パペッターの末路
「は、はぐっっ」
息を切らせて、辛島綾取は走る。
今日、この日。彼は人生でこれ以上ない屈辱を味わった。
武藤零二への復讐は失敗した。
準備は完璧だったはずだ。サイトで集めた連中はどうだって良かったが、ギルドから派遣されたはずの人員は姿すら見せなかった。
「クソ、金だけもらって逃げやがって」
彼は知る由もない。ギルドは確かに人員を送ったが、二人ともこの世から消失したなどとは。
「あっっ」
足を取られ、倒れる。
「くそ、くそ、くそ、くそおっっっっっ」
その場で手足をばたつかせ、地団駄を踏む姿はまるで幼児のようでもある。
「悪くない、だって、さ」
辛島綾取は、今回の件を思い返してみる。
失敗した理由は一体何だったのか、どうして失敗したのかを省みる。
「そうだよ。あいつだ」
ギルドの連中に話を付けたのはそもそもイーグルだった。
どういう訳が伝手があり、それで金を渡した。
「あいつが悪いんだ」
そもそも、イーグルが何か手違いをしたのだ。でなければ、こんな事態になどなっているはずもない。
「そうだよ、きっとイーグルの奴が金の支払いをケチったに違いない。そうじゃなきゃ、そもそも全部嘘だったんだ」
辛島はこの事態の原因が他人、イーグルなのだと自分に言い聞かせる。
「くそ、くそ、クソッッッッ」
怒鳴りながら歩く内に、どうやら見知らぬ道へと入っていた。見覚えのない通りが目の前に広がっている。
「なんだここ?」
「うん。ボクが思うに原因は君にあると思うよ」
「──うわっっひっっ」
突然横から声をかけられ、思わず飛び退く。
「誰だっっ」
精一杯強がって声を張り上げ、相手を睨むと、そこにいたのはまだ幼さを残した少年がいた。
「ボクかい? ボクはパペット。そうだな、この辺りの通りの主って所かな」
「はぁ? 何言ってる、馬鹿なのかお前」
相手が子供であれば何を恐れる必要があろうか。
辛島綾取にとって、目の前の子供はまさにそういう相手に見えた。
「大体何なんだお前? ガキのくせしてずいぶんと気合いの入った格好をしてさぁ」
そう言って目の前の少年、パペットへ凄んでみせる。
長袖の白のヘンリーネックカットソーに同じく白のマフラーを首元に。色褪せた感じに加工されたであろうスキニージーンズ、足元はブーツという出で立ちは確かに子供らしからぬ格好であり、辛島からすれば嘲笑の対象に映ったに違いない。
ついさっき屈辱を味わった辛島から見て、目の前のパペットはさぞや鬱憤を晴らすのに丁度いい相手として映っただろう。
「お前、僕に──」
「──イヤだね」
「く、あう゛ぁッッ」
ビリリ、とした刺すような痛みを受け、辛島の全身がビクつき、その場で力なく倒れた。辛うじて首を動かして何が起きたのかを確認、少年の爪先がパカッと開き、そこから小さな針が飛び出しているのを見た。
「な、にしやが……うう゛ぉッ」
パペットはブーツで辛島の口を塞ぐと満面の笑みを浮かべる。
「あのさ、……一言だけアドバイスしとくね」
「ヴヒ、ッッッ」
辛島はパペットの言葉に恐怖を感じ、悲鳴をあげる。
「君さぁ、才能ないよ。ボクが知ってるマイノリティの中でもぶっちぎりで最下位だね。ボクなら恥ずかしくて世間様に顔向け出来ないや。ハハハ」
「な、なにいって」
辛島の全身に悪寒が走る。
(だめ、だ。これ、以上は)
もしも聞けば、取り返しの付かない事態に陥ってしまう。分かっている、分かっているのに、身体が痺れて動かない。
「そうだね。パペッターだっけ君。うん、ボクはパペットだけど、君には操られたくないな。下手くそな人形遣いに遣われるのなんてお断りだものね」
「や、めろ」
「どうしたの? そんなにガタガタ震えちゃって。ボクはこんなに小さいのにさぁ。何をそんなに怖がるの、辛島のお・に・い・さ・ん」
「う、な、」
辛島綾取はいよいよ混乱していく。相手がどうして自分の名前を知っているのか。いやそもそも、どうして自分がパペッターだと知っているのか。
「あれあれぇ。顔が真っ青だよ、どうしたの? 何処か具合でも悪いのかなぁ」
くっく、と自分よりもずっと小さな子供の嘲笑う声が聞こえる。
だが怒りを感じるよりも、辛島を支配するのはただただ恐怖のみ。
(な、んだこいつ。ガキなのに、いや、だ)
血の気が引いていくのが分かる。身体が冷えていくのが分かる。
「んー。もう折れちゃったかな。精神干渉能力者なのに、脆い精神だね。そんなのだからさぁ、────」
何かに気付いたパペットはそこで背後へ振り返る。
「誰かが────来る?」
日頃他者に見せる事のない、険しい表情を浮かべて、予期せぬ来訪者を待ち構える。
「な、なんだ、これ……」
辛島は目の前で何が起きているのか理解できない。
気付けばあの子供と全く同じ、同一人物としか思えないモノが
複数いた。
それらは一点を睨み付けている。
だがそこには何も、誰もいない。
「おい、何を……」
問いかけようとした瞬間、事態は動く。
目の前の虚空がパリンと割れた。
冗談のように、ガラスでも割ったかのような音と共に。
そして割れた先には真っ暗な闇。何者をも寄せ付けぬ暗黒が垣間見える。
そこへ、ぬう、と手が伸びてきたかと思った次の瞬間、虚空の亀裂は一気に広がっていき────砕け散る。
