狂信者(Fanatic)その9
「支部長、……建物内にいるのは二人です」
「へぇ、やっぱし便利だよな熱探知ってのは」
「それでどうします?」
「ん、まぁ行くわ」
「…………え?」
「おいあんたら。ちょいと道に迷っちまったんだけどさ──」
「え、ちょ、何やってるんですか」
(およそ一分後)
「さて、とりあえず教えて欲しいんだけど」
ニッコリと満面の笑みを浮かべ、歩は拘束した老人へと視線を向ける。
「…………ハァ」
一方で美影は呆れて物も言えない。
(もうちょっと、こう、冷静に相手の様子を窺ってからでも良かったはずだと思うんだけど)
人数確認しただけで、いきなりの強行突破という拙速にも程がある歩の行動が美影にはにわかに信じ難い。
(まぁ確かに、飛び出した後は的確だった、とは思うけど)
順を追っていくと、人数確認をした歩は何の躊躇もなく、ドア越しに声をかける。中から声が聞こえ、足音が近付くのを確認。中からドアを開くのを見るや否やでいきなり相手ごと建物のドアを思い切り蹴り飛ばし、突入。
蹴り倒した相手をさらに蹴り上げ、残った相手が面食らっている隙を突き、腕を掴むと引き倒す。そのまま腕を捻り上げ、あれよあれよという間に中にいた二人を拘束したのだ。鮮やかな手並みだと言っていいだろう。
「さぁ、ネタは上がってるんだ。早く口を割った方が身のためだぜ」
歩はまるで刑事ドラマのような、それも刑事というよりチンピラみたいな口上で相手を尋問している。その様子はどう見ても下っ端にしか見えず、とても支部長とは思えない。
「…………ハァ」
美影は一瞬でも歩に感心した事を後悔。溜め息をついて渋い表情になる。
万事この調子なのだ。上司だとは理解しているものの、どうにも納得出来ない。ともかく、と思いつつ改めて気を取り直して視線を向けてみる。
「あんた、……何か勘違いしていない?」
歩を見上げ、拘束された状態の中年女性は困惑の声をあげる。
「ん?」
「私たちは……」
「ああ、そういうのはいいから」
歩は手を差し出し、言葉を遮ると、「言っとくけど、俺は手加減しないぜ」と酷薄な笑みを浮かべてみせる。
「あんたがどういう言い訳をしても通じないぜ」
不意に背中を向け、歩き出す。
「支部長、何をしているんですか?」
美影には歩の意図が分からない。
尋問に立ち会った経験は彼女にはないものの、一つだけ分かる。歩は何か確信を持って行動している、と。
「ふむ、大体の大きさは把握した。なら、量は……」
ブツブツと小声で何事かを呟いた次の瞬間、腰に手を回し、ベルトに引っ掛ける形で固定されていたホルダーからナイフを取り出す。そして迷わずに自身の手首をその刃で切り裂く。
「支部長?」
美影は何を、と言いかけて言葉を止めた。歩の意図を察する事が出来たのだ。
「ん、いい感じだ」
歩は平然とした表情で、地面へと血を滴らせていく。
手首から発した血は、最初こそ勢いよく流れ落ちていたものの、ものの数秒足らずの間に徐々に、だが明らかに出血量を減少させていく。
普通であれば単なる自傷行為。自殺願望でもあるのでは、と思われてもおかしくない状況だが、これも歩のイレギュラーが”血液操作能力”に属するものだからに他ならない。
例えば、警察などの捜査機関が建物の調査に際して、様々な機器を投入するように、この場合ならば床に流れ落ちた血液が円を描くように広がっていき、ほのかに赤く染め上げていく。
そして。
「あ、そこね」
歩はにこりと笑って歩き出す。
「ほうほう。ええ、っと、よいしょ、と」
そして迷う事なく積み重ねてあった簀の子をどかしていく。
「……あ」
美影は拘束した中年女性の口から漏れた声を聞き逃さない。何かある、と確信し、彼女もまた歩と一緒に簀の子をどかしていく。
「これは、地下への入り口でしょうか?」
最後の簀の子をどかせて、美影が目にしたのは赤一色の床にあって、白く区切られた四角い跡。その中央には取っ手が付いている。
「さて、ここは何なのかな?」
悪戯っぽく歩は笑い、よいしょ、と取っ手に手をかけて引き上げる。
