フール&パペッター(fool&puppeteer)その30
「それで、一体何の用だね。そもそも君の方から出向くとは珍しい事もあるもんだ」
ふむ、と白衣を着た男は呟く。
「診察室では話しにくいだろうから、書斎へ行くとしよう」
その言葉に訪問者は頷いた。
「コーヒーを淹れたが飲むかね?」
「結構よ」
「ふむ、そうか」
ズズ、とマグカップに注いだコーヒーを啜り、郭清増悪は自分を睨み付ける拝見沙友理に笑いかける。
「…………」
対して拝見は、ただ相手を睨むのみ。彼女はこの医者の事を以前から忌み嫌っていたのだ。
「困ったね。何も言うべき事がないのなら、ましてお茶も飲まないのであれば、帰ってくれないかね」
「言うべき事? 言わずとも分かっているはずだ」
許される事ならば、今この場で椅子に腰掛ける郭清増悪を殺してやりたい。それが彼女の偽らざる本心。
「ん~、さぁて。……何か君に恨まれるような事でもしたかね?」
郭清増悪は、まるで思い当たる節などない、とばかりに首をかしげてみせる。
「────」
拝見沙友理は嫌悪感を隠そうともせずに、目の前の男を睨み付ける。
そう。彼女はこの男を心底から嫌っていた。
世間的には、表向きは評判のいい町医者。それが郭清増悪という男の顔。
だが裏の顔と云えば、WDに協力するマイノリティ。
とは言え、それだけなら拝見沙友理とて別に変わりはしない。表向きと裏の顔、との使い分けならば、彼女も同様だ。
だが郭清増悪が何をしているのかを知れば、嫌悪感を抱かずにいられる者は果たしてどれくらいいるだろうか。
郭清増悪、彼にコードネームや異名は存在しない。何故なら彼はあくまでもWDへの協力者なのだから。
副業でマイノリティ相手の医療診察をしており、その恩恵に預かっている人間も多く、だからこそ彼を売ったり裏切ったりするは殆どいない。
これだけでは、善人とは言えないにせよ、悪人でもなく、拝見沙友理が忌み嫌う理由は見当たらないのだが、彼にはもう一つの顔がある。
「…………」
拝見沙友理は無言で、郭清増悪の書斎の壁に掛けられた無数の写真を一瞥。表情こそ変えないものの、内心では沸々とした怒りを溜めていく。
壁の写真は、一見すれば郭清増悪がこれまでに救った患者との退院や回復した記念写真。何も事情を知らない他者が見れば、特に何も思わないだろう。
だがこの写真の意図は違うのを彼女は知っていた。
この写真に写る患者には共通点がある事を知っていた。
患者達はいずれもマイノリティ、ただし、元々そうではなく、彼の病院に来た後に、覚醒。
写真の中には、裏見返市も、辛島綾取の顔もある。
「相変わらず悪趣味な部屋」
吐き捨てるような口調で拝見は郭清を睨む。
「そうかね。何処が?」
「あなたのやり口が気に入らない」
「ふむ、それはお互いの見解の不一致というものだろうね」
郭清は平然と言い切る。
「これまで、あなたは随分大勢のマイノリティを紹介してきたわね」
「そうだか」
「不思議ね。この部屋の写真の大半を私は知っている」
「それは凄い」
「ふざけるな。紹介したのはあなただと調べはついている」
バタンと椅子を倒し、拝見沙友理は郭清へ詰め寄る。襟首を掴み、今にも絞め殺さんとばかりに迫る。
「これは、困ったね。何か虫の居所が悪いようだ」
「お前が彼らを【変えた】のは分かってる」
「まぁ、落ち着きたまえ。で、どうしてそれが分かったのかね?」
それは郭清増悪が自身の行いを認めた瞬間。
その顔はまさに喜色満面。これ以上ない笑みをたたえ、手を組み、自分を責め立てる拝見沙友理を興味深そうな視線で眺める。
「私の手口も分かっているのであれば、そちらの手口、手札も少しばかりは公開して欲しいものだ。これでも、【患者】の扱いには細心の注意を払ったのだがね」
そう言う郭清増悪からはおよそ、反省らしき反応は感じ取れない。
「────」
拝見は目の前の男の首をこのまま締め上げ、殺してやりたかった。だがそれは出来ない。何故なら、郭清増悪を殺せとの指示はないのだから。
