フール&パペッター(fool&puppeteer)その23
(十数秒前)
「────ッッ」
かすめた爪先にわき腹を抉られ、零二は表情を歪める。
傷そのものは深くはない。例えるならナイフで皮膚と肉を少しばかり切られた程度。普通の人生を謳歌していればまず有り得ない事ではあるが、この程度で大怪我だとはマイノリティの大半は、ましてマイノリティとしても破格とも云える回復能力を持った零二であれば気になるものではない。
「ち、ッッ」
頬を爪がかすめ、血が流れていく。その直後に蒸気の放出と共に流血は治まり、傷もまた塞がっていく。これはリカバーというよりは熱による新陳代謝。細胞の活性化による現象であり、当人としてはこの程度の事でイレギュラーを用いているという認識などない。
「──!」
イーグルの攻撃は鋭さを増していく。腹部、より正確には内臓を狙ったであろう一撃は太ももを抉る。
「く、」
反撃に繰り出すフックはまたも虚しく空を切り、相手は空高く舞い上がっていく。
「ったく、タチが悪いぜ」
愚痴を言いながら、抉れた太ももに手を押し当て、意識を集中させる。流石に足をやられてはまずい。即座にリカバーと、自身の熱の複合による回復を用いる。
ジュウウウ、という音と共に生じる蒸気は傍目から見れば拷問にも見え、恐怖か不快感を与えるに違いない。
「…………よっし」
傷を塞ぎ、足を動かす。何の問題もない事を確認し、再度敵へと意識を向ける。
零二は自分を強者だとは思っていない。
確かに敵を一撃で屠れるだけの焔はある。多少の傷などものともしないだけの肉体もある。だがそれだけ。
自分よりも強い者、何かしら優れた者などいくらでもいるのだと知っている。
例えば、自分の後見人にして執事であり、また師でもある加藤秀二、秀じいを相手に自分は一度だって手合わせで勝ち越せた試しはない。彼と自分の違いは偏に経験。その差を埋めるにはまだまだ時間が必要だろう。
認めるのは癪だが攻撃力、殺傷力としてはシャドウのダークワールドもまた脅威だろう。文字通りの意味で異空間そのものを操り、それに触れれば消える。まさしく攻防一体のイレギュラーだと云える。
口には絶対にしないし、これからもそのつもりだが、怒羅美影もまた自分よりも強い存在だと認識している。
単純な攻撃力であれば負けないが、あれだけの炎を長時間使い続けられるの相手を他には知らない。
長期戦に持ち込まれれば勝ち目は限りなく低いだろう。
無論、秀じいはともかくもシャドウや美影に関してはあくまでも自分よりも優れた点があるのだと認めた上で、だからといって負けるつもりはないのだが。
「ふぅ、」
息を小さく吐く。
そう、通常であればまだ焦る場面ではない。
零二は自分のイレギュラーが消耗が激しく、長期戦には向かない事は誰よりも理解している。
だからこそ自分のイレギュラーの、攻撃へと転じる時への見極めはしているつもりだし、そこまで如何に無駄な消耗をしないようにするか、という点については常に頭を働かせてもいる。本来ならまだ零二は焦る場面ではない。
だが今、この状況下に於いては焦らざるを得なかった。
(残量は大体三割ってとこか)
昨日の一件で負った負傷から零二は未だに回復してはいなかった。
傷そのものはもう何もない。肉体的な損傷はもう存在しない。だが零二の内面は未だ完調とは程遠い状態。
マイノリティがマイノリティたる由縁、つまり異能力たるイレギュラーは大なり小なり担い手の精神的な負担を必要とする。零二の場合、その消費量が大きく、だからこそ回復まで時間がかかる。
とは言え、普段ならもうとっくに回復しているはずだった。
(やっぱ、昨日喰らったアレだよな)
理由は一つしか思い浮かばない。
零二は昨日の二件の事件で銃撃された。単なる銃弾であれば何の問題もない。多少痛いと感じるだけだ。
だが、あの弾丸は痛いとかそういうモノではない。
喰らった直後から、イレギュラーの使用を阻害されたのだ。
(妙なクスリでも入ってた、ってこったよな)
おかげで未だに回復していない。何せさっきの美影との対決(偽装)ですら相当に消耗させられた程だ。
(まぁ、ドラミちゃんにはバレただろうな)
もしもその事をWGに知られでもすれば、マズい事態に陥るのは必至だが、零二はこうも思う。
(だけどアイツはそンなコトはしねェだろうけどな)
妙な話だとは思う。だがそう確信出来る。
怒羅美影、ファニーフェイスというエージェントはあれこれと裏で策を弄したりはしない、と。
(敵対してる相手を信じるってのも妙な話だろうけどな。いンや、そもそもオレはアイツと敵対してるっけか?)