ずず、とした音を上げ、地下への階段が姿を現し、同時に階段を照らす為だろうか、壁に据え付けられた無数の照明が光を灯す。
「これはこれは、随分とまぁ」
階段を降りた先で歩は人の悪そうな笑みを浮かべる。
「…………これは、」
次いで階段を降りた美影も表情を曇らせる。
地下にあったのは、到底不動産会社とは見えぬ、穀物の倉庫から一転。
「……黒ですね」
およそ普通の生活からは最も縁遠いもの……つまりは銃火器の保管庫だった。
(九月一日午後十一時半)
「しっかしまぁ、よくもあれだけの銃器を持ち込んでたよな」
歩は件の銃の保管庫だった建物からほど近い、九頭龍川の堤防から無数のパトカーを眺めている。
「結局、大した情報はありませんでしたね」
保管庫を見つけられたからだろう、拘束された中年女性と目を覚ました男性は口を割った。
二人が言うには確かにここはNWEの施設との事。およそ三年前からあの場所で欧州経由で銃器をため込んでいたらしい。
中年女性が叫んだ。
”いずれ来るべき時、偉大なる教えを我らは愚かなる凡人に説かねばならない。我らこそ新たな世界の為のこの世界の敵、新たな世界の担い手たる尖兵なのだ”
それはもう、およそ正気とは思えない、誇大妄想。
「下っ端とは言え、あれで本人達は至ってまともなつもりだってんだ。どうも相当に浸透してるってみた方がいいのかもな」
やれやれだぜ、と歩は肩をすくめる。
「でも、肝心な話は分かりませんでしたね」
「ああ。例の殺人鬼、デモリッションについては連中何も知らないみたいだったな。無駄足だった訳だ」
これ以上の情報は得られないと判断した歩は即座に警察に、正確には特殊犯罪対策班へ通報。その結果が今、そこで起きている光景だ。
「しっかし、どうするかな」
これでデモリッションについての情報収集は振り出しに戻った。
「一度、支部に戻りませんか。もしかしたら、家門副支部長なり林田さんなりが新しく情報を得ているかも知れません」
「そうだなぁ。なら、そうするかな」
「はい。でもまずは連絡しましょう」
「おお、そうだな。美影ちゃんは気が利くなぁ」
「茶化さないでください」
「はっは、まぁまぁ気にするな気にするなって」
お気楽そうに笑う支部長の背中を呆れ顔で見ながら、美影は思う。
(ハァ、やっぱりこの人。武藤零二の兄弟だ。ホントいい加減なヤツ)
どうしてかは分からないが、何だか無性にこの場にいないとある不良少年の顔が思い浮かび、「フンッ」と、思わずその場で足を蹴り上げる。
「おわ、っっっ」
そして予期せぬ背後からの蹴りは、完全に油断していた歩の背中へ命中。勢い余って堤防を転がっていき、派手に下へと落下。
「あ、…………」
顔から血の気が引いていく。いかにいい加減な相手だとは言えども、仮にも支部長を足蹴にしたのだ。これは流石にまずい、そう思った美影は即座に電話を入れる。相手は。
──もしもし、どうしたのかしら?
「もしもし家門さん、美影です」
──あのね。任務中ならコードネームを使いなさい。そんな事も……いえ、あなたは当然知ってるわよね。どうかした?
「その、支部長を足蹴に…………」
(以下略)
──別にいいわよ。処分とか。
「え? でもアタシ。いえ、私……」
──そもそも春日支部長の日頃の行動には問題が多すぎます。暇さえあれば外でナンパナンパナンパナンパ。
「え、ええ。まぁ……」
──大体支部長には自覚がなさすぎるの。自分が軽率な行動をする事で支部の仲間がどう思っているのか、とか全く……。
「────」
──この前、日本支部に行った時なんかよその支部の支部長に鼻で笑われたのよ。ああ、あの時のナンパ師君か、って。それで春日支部長は何て言ったと思う? あはは、って笑うだけなのよ。有り得ない、馬鹿にされたのに、笑うだけって何?
「────は、はい」
美影は理解した。日頃真面目な人間が怒ると、かくもとめどなく文句が出るのだと。そして、家門恵美に支部長の事で文句をいうのは避けるべき、だと。
支部へと引き返すバイクで、歩と美影は不自然なまでに静かだった。