「誰?」
パペット、人形達は一斉に虚空の先の相手へと声をかける。
「…………」
辛島もまた、固唾を飲んで何が起きるのかを見守ろうとして、我に返る。
(今なら、逃げられるんじゃ)
さっきまで指一本まともに動かせなかったが、それも大分緩和されている。走って逃げ出す事は叶わずとも、地面を這っていく位なら出来るだろう。
「く、っっっ」
ズズ、と地面を擦って、辛島綾取は逃げ出そうと試みる。どうやらパペットとかいう少年の注意は完全に乱入者? へと向いている。
「あら、誰とは心外ね。お互いに見知らぬ間柄じゃないのに」
艶のある声がした。女性なのは間違いない。振り返って顔を見たくなるのをこらえる。
「君か。何の用事だい?」
パペットとかいう少年は女性に声をかける。
「ウフフ。分かっているくせに………」
「【ネフィリム】か」
「ええ、アナタしかいないのよ。来てもらうわ」
「断る、って言いたいけど……」
「そうなの? 別に構わないけど、その場合は──」
「分かった。ついていく」
「ウフフ。物分かりが良くて助かるわぁ」
「どの道、ここに君が来た段階で詰みだしね」
「そうね。手間が省けて本当に助かるわ」
「で、彼はどうするんだい?」
パペットの言葉に、辛島はビクつく。そう。パペットは気付いていたのだ。
「あら、誰なのあの子」
女性は何も気付いていなかったらしく、意外そうな声をあげる。
「お客様だよ、一応ね」
「なぁに、面白い子なの?」
「全然、ボクの知る限りで最低ランクのマイノリティだよ」
「へぇ~」
カツン、カツンと甲高いヒールの音が近付いて来る。
「ねぇ坊や。こっちを向いてくれないかな」
「ヒィッッ」
恐怖を感じ、辛島は慌てて立ち上がると、そのまま一目散に逃げ出す。
「……っっ」
辛島自身、つい今の今まで這いずるのが精一杯だったのがまるで嘘のような自身の動きに驚いていた。
「ハァ、ひっっ」
無我夢中だった。ひたすらにこの場から少しでも離れる事だけを考え、必死に走る。
(まずいあの女はマズい)
声と、ヒールの音しか聞いていないが、本能がそう訴えかける。もしも捕まれば、死ぬ。ただそれだけは分かってる。
「あら、どうしたの? そんなにワタシに会いたかった?」
「え、へ?」
なのに、あの女の声がした。それもすぐ傍、真横から。
「そんなに必死に逃げなくてもいいのに。可愛いわね」
すす、と肩に添うように手が伸びる。
「──ぃッッ」
ぞぞ、とした寒気が走った。まるで蛇が蠢くような感触がして、そして──。
「はい、いい子ね」
「……グヒュ」
ズブズブ、と何かが刺し込まれた。そして生温かいモノが溢れ出すのが分かる。
「あ、ひ、ひい、あ、…………」
声にならない声が漏れ出る。
おかしな事に痛みは段々と遠退き、心地良くなる。
「ウフフ、そう。すぐに終わるわよ」
艶のある声。まるで恋人にかけるような甘い声。
「ウ、ヒャヒャ、アヒャアヒャ」
例えようもない解放感、快楽が辛島の中を満たしていく。脳みそが蕩けていく。何もかもがこの途方もない快感に包み込まれて────辛島綾取というモノはそこで終わった。
「────」
ドサ、と崩れ落ちる辛島綾取、だったモノをパペットは何の感慨もなく見下ろした。
ピクリともせず、呼吸も止まっている。もう間もなく心臓の鼓動も止まるはずだ。
「満足したかい?」
「まさか、最高にマズいわ。こんなに味気ないのはいつ以来かしらね。一言で言って何の価値もないわね」
「…………」
人形であるパペットだが、流石に辛島綾取の最期を目の当たりとし、若干の同情の念はある。
(そもそも、君がボクの縄張りに入ったりするから、だけど)
この路地裏は、単なる裏路地ではなく、イレギュラーによって作られた空間である。
入り口は九頭龍の何処でもあり、何処でもない。
ここに入る、入れるのはパペットが許可を出した者のみであり、意図的に入れるものなどいない、はずだった。
(いずれにせよ、彼女は入った。つまりはもう……)
パペット自身に勝機はない。だが、まだ打てる手はある。
“ボクの合図でこの空間を押し潰すんだ”
空間を管理する仲間へ、声にならない声で話しかける。
空間毎圧縮すれば、流石に彼女でも死ぬはず。これこそが万が一の切り札である。
「あら、臭うわね」
ブシャ、と音を立て何かが潰れる。
「──!」
パペットの目の前に落ちてきたのは、一匹の野良犬。
同時に空間が歪み始める。
「あらあら、本当に臭いわ。ウフフ、」
蔑むような声、そして妖艶な笑み。
この野良犬こそが空間を支配するマイノリティ。
パペットは切り札をも失い、抗う術はもうない。
「さぁ、来てもらうわね」
その紫色の髪は毒の花を思わせ、瞳の色は銀色。
可憐な少女の姿には不釣り合いな声音。
暗闇を想起させる漆黒のドレスを纏う彼女こそ、
「ああ、勿論だとも、上部階層にボクが刃向かえるはずがない。そうだろ、【ミラーカ】」
WDに於いて支配者とも云われる存在の一人なのだから。
「…………………………」
誰も知らない空間の彼方。そこで辛島綾取は誰にも知られる事なく死んでいく。
せめてもの救いは、当人の自我は既になく、何も分からないままに死ぬ事だろうか。
歪みは大きくなり、空間は閉じられ、二度と開く事はなかった。