「ちっ」
悔しさを隠さずに舌打ちし、手を離す。
「やはり、殺すつもりはなかったようだね。もっとも……」
郭清増悪はぱたぱた、と白衣の乱れを整えると、何事もなかったかのように椅子に腰掛ける。
「ピースメーカーの指示もなく殺しはしまい、と思っていたがね」
「!!」
「ふむ、微かだが表情に変化が見える。やはりそうなのだね」
「かまをかけた、という事か」
「その通り。いや、実に見事だよ。わざと感情的に見せかける事で、自身の本心を偽るとは、大した技術だ」
「素直には喜べないな」
「喜びたまえ。大半の相手なら君の技術、いや、詐術に引っかかっていたろうさ。私は仕事柄、たくさんの患者を診る。
患者は自分でも気付かぬ内に、己の症状を偽る事がある。それを見抜いている内に自然とわかるようになった。一種の職業病というやつさ」
「つまり、嘘偽りは通じない、と言いたいのか?」
「そうだよ。君のような人種は任務と割り切れば、何だってする。例え殺したい程に憎い相手だろうと、手を組む事すらやぶさかではない。そういう性質だからこそ、ピースメーカーは君を選んだのだろうさ」
「いいだろう。では忠告しておく。これ以上お前の遊びで無駄な事件が起きるなら、お前が如何に大勢のマイノリティを紹介しようとも排除する」
「…………それは君個人の意見かね、それとも」
「好きに解釈すればいい。これで警告はした」
そう言うと、拝見沙友理はくるりと踵を返して書斎から出て行く。ドアを開ける音以外、ほんの微かな足音すら立てない所作は口で本人がどう言い繕うとも、紛れもなく暗殺者のそれだった。
「これはまた、少しばかり厄介な相手を怒らせてしまったかな」
ふむ、と呟くとコーヒーを一口。それから郭清増悪は壁の写真を見回す。
「だが、何が問題なのだろうね」
ゆっくりと、目を動かし、一人一人の顔を眺めるのがこの医者の数少ない趣味だった。
そも、拝見沙友理は根底を間違えている。
確かに、結果的に自分は幾人かの患者をマイノリティとして覚醒させた。
だが、それは単純に医療行為でしかない。
郭清増悪のイレギュラーは、名付けて”アオフヴァッヘン”。ドイツ語で覚醒を意味する言葉。
その効力は他者へと言葉を囁く事により、相手の中で眠っている潜在能力を開発。その中には自然治癒力も含まれており、それによって手術などの際に成功率を上げている。
「仕方ないだろう。そうしなければ助からなかったのだ」
実際、周辺の病院では無理だと判断された患者を彼は引き受けており、患者やその家族にとって彼は紛れもなく恩人である。
「それに、目覚めた患者のアフターケアも私の仕事だしね」
問題点として、目覚めた患者は、やや理性を失いやすくなる傾向にある。そこで郭清増悪は患者と話をし、何を望むかを確認。それに応じた就職先を案内する。
「彼らは自分に正直になった。ただそれだけの事だ」
そも彼にとって自分の行いは何の問題もない。
単に命を救っているだけ、その上で彼らが惑わないように、WDなどに紹介すらしている。文句を云われる筋合いではない。
「まぁ、問題はない。そうだろ?」
不意に壁に向け、話しかける。
すると、
「────今はそうだな」
壁から顔が浮かび上がり、声を出す。
「だがいずれ邪魔になるぞ。あの女」
壁の男は冷たい声で指摘する。
「その時は、まぁ、君にお願いするとしようか【解体者】」
「その名で呼ぶな、お前でも殺すぞ」
壁の男、ブッチャーは殺意を剥き出しにして郭清増悪へと叩き付ける。
「それは困るな。患者を救えないからね」
だが当人は何の動揺もせず、ただにこやかに笑うだけ。
アオフヴァッヘン、郭清増悪は正しく危険な人物だった。
彼は何の悪意も打算もなく他者を救う。例えそれがどんなに危険な相手、殺人鬼であっても。
「さて、そろそろ夕食にでもしよう。君はどうする?」
郭清増悪は何かが決定的に壊れた男だった。




