フール&パペッター(fool&puppeteer)その29
今、この場には二人しかいない。もっとも、片方に関しては、ヒトと形容していいモノではないのだが。
肉塊、破裂寸前の風船のようになったイーグルは、ただ呻き、唸る。
時折、あちこちからプシュ、という音と共に血液やら肉片らしきものを周囲にバラまく。その肉片だが、地面に落ちると共にウゾウゾ、と肥大化し始め、おまけに酷い臭気を漂わせる。
「さって、と。どうするかね」
そんな怪物を見上げて、まるで他人事のような口振りで零二は呟く。
「一応、言っとく。オレ個人としちゃ、もうココで戦う理由はねェンだが、引いてくれたりは──」
言い終わる前に、目の前へ向けて多量の吐瀉物が吐き出される。
「──ま、そンなわきゃねェよな」
異臭、腐臭に思わず鼻をつまみながら、口元を吊り上げる。
(オレ個人の燃料は、少しばかりの運動能力位しか使えねェな。ただのフリークとかをブン殴るだけなら、ま、無理くりすりゃ大丈夫だが……)
後ろへステップバックして、飛んできた肉片を躱す。
(このバケモンの攻撃そのものは、どうもテメェ自身の一部を飛ばす、ってトコか。正直単調で躱すだけなら、イレギュラーを使わなくてもいいかもだけど、……)
零二はあくまでも冷静に状況判断をする。
イーグルだったモノは、絶え間なく自身から肉片や吐瀉物、体液らしきモノを噴き出しており、零二は常に動き回っている。少しでも気を抜こうモノなら、間違いなく躱し切れない事だろう。
(で、コイツの攻撃? やっぱし雑だ。オレ個人を狙うにしちゃ、やたらめったらに撒き散らし過ぎだな)
飛んでくるモノを回避しながらも、その目は周囲を見回し、相手の意図を図ろうと思考を巡らす。
(にしても、だ)
躱したその先へと肉片が飛来。また躱そうと思った瞬間、肉片が爆ぜ、無数の体液が撒き散らされる。距離にして三メートル。今から回避するのは困難。
(どうして、こんな──)
零二は即座に左の手を前へ。体液が着弾するまさに寸前、瞬時に手の平から焔を発現。蒸発させる。それはこれまでになく精密なイレギュラー操作で、当人が違和感を覚える程。
(妙だよな、オレ)
残った燃料はほんの僅か。秒数に変換すれば、五秒にも満たない制限時間。そんな状況下にも関わらず、向かってくる肉片や体液に対してここまで的確に動ける自分に驚きを隠せない。
「ムゥウトウ、レイジィィィィィッッッッッ」
肉風船の何処に発声器官がついているのか、イーグルだったモノが絶叫。最早、理性など存在していないであろうモノは、ただただソレを殺す事にだけ執着していた。
ムトウレイジ、というモノ。それをころす。それだけ、その事だけが唯一肉風船を動かすモノ。
だがソレは死なない。
あれだけの肉片、体液を飛ばしているにも関わらず、躱し、または迎撃して、少しずつ少しずつ、近付いて来る。
「ム、トウウウウウ」
肉風船の発する声に変化があった。さっきまでは、ただ唸るだけ、吠えるだけ、といった感じだったのが、今の声、音は明確な指向性がある。ただ周囲に拡声器で放送してるだけ、の音声が武藤零二という個人へ、明確に投げられた。
「ンだよ、まだほんのちょいとばっか理性があるみてェだな──」
零二は獰猛に歯を剥いて笑い、そして目の前の相手に迷わず拳を叩き込む。
「だけどよ、ワルィな」
叩き込んだ拳は単なる打撃でしかなく、常人であれば悶絶必死の一撃だが、肉風船には如何ほどの効力もないだろう。
「これでシメだぜ」
だが、そんな事は零二自身が分かっている。大事な事は己の拳が相手に触れている、という事。
「【火葬の第三撃】」
相手へと自分の熱を伝え、それを契機として相手の熱を沸騰、加熱された体液、細胞、あらゆるモノが爆発的な勢いで膨れ上がって、風船は一気に膨張、そして──破裂する。
なまじ巨体ゆえだろうか、その爆発は凄まじく、まるで爆弾を起爆させたかのような衝撃を発する。
「く、ウッッッッッッ」
零二自身、その余波で枯れ葉のように吹き飛び、地面を転がり、抉っていく。
「く、か、ッッッッ」
不快感に顔をしかめ、口に入った土を吐き出す。
「や、ったか?」
目を細めて、もうもうと上がる煙で曖昧な視界の中、肉風船がどうなったかを確認すべく、ゆっくりと立ち上がる。
「へっ、さっきのでなけなしの燃料も使っちまったか」
普段なら、熱探知眼で見れば解決する事すら叶わない自分の状態に苦笑して、ゆっくりと前へ進んでいく。
「オイオイ、マジかよ」
そして見た。
吹き飛んだはずの、肉風船が、僅かな残骸が急速に再生していく様を。それは如何にマイノリティが強力な再生回復能力を持っているのだとしても、異常と云える。
