フール&パペッター(fool&puppeteer)その24
それは例えるならば、さながら鳥の巣だった。
小さな木の枝をせっせと集め、組み上げたモノのようだった。
ただしそれが鳥の巣とは大きく異なるのは、それが木の枝ではなく無数の焔であった事だろう。
「────ッッッッ」
上空からトドメを刺すべく襲いかかったイーグルは、高速が故に躱せない。急速であるが故に方向転換など叶わない。
ましてやこの鳥の巣が発現したのはもう獲物へあと二メートルあるか否か、という至近。
それはまるで生き物のようだった。
ウネウネと一つ一つが動く様は、生き物に例えるならイソギンチャク。
無数の焔によって彩られた罠の中へ翼を持った男は飛び込まざるを得なかった。
「か、っ、クウッッ」
だが窮地に陥っていたのはイーグルだけではない。
罠を張っていた当人たる零二だが、この罠を発動させた瞬間、全身がミシミシ、と軋むのが分かった。
(コイツぁ、やっべェな)
ほんの一瞬で分かった。この罠の反動で全身が壊れ始めている、と。それは万力で締め上げている、という感じではなく、もっと漠然とした、違和感のような感覚。
それでいて奇妙な事に、こうした罠を初めて使うにも関わらず何故か馴染みがあるような感覚を覚える。
ずっとずっと前から当たり前のように使っていたかのような使いやすさを覚え、それでいて全身は軋み、壊れる。明らかな矛盾を前に零二は困惑するものの、今考えるべきは目の前の敵。焔へと意識を集中させる。
「────」
上から向かってくる相手の動きを、零二は冷静に見極める。イーグルを捕らえても即座に動きが止まる事はない。恐らくは勢いを削ぐのが精一杯。
「く、ぬっっっ」
実際イーグルは、焔に絡め取られつつもそのまま突進する。たかが二メートル。それなら下手に減速などせずにそのまま突っ込めばいい。その上で相手へと必殺の一撃を叩き込めばいい。
(妙だ、捕まっている、という感覚がない)
他ならぬイーグル自身、この予期せぬ反撃に困惑していた。何せあの焔の枝は確実に自分を捉えていた。
なのに、だ。
この枝は何もして来ない。絡め取る、といってもこちらの勢いはさして削がれる事もない。少々鬱陶しいとは思えるが、ただそれだけの事。目の前に展開された瞬間こそ危険だと思えたがほんの一瞬でその懸念は消し飛んだ。
(終わりだ、クリムゾンゼロ──)
爪先に力を込めて、相手の心臓めがけて突き出す。
これで終わり。これで任務は終わる。
そのはずだった。
だが。
時に現実とは不条理である。
「く、がかっっ」
呻き声をあげたのはイーグル。
攻撃は止められた。より正確には受け流されていた。
確実に心臓を貫くはずだった爪は零二の左手で軌道をずらされ、前のめりとなり、無防備となった腹部へと右拳がめり込む。
ミシミシ、とした感覚は恐らくは腹部から伝わった拳から生じた衝撃が肋骨を砕き折ったものだろう。
「が、はっっ」
おまけに内臓も損傷したのか、口からは黒ずんだ血。
標的の一撃は、これまで幾多の任務で数多くのマイノリティと戦ったが、そのどれとも比べようもない重さ。
一体、この小さな肉体の何処にこんな力があるというのか?
「だ、が、」
そう。だがまだ終わっていない。まだ一撃もらっただけ。相手もまた至近にいる。つまりは攻撃すれば当たる。
「────」
爪先を尖らせ、上へと切り払うように放つ。狙うのは零二の首、頸動脈。仮に倒せずとも、確実に大ダメージを与え得る場所。
だがしかし。その目論見は達せない。
グシャ、という鈍い音。
「は、っっ」
イーグルの鼻先へ零二からの頭突きが先に叩き込まれる。
「わりぃな」
そう。至近距離に持ち込んだのはそもそも零二。この間合いこそが今の自分にとっての勝機。
であれば────。
「ウ、ッッラアアアアアアッッッ」
両手を伸ばし、相手の肩を掴んで引き離す。直後に引き寄せて膝を叩き込む。左腕を肩から後ろ襟へと伸ばして顔を前へ。そこに再度頭突きを合わせる。自身の顔を引いて間髪入れずに右肘を顎先へ喰らわせる。左腕を外し、その場にて反転。地面へ足を叩き付けるように踏み込むと、よろめくイーグルへ右肩での体当たり。中国拳法でいう靠のような痛烈な一撃を見舞う。
「グ、ガアッッッ」
零二の猛撃を受けたイーグルの身体は幾度も地面を跳ね、大きく飛ばされた。
「ハァ、ハァ、…………」
零二は乱れた息を整える。
まだ倒してはいないが手応えはあった。
「く、」
ガクガクと膝が笑っている。もう限界に達しつつあるのは間違いない。
「さて、と」
ゆっくりと呼吸を整えながら、吹き飛ばした相手へと近付く。ギュ、と右拳を握り締め、白く輝かせる。
「ぐ、ばっ」
一方のイーグルは驚愕するしかなかった。
(ばかな)
確かに誘いの罠、だろうとは思った。だがWGがいつ来るかも分からない状況下である以上、いつまでも時間をかけている暇などない。辛島の指示に従った訳ではなく、あくまでも自己の判断だった。多少の抵抗があろうともそれを突破するだけの速度があればよいだけ。そしてそれを自分が保持しているという自負もあった。
(それが、このざまだと)
ぐはっ、という呻き声と共に、口から血の入り混じった吐瀉物を吐き出す。
立ち上がろうにも全身に力が入らない。
「な、せだ?」
分からなかった。確かに反撃は強烈だった。ダメージも相当にある。だが、それでも。
(なぜ、こうも消耗しているのだ?)
何故かくも、足元がふらつくのかが理解出来ない。
軍の部隊にいた頃、訓練で散々自身の体力の限界を知らされた。一見すると非効率的だが、それは自分がどの程度の継戦時間を把握する為の訓練。何処まで自分が戦闘可能なのかを把握する事は部隊の一員である以上、理解しておかねばならない。
視線を戻さば、標的の少年がゆっくりとした足取りでこちらへと迫る。
向こうとて消耗している。その証拠に踏み出す一歩に力強さがない。
「ク、ッッ」
イーグルはようやくの事で、前へ半歩進み出た。
身体がまるで鉄塊にでも転じたかのように重い。背中の翼を動かそうにもとてもそんな体力が残っていない。
「なぜ、だ?」
自分にはまだ余力が残っていたはずだった。
「行くぜ」
「…………ば、かな」
有り得ない。イーグルは目の前に飛び込んでくる零二の姿を捉えていた。蒸気を噴き出し、勢いを乗せた白く輝く右拳をこちらの鳩尾へと放つのが見える。さっきまで半死半生だったはずなのに、どうして反撃出来るというのかが分からない。
「う、っラアアアアッ」
精一杯の気合いを込め、零二は一撃を繰り出し──白く輝く拳はそのままイーグルの身体を貫いた。




