フール&パペッター(fool&puppeteer)その28
私は多くの物を奪った。
私は貧乏で、その日一日を暮らすのもつらかった。
家族は気付けばいなくなっていた。何の事はない、私は食い扶持を減らす為に捨てられたのだ。
スラム街、といっても様々だが、私が捨てられ、育って場所は極め付きの治安の悪い場所だっただろう。
警察はろくに機能せず、地域を牛耳るギャングに買収されていて、殺人事件ですら見逃され、もみ消される。そんな場所に捨てられた私のようなストリートチルドレンが生きていく為には手段など選んでいる暇などない。
盗み、暴力、脅迫、やってないのは殺人くらい。
だが、いつまでもそんな生活が続く訳もなく、ギャングと警察によって私は逮捕。仲間とは離れ離れになり、気付けば罪の軽減という名目で軍に入隊した。
何の事はない。結局私は人殺しになった。自分を守る為に人を殺す。確かに正当性はあるが、納得は出来ない。
私は生きる為に常に奪った、奪い続けた。
軍に入り、そこで妻に出会い、子供も産まれた。
私は納得させた。子供を、息子や妻に少しでもいい生活を。その為に任務に従事するのだ、と。
誰よりも危険な任務に進んで参加し、そして達成。人殺しをするのであれば、せめて国の為に、とそう言い聞かせて。
私はある任務で失敗した。
任務そのものは成功したが、撤退中に銃撃を受けた。
インターセプトアーマーを容易く貫通し、噴き出す血を見て、すぐに分かった。ここで終わりだ、と。
妻は、息子は、元気だろうか。二人はこれからどうなるのだろうか。
そんな事を考えている内に意識は途切れ、死んだ、…………そのはずだった。
◆◆◆
「あ、あぐぎゃあがががが」
それは苦悶に満ちた声だった。
イーグルは立ち上がり、貫かれたはずの腹部の傷は塞がっている。
「これは、どういう……?」
裏見にはイーグルの状況が分からない。いや、理屈では知っている。
「ン、ああ。お前見るのは初めてか。コイツはな、もうアレだ」
「そうね。見ておきなさい、これがマイノリティが行き着く末路」
「ああ、【怪物】ってヤツだよ」
「うじゅルグルルル」
メキメキ、と筋肉が隆起していく。見る間にイーグルはその肉体を変異させていく。
裏見は息を呑んでその有り様を見つめつつ、だが異論を唱える。
「でも、これなら単に肉体変異、の暴走かも知れないじゃないですか」
「暴走、ね。確かに有り得るっちゃ有り得るわな。でもよ、暴走、だとして、アイツの目を見てもそう言えるか?」
零二が指差し、裏見は改めて相手の目を見る。
「……っ」
その目からは、理性の欠片も感じない。
「よく見ろ。能力を抑制出来てるなら、あんな変化、変異はしねェ」
イーグルの肉体はもはや巨大な風船のようになっていた。どこまでも膨れ上がって、見る見る肥大化。全身から出血するのは、血管が破れた為か。
「ありゃ、もう自分を失っちまった末の変化。終わりだ」
「じゃあ、せめてとどめを……」
「よしなさい。下手な刺激は危険よ。それに終わりというのは、彼はこのまま死ぬからよ」
「死ぬ?」
裏見の呟きに拝見は頷く。
「フリーク化にもパターンがあるの。暴走の末の【肉体面での強化】は一応、成功例。そして暴走のし過ぎの場合は、肉体そのものが限界を迎えて、破裂。今の彼みたいにね」
そう言う拝見の目からは僅かではあったが、相手への同情が見て取れる。鉄面皮かと思えた上司の一面を見て、裏見は少しだけ安心した。
「つぅワケだから、さっさとずらかるのが一番だけどよ、………………アイツはどうした?」
「?」
裏見は怪訝な顔で零二を見る。
「だから、アイツだって。あの、バカドラミだよ」
「彼女なら、もうここにはいないわよ」
「ソイツを早く言えっての!」
「あら、敵の心配?」
「バッカ。アイツはオレがブッ飛ばす相手だから、それだけだよ」
「そういう事にしましょうね」
「────ッッッッ。行くぞ」
