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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 14
470/613

狂信者(Fanatic)その10

 

(九月二日午前一時)


 WG九頭龍支部は表向き総合病院という体裁で存在を秘匿している。病棟を大きく二つに分け、一つは一般病棟であり、こちらは普通の病院として機能。もう一つの特別病棟こそWG九頭龍支部であり、こちらには一般人は身分証及び許可証のない者は決して入る事は出来ない。

 では、どう見ても医者には見えない美影や歩は支部に入っているのかと言えば、一般病棟の一階にある図書室からである。

 十万冊という、とても病院とは思えない蔵書数を誇る図書室の奥には地域資料室がある。この部屋は、持ち出し不可の資料が棚に置かれ、入室するには指紋や声紋などが必要。基本的に専門家などでもない限り入室までの手間が面倒なので登録者はほぼいない。これをWGは利用、支部機能を作るに際して、この資料室から地下通路を増築。そのまま特別病棟、支部へと繋げた。


「何回使っても妙な気分です」

 地下通路を歩く美影は、この通路にどうにも慣れない。

 思えば以前からこういう狭い空間にはいい印象を持てなかったように思う。

「ああ、人それぞれだからな」

 いつもであれば茶化すはずの歩だが、美影が本能的にこうした空間に嫌悪感を抱いてしまう理由に察しがつくからだろうか、言葉を濁す。

「…………」

 美影もまた、歩が気を使っているのが分かってしまう。

(まぁ、アタシこういう通路ばっかり歩いてきたものね)

 今更ながらに思う。嫌悪感を抱くのは、実験施設での日々を思い出してしまうからだと。

 まだ幼かった子供の頃。WDのあるファランクスによって拉致された自分は、そのまま研究施設に送られ、あちこちを転々としてきた。実験動物として、非人道的な行いを強制され、何度も何度も実行した。そうしなければ、こうして生きている事など出来なかったのだ。分かっている、納得している。

(でも、)

 ふと天井を見上げる。

 分かっている。この地下通路は研究施設のそれとは違う。あのジメジメとした不快な湿気もないし、足元だって濡れてはいないし、何よりも薄暗くはない。

 色こそ同じく灰色だとは言え、この通路は照明もしっかりしており、空調も整っており、空気も淀んではいない。

 だから分かっている。

 ここは()()のだと。

 研究施設ではないし、自分もまた実験動物ではない、と。

 分かってはいるのだが、ついぞ思ってしまうのだ。

 これはもしかしたら、夢なんじゃないのかと。

 本当はまだ自分は何処かの研究施設にいて、相も変わらず実験動物のままなんじゃないのか、と。

 現実が嫌で、夢でも見ているのではないのか、と。

(バカげてる、そんなハズないじゃない)

 そう。そんなはずはない。それは分かっているのだ。それでも、ふとしたきっかけで思い出してしまう。


「さ、乗ろうか」

「あ、はい」

 歩に声をかけられて、我に返った美影はようやく自分がエレベーターの前に到着したのだと自覚する。


「…………」

 エレベーター内で、歩は美影の様子を横目で見た。

 美影は隠しているつもりだったが、歩には彼女が動揺しているのが一目で分かった。

(まぁ、色々あるってのは分かってたからね)

 歩には美影のような経験はない。少なくとも、得体の知れない研究施設など送られた事などないし、ましてや実験対象になどなった事だってない。

(だけど、何となく分かるよ)

 だが、歩は美影のような経験はなくても、理解は出来る。

 地下を脱したエレベーターはすぐに停止。だが扉は開かない。理由は上に上がる前の待機時間。

 このエレベーターは病棟と直通。もっとも、存在しないはずの地下階層に通路がある為に、万が一支部内に入り込んだ般患者などにばれない為に、こうしてエレベーターは一時停止した後、上がっていくのだ。

(まぁ、意識しないようにはしてるけどもな)

 普段ヘラヘラと軽薄な笑顔を浮かべている歩とて、かつて欧州の某国にて外人部隊に所属していた。軍人、それもマイノリティの特殊部隊出身である以上、嫌な記憶や経験は存在する。

(ちぇ、どうも引きずられちまってるな)

 軍隊という組織の目的は敵を殺す事。ましてや外人部隊というのは云わば潰しの効く存在。自国民ではない兵隊。国民から非難を受けにくい、自分達とは近しくも縁遠い他人。

(ったく、俺もまだまだ、だな)

 多くの人を手にかけた。任務とは言え、多くのものを奪った。だが後悔はしていない。武藤の家を出たその日より、とっくに覚悟は定まったのだから。

 美影には気付かれないように、ふう、と小さく息を吐く。

 そして、その吐息に合わせたかのように、エレベーターは目的地に到着。扉を開け放った。



「結論から言えば、デモリッションについての新たな情報はありません」

「あ、そっか。困ったなぁ」

「…………」

 歩のテンションが低い事に家門は内心驚いていた。

 彼女の知る限り、春日歩なる人物は夜行性の生き物。夜が更ければ更けるほどに元気になっていく。そして困った事に、なかなか寝ない。おまけに用意された宿舎には戻らず、支部長室のソファーやら仮眠室で寝泊まりする。ついでに言えば寝起きは悪く、脳細胞の活性化には三時間を要する。

「ですがネットダイバーの調査で、彼が今後どういう行動に出るのかを絞っています」

 ネットダイバーこと林田由衣は、現在進行形で言葉通りの意味でネットの海へと沈んでいる。自身の意識を電子情報に変換出来る彼女に、ネットとはまさしく海そのもの。潮流の泳ぎ方さえ理解すればどんな小さく、深く沈むアングラ情報であっても見つけ出す事が可能。

 とは言え、今回の敵であるデモリッションに関してはそのアングラ情報すらそう見つからない。あまりにも特徴的な犯行現場などからは容易に手がかりも残っていそうなのに、痕跡を殆ど残さない。

「美影ちゃ、……いや、ファニーフェイスは?」

 缶コーヒーをゆっくりと飲みつつ、歩は訊ねる。

 いつもであれば上司の軽口を咎める場面だったが、家門もまた、二人の様子に思う所があったのか、

「彼女には待機してもらっています」

 いつでも出撃出来るように、と付け加えるのみに留める。

「そっか、そうだな」

 歩もそれ以上何かを言うつもりはないらしく、視線を天井へ向けると目を閉じる。

「では、失礼します……」

 家門は自分の役目を終えたと判断、部屋から退出しようとしたのだが。

「待ってくれないか」

「──」

 思わず足を止める。

 それは消え入りそうな声だった。

「その、もうちょっとでいい。ここにいてくれないかな」

「…………」

 その声はまるで普段からは想像出来ないような、不安げな響き。

「わかりました。今は取り急いで業務が残っている訳でもないので」

 家門は歩と対面するようにソファーに腰を落とす。

 そのまま、特に会話もなく、ただそこにいるだけ。だが歩にはそれで充分だった。



 九月二日。

 それはほんの僅かな時間。

 WG九頭龍支部は静かな時間を刻んでいた。


 だがそれも本当に僅かな時間。

 程なくして、デモリッションの情報が林田由衣の口から伝えられ、歩にせよ、美影にせよ共に否応なく戦いへと駆り出されるのであった。


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