「ふふ、っ」

 静まり返ったビル内に、甲高い金属の激突音が響く。

「く、」

「どうしましたか? 少しも当たりませんよ?」

 カキン、という金属の激突音。

 静まり返ったビル内では、戦いが始まっていた。


「ふふ、なかなかやりますね」

 白い外套を纏ったデモリッションは、まるで亡霊のような不気味さを醸し出す。

「褒めても何も出ないぞ」

 西東も不敵な笑みを浮かべつつ、手にした特殊警棒を振るものの、内心では不安を覚えている。

(くそ、思った以上だな)

 このビルに入る前に確認したから分かっていたが、一般人の人数が多い。

 戦いながらなので確認こそする暇もないが、人質ならば前面に、こちらに見えるように出すはず。それが一人もこのフロアには姿がない。

「どうしましたか?」

 一方のデモリッションはまるで作り物のような笑みを浮かべつつ、右ストレート。次いで左のハイキックを放つ。

 西東は「ち、」と小さく舌打ち。ストレートは顔を逸らして回避。ハイキックは右腕でブロック。同時に右手にあった警棒を手放し左手でキャッチ。そのまま一気に上へ、顎先を狙って振り上げる。

「ふふっ」

 破壊者の異名を持つ男は、笑いながら後ろへと倒れ込んで躱し、ついた勢いを利用。鋭い蹴りを放つ。西東もまた後ろへ倒れ込んで躱してみせる。

「どうしましたか? どうにも集中出来ていないようですが」

 いち早く態勢を立て直し、次いで西東も立ち上がる。

「そんな事はないさ」

 嘘だった。西東はデモリッションの指摘する通りに戦いに集中出来ていない。嫌な予感を感じていた。

「ふふ、嘘ですね」

「くっ」

 デモリッションは西東の警棒を右腕で軽くいなす。同時に左の貫手を胸部へ。

「ぐ、か」

 とっさに後ろへと下がるも避けきれずに胸部を直撃。衝撃で肺から酸素が抜けていく。

「ふふっ」

 デモリッションはくるりと回転。そのまま後ろ回し蹴りを腹部へ叩き込む。大きく後ろへと吹き飛ばす。

「どうしたのですか? もう終わり、なのでしょうか。いやまさか、そんな事はありませんよね?」

 大きく口元を歪め、破壊者は嗤う。

「ああ、まだまだだ」

 西東は立ち上がる。派手に転がったのは態勢を整える為、仕切り直しの為だった。

 とは言え、状況は変わらない。

「ああ、実にいい」

 ふる、と興奮で全身を震わせる。

「あなたは実に──」

「言ってろ」

 西東からすれば、わざわざ相手の口上に乗ってやる理由など皆無。そもそも対峙してすぐに分かった。相手と自分との力量差を。

「ふ、ふふっ」

 破壊者は笑いを崩すことなく、迫る警棒をいなす。

「──」

 西東は表情を変えずに攻撃を続けていく。

 そのいずれをも相手は腕で受け流す。最早間合いを把握されたのは明白。このままではすぐにでも反撃を受ける。それも強烈極まりない一撃が。

「ふっ」

「う、ぐっっ」

 そしてその時は来た。

 破壊者は腕を跳ね上げて警棒を弾き飛ばす。

 西東は得物を失い、さらには態勢を崩された。そこに肩からのぶちかまし。後ろへとたたらを踏みつつ転倒は拒絶。

 決定的な隙が生じる。

 破壊者、デモリッションにとっては解放の始まりであり、西東にとっては致命的な状況。

(ああ、やはり、か)

 西東は分かっていた。繁華街、進藤と顔を合わせた時、あの現場を見た時から。

 白い外套をまとった敵は自分よりも強いだろう、と。

 そして予測は的中、この有り様。相手はやはり格上だった。

 単純に比較は出来ないが、格闘技術に限れば武藤零二よりも上に違いない。

「ふ、ふふっっっ」

 狂気に満ちた笑顔を浮かべ、デモリッションは右腕を大きく振りかぶる。腕刀──ラリアットだろうか。

 間違いなく相手は勝利を確信している事だろう。

(全く難儀だ)

 そう。分かっていた。

 真っ向勝負になれば()()()()()()()()()と。十中八九敗北、死ぬに相違ない。

(ここまで予想通りだとはな)

 分かっていた。返り討ちに遭うだろうと。

 その上で生き延びる。

 腕刀が迫る。直撃すれば内臓は破裂し、場合によっては胴体が両断される可能性すらある。

(ああ、そうだ。来い)

 普通ならば恐怖におののき、戦意など消え失せるに違いない状況。これこそが西東にとって()()()()()()()に他ならない。

 よろめいたのも計算。


 直撃応報──ストライクウェイジ。


 己の手で触れた物の速度を増減させる西東のイレギュラー。

 今まさに死に瀕するこの状況こそは彼にとっての勝機に他ならない。

 この状況を呼び込む為に散々っぱら相手と打ち合った。

 間合いを把握させ、反撃させる為に。同時に自身も相手の間合いを把握する為に。

 相手の好機こそ翻って自身にとっての好機でもある。

 その為に、得物を警棒だと思わせた。

 腰に備え付けたナイフはいつでも抜き放てる。

 その為にもまずは相手に触れなければならない。触れた瞬間に速度を奪い、転換して自身の反撃への加速へと変換。何が起きたかを把握した時には致命傷を与える。これが西東にとっての必勝パターン。

(仕込みは上々、いざ勝負だ)

 全ては計算通り。これでチェックメイト。そのはずだった。

 だが。

「か、っは」

 直撃応報は発動し得ない。触れるはずの手は空振りしている。破壊者は腕刀ではなく、突き刺すような肘を胸部へ叩き込んだのだ。

「な、に?」

 西東は触れるはずの腕の軌道を変えられ、逆にカウンターを喰らった。肺にあったであろう酸素は一気に抜け切り、力が入らない。

「ふふ、残念でしたね」

 嘲るようにデモリッションは耳元で囁く。その横顔には焦りなの色などなく、余裕綽々。西東を前へと突き飛ばし、壁へ叩き付ける。

「では、解放してさしあげましょう」

 反撃する力を喪失した西東は、ただ考える。

(────なぜだ)

 何処で、何故、こうなったのかを。

 白い外套を翻し、破壊者は拳を握り締める。とどめを刺すつもりなのは明白だ。

 だが考える。それしか出来ない。どうしても腑に落ちない。

(タイミングは合っていたはずだ)

 なのにどうして通じなかった? 結果として敗北するのは理解出来るが、この結末には合点がいかない。

「では、安らかに逝きなさい」

 拳が迫る。真っ直ぐに顔へ向けて放たれる。絶体絶命、逃れ得ぬ死が西東を食い尽くさんと猛威を振るわんとした瞬間。


「そこまでよ」

 女性の声。西東の顔の直前で拳は静止。

 そして理解した。

(そうか、その可能性があったか)

 西東は意識を失う寸前、答えに行き着く。

 だが答えを口に、言葉には出来ない。そのまま力なくズルズルと崩れ落ちていく。そして「邪魔ですよ」と見下すような言葉と共に破壊者から突き飛ばされ、パーテーションを突き破って転がっていった。


「…………ふふ、今日は素晴らしい夜です」

 デモリッションは破顔一笑する。

「まさか、貴女が来られるとはね」

 その視線の先にいるのは、長い黒髪に眼鏡をかけた少女。すなわち美影。

「ああ、会いたかったですよ【ファニーフェイス】」

 西にとどめを刺す事もなく、新たな、待ち望んでいた相手へと歓喜の声を上げて走り出すのだった。


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