散々っぱら殺し合い寸前の対決を繰り返した相手なのに。
零二には彼女が敵だとはどうも思えなかった。
「くっっ、ち」
そんな事を考えている内に、またもイーグルの攻撃が襲い来る。反応が遅れ、爪先は零二の腕を深々と抉っていく。
(やっべェな)
戦闘中だというのに、別の事に思考が回していた自分を殴りたい気分に陥ったものの、零二は傷の治療に意識を傾ける。
流石にかすり傷ではないからか、出血こそ収まるも、傷そのものはすぐには塞がらない。
(このままじゃ埒があかねェ)
零二の場合、リカバーと自分の持つ新陳代謝による複合によって傷を治しているのだが、実のところ他のマイノリティよりも回復による精神的消耗の度合いは少ない。一見すると二つの要素の併用によって大きく消耗しているように思えるが、結果的に短時間で回復するので消耗の度合いは思いの外少ない。
なので零二は他のマイノリティよりも負傷に対する恐れは少なく、積極的に攻勢へ打って出る事が可能であるのだが。
今の零二には、その効率的な回復ですら大きな負担となっていた。
しくったな、というのが零二は思っていた。
正直言って相手を見くびっていた。あの口だけの相手じゃろくな仲間もいないに違いない、とたかをくくった結果がこの有り様。自分の迂闊さに頭をぶん殴りたい、と今更ながらに自省する。
(だけどよ、妙だ)
確かに相手の強さを見損なったのは自身の手落ちだろう。だがここまでの相手が、何故という疑念が浮かぶ。
(あの如何にも甘ちゃンって感じのヤロウが連れ歩けるレベルじゃねェな)
ちら、と横目で当の辛島自身が目を丸くしているのを確認した。どうやら彼自身もまた思っていた以上に強かった事を今更ながらに知ったらしい。つまり強さを見誤っていたのは自分だけではないらしい。
(コイツ、……手下じゃねェってコトか)
だが零二にそれ以上考える暇などない。そんな暇など与えないとばかりにイーグルが空中より襲来する。
「シュアッ」
小さいながらも、風を切り裂くようなかけ声を発し、イーグルは爪を繰り出す。
「──!」
同じ手は喰わぬとばかりに零二は動く。
その鋭い一撃が身を裂くすんでのところで焔を噴き出して加速。攻撃を回避。「らあっっっ」というかけ声と共に手刀を首筋へと放つ。
だがイーグルとて零二の反撃は想定済み。軽々と躱して宙へと舞い上がる。
「ちっ、」
零二もまた空中戦が出来ない訳ではない。蒸気や焔を噴き上げれば空中でもある程度の立ち回りは可能ではあるのだが。
今対峙する相手はそれこそ空中戦を得手としている。背中から飛び出した翼によって空中を自在に飛び回り、速度を乗せた急降下による攻撃は相当に危険。中途半端な立ち回りはそれこそ格好の的。爪の餌食になるのは必定。
だからといって余力はあまりない。
(なら、やるか)
そして今。
零二は屋上から落ち、地面に倒れていた。
一見すればイーグルの強烈な蹴りにより微動だにしないように見えるだろう。
(来い、よ)
相手を引きつける為、零二はあえて最後の攻撃を無防備で受けた。おかげでダメージはかなりのもの。その上でリカバーなども使っていない。
死んだふり、と言えば聞こえはいいが実情はまさに半死半生と言ってよい有り様。
(へっ、どうしたよ?)