これ以上口でやり合っても勝ち目がない、そう悟った零二は先に歩き出す。
「…………」
緊張感のない会話にあ然としながら、裏見も歩き出す。
「これで事態は収拾かな」
拝見は目を細め、その場を去ろうとした。
その時だった。
「ムトウレイジイイイイイイイイッ」
絶叫。
「オイオイ、マジか」
零二が振り向くと、破裂するはずの肉塊の目は真っ直ぐに自分を見ていた。
「コレは例外ってヤツだな」
「そうね。極めて稀なパターン。武藤零二君、何か気でも惹いたの?」
「冗談、ヤロウにそンなコトは間違ってもしねェさ」
「怒羅美影にはするの?」
「へっ、冗談抜きで勘弁してくれ。それに今はそれどころじゃねェ」
零二は苦笑する。
「……奴さん、オレをご指名だからな」
肉塊は零二へと敵意を向けていた。
◆◆◆
気付けば、私は人間ではなくなっていた。
生きてはいる。だが、肉体には大きな変化があった。
マイノリティ、イレギュラー。
これまで知らなかった世界、言葉を私は否が応にも知らされる。
私は公式には死んだ。ここにいるのは死人。存在しないはずの男。
もう家族には会えない。死んだ人間が会う事など許されない。残酷だ、不条理だ。だが、私に何が出来る?
出来る事は人殺しだけ。こんな私に選べるはずもない。
あの少年に、カラシマに接触したのは偶然だった。
任務中、都合のいい隠れ蓑を探していた時に、向こうから接触してきた。
どうやら彼もマイノリティらしく、精神に干渉してきたが、能力は弱く、私を拘束するには足りない。
だからその状況を利用した。つまりは私は彼を騙した。
理由はカラシマもまた、彼を狙っていたから。
ムトウレイジ。彼こそが任務対象だったのだから。
◆◆◆
「ハァ、個人的にゃヤローからのお誘いは断りたいンだがな」
苦笑しながら、零二は上へと視線を向ける。相手はゆうに二十メートル以上はあるだろう。学舎よりも頭一つないし二つは高い。
既に拝見と裏見はこの場から離れた。
(ドラミ、はいねェンだよな。なら、やるか)
何故美影の事を考えたのか、思わず表情をしかめ、ハァ、と呼吸を入れる。
「本当はクタクタなのを残ってやったンだ。感謝しろよ」
その言葉を果たして、相手は聞いているのか。
「ム、トウううううレイいいいいジーーーーッッッッ」
風船のようになったモノはただ唸り、叫ぶだけ。
「ま、いっちょやってやるよ」
疲労困憊、今にも倒れる寸前ながらも、零二はいつも通りに不敵に笑ってみせた。
決着は一瞬。
初手で決める。
冷静に自身の限界を見定め、零二は残った焔をいつでも放てるように身構えた。
◆
「あの、拝見さん」
「何?」
裏見返市は、拝見沙友理の運転するバイクの後部座席から後ろを振り返る。
バイクは全速で敷地内より離れる。
「これでいいんですか? 武藤君だけ残すなんて」
「彼の希望よ。それともあなたは役に立てるの?」
その言葉は、ピシャリと痛烈に裏見の痛い所を打つ。
「はっきり言って足手まとい。あそこに残っても邪魔なだけ」
「…………」
「心配はいらない。武藤零二は勝つわよ」
「本当ですか?」
「勿論よ」
拝見は微笑する。もっとも、その表情を後部座席の裏見に確認する術などない。
彼女には確信があった。あの場、誰もいなくなった状況でなら、零二は勝つ、と。
「思った以上に、覚醒してるものね」
「?」
裏見には何も聞き取れなかった。
本来ならば拝見沙友理はあの場で支援する腹積もりだった。それが彼女が受けた指示なのだから。
(でも、あの場にいたら邪魔になりそうだし。何よりも、)
彼女はその場にはいないが、状況ならいなくても分かる。
彼女が聞いた話よりも、対象はイレギュラーを使いこなしつつある。であれば、あの場に残るのは愚策。その判断からの撤退だった。
(見せてもらうわ。深紅の零。あなたの底の一端をね)
微かに口元を歪ませ、彼女はアクセルを踏み込んだ。