そしてハッキリと目にした。再生していくモノの中に無数の機械らしき金属が混じっているのを。
サーモアイなど用いずとも直感で分かる。肉風船が今から何をするのかが。
「自爆するつもり……かよ」
それは今の零二には絶望的な状況だった。もう身体能力すら操作出来ない。外部から熱を集めるにも時間は足りない。
「完全に、詰みってか──」
取るべき手段は既になく、逃げる事も叶わず、隠れる場所もない、まさに死地。
「──上等だ。簡単にゃ死なねェ。足掻いて足掻いて足掻きまくってやる」
事ここに至り、なお獰猛に笑う零二。だが肉風船は何もさせないとばかりに弾け飛ぶ。
轟音と爆風は一瞬にして零二を呑み込み、そして閃光が周囲を照らした。
(同時刻)
無数の計器とモニターに爆発の映像が流れる。
それはまさに今、零二が巻き込まれた爆発。
おお、というどよめきが室内を包む。
「イーグルの反応途絶。クリムゾンゼロの反応は──」
「どうなったのだ、倒したのか?」
「…………反応は、喪失。クリムゾンゼロは死亡した模様」
オペレーターの声に、室内はドッと湧く。
「出来損ないが上手くやってくれたな大佐」
「そのようです司令官」
「しかしまぁ、呆気ないものだ。クリムゾンゼロがこの程度で始末出来るのであれば、わざわざ回りくどい手段など取る必要もなかった。そうは思わんかね?」
「仰る通りです。ですが我々が九頭龍で活動出来るのも、ピースメーカーがいなくなった影響かと」
「分かっている。君は実に真面目だな」
「恐縮です」
「何はともあれ、これで藤原一族の【秘蔵っ子】とやらはいなくなった。我が国が九頭龍に進出するのも容易くなったというものだ」
司令官はくっく、と笑うと指をパチンと鳴らす。
「諸君、わが国にとっての障害が一つ消えた。グラスにワインをつぎたまえ。今後も我々の部隊は重要な任務を遂行するが、これはその前祝いだ──かん」
「映像に変化あり、これは────ジーザス」
ガタンと音を立て、オペレーターの一人が椅子から落ちる。その顔は蒼白で酷く怯えている。
「何だと言うのだ!」
「大佐、信じられません。こんな──一〇メガトンクラスの爆発をまともに受けたのに…………」
「ば、有り得ん。こんなはずが……」
映像を目の当たりとし、司令官は手にしたグラスを床に落とした。
「クリムゾンゼロは未だ健在、生きていますッッッッ」
もうもうと上がる煙と爆炎の中、零二はゆらりと姿を見せるのだった。
ガツンとコントロールパネルを殴りつけ、司令官は怒号するように命じる。
「おのれ怪物め。今すぐ待機させていた人員を回せっっ」
「司令、今回はこれで手を退くべきかと」
「何を云うか大佐。臆病風にでも吹かれたのかね。今なら殺せる、奴は無傷ではない。死に体だ」
「リスクが大きすぎます。クリムゾンゼロには我々の調査にはなかった秘密が──」
「構うものか。今すぐ攻撃だ。【米国】の威信にかけてもアレを殺せっっっ」
その命令はおよそ軍人としてのそれではない。
これは司令官がクリムゾンゼロ、という存在に呑まれ、恐怖を感じた事による拒絶反応。
「どうやら、ここまでだな」
大佐、と呼ばれた男はやれやれ、とばかりにかぶりを振ると、瞬時に目の前にいた男を吹き飛ばす。司令官は、何をされたかも分からないままに首があらぬ方向を向いたまま即死。室内の誰もが唖然とする他なかった。
「司令官殿は、錯乱し、部隊のメンバーを窮地に晒した。従って私、コールウェル・スターが排除した。至急第二陣以降の部隊を退かせろ」
コールウェルの朗々たる言葉と、毅然とした態度を前に、室内にいた他の下士官達は、目の前で起きた上官への反逆という出来事を失念。
「もしも異論があればこの件を収めた後で、軍に訴え出ればいい。私はそれを阻止はしない」
そもそも、あの司令官は部隊に所属する全員から嫌われていた。何故なら、彼はマイノリティを忌み嫌っていたから。同じ部隊に所属する部下を、人間扱いなどせずに大勢死なせてきたから。イーグルにしても、この司令官の無謀な作戦のせいで部隊から逃走。家族を人質にされた上で、こんな任務で死んだ。
「大佐。我々はあなたに従います」
彼らからすれば、コールウェルこそが自分達の上官。彼がいなければ、自分達はそもそもこうして生きていなかったに違いない。
「ああ、助かる」
これはクーデターだった。それも半ば確信犯的な。司令官の作戦が失敗した場合、そしてさらに無謀な作戦行動に出た際、軍の上層部への処分の大義名分を得る為の。
そして、衛星画像に映る零二を真っ直ぐに見据えコールウェル・スターは笑う。
「クリムゾンゼロ。君は今日、この時を以て我ら【レイヴン】の標的となった。いずれ必ず決着を付けさせてもらうよ」