零二は焦る。このまま様子見を続けられるのは望ましくはない。
(まだ、か、よ)
さっきの蹴りにより、相当なダメージを受け、気を抜こうものなら意識はいつ途切れてもおかしくない。
(…………)
考えるのも面倒になってきた。だがここで意識を失えば間違いなく肉体は本能的に負傷を癒やす。そうなれば相手はこの擬態に気付いてしまう。
目を開かず、ただ耳だけを澄ませる。
聞くべき音は上空、羽の音のみ。あとはどうだっていい。
ほんの一秒、二秒がやたらと長く感じる。今すぐにでも起き上がってしまいたくなる。
(だ、まだ、…………)
途切れそうな意識を口の中を噛む事で辛うじて保つ。
零二はただ黙して状況の変化に備え、イーグルは動かない零二を上空より旋回しつつ凝視。
「おいっ、死んだんだろ? 違うって言うのなら今すぐにトドメを刺せばいいじゃないか! 今すぐぶっ殺せ」
均衡を崩したきっかけは、この場に於ける第三者である辛島綾取の言葉であった。
辛島からすれば何をもたつくのかが理解できない。
武藤零二が生きているなら殺せばいいだけだし、死んでいるのなら終わり。ただそれだけの簡単な事実確認。
自身では手を汚そうとしない彼からすれば、戦いの駆け引きなどどうでもよく、大事な事はイーグルが忠実な手駒である、という事実のみ。
(それに、あんまりのんびりもしてられないはずだろ)
ここで長居すれば直にWGが駆け付けるに違いない。そうなれば厄介だ。何せ自分には戦闘能力などない。取り囲まれでもすればアウト。イーグルなら自力で逃げられるだろうが、そんな芸当は自分に出来る訳がない。
確かに辛島の懸念は正しい。戦いを長引かせる事のデメリットは確かにその通りであろう。
だが彼には分からない。零二とイーグルがここまでどう考えつつ攻防を繰り広げたのかが。つまるところ何も分からないからこそ、無知ゆえの言葉だった。
「────」
だがイーグルは動かない零二に対してトドメを刺すべく動き出す。仮に相手が生きていようが死んでいようが関係ない。いずれにせよ爪を心臓へと突き立てれば自ずから結果は出るのだから。
そして零二にとってこの行動こそ待ち望んでいた出来事。
目を開かずとも耳を澄ませば分かる。風を切って急降下するモノがいる、と。何よりも熱源が急速に迫っているのを肌で感じ取っていた。イーグルにとっての誤算は零二の触覚の鋭敏さであっただろう。視覚情報が途絶しようとも関係ない。熱を肌で読み取る事で自分の位置が筒抜けなのだとは思いもしなかった。
「────ムッ」
イーグルは知っていた。より正確に言うのであれば、炎熱及び氷雪系能力者の特性として周囲の温度、熱に敏感だという性質が備わっているのだとは。
ただし彼が知っていたのは精々が大まかに十数メートル程に何かが、誰かがいる、という程度の理解。その程度であれば上空より襲いかかる自分を捕捉するには至らない。だから問題ない。そう結論付けていた。
だから、この零二の反応は彼にとって完全に埒外。想定の枠を超えた事態であった。
「──待ってたぜ」
倒れていた零二は口元を歪ませ、そうハッキリと言葉を出す。
そしてイーグルは今や眼前、至近距離にまで迫った獲物の少年が目を見開くのを目の当たりとした。




