フール&パペッター(fool&puppeteer)その22
「……いくぞ」
イーグルは誰に言うでもなく、小さく呟くのと同時に眼下の相手、零二へ向かっていく。それはまさしく猛禽類が獲物を狙うかのようであり、
「──ッッッ」
まさしくまばたき一つするかどうかの時間で零二は自分の肩口を抉られ、ジワリと血が滲んでいく。
「へっ、面白れェじゃねェか」
ばさりと翼を翻して宙を舞う相手を、表面的には笑顔を浮かべつつも、内心では焦りを覚えていた。
(あ~。こりゃ、マジぃかもなぁ)
チラリと自分の負った傷口を視認し、苦笑する。
相手がただ者じゃない事は一目で理解してはいた。
かつて武芸を極めた者は、見ただけで相手の力量を把握出来るのだとも秀じぃから聞いた事がある。
“相手の所作の一つ一つ、例えば足運びに腕の振りなどは分かり易いですな“
話を聞いた当初こそ零二にはちんぷんかんぷんだったが、時が経つにつれ、数え切れない戦いの中を切り抜ける内に漠然と分かってきた。
“強い者程、一つ一つの所作に無駄がなくなるのです。
理由は簡単で、そうした方が楽だからです。
例えば足運びでしたら、以前よりも体重移動が楽になる。より長く歩いても疲労を感じない。走っていても息が切れにくく、長い距離を走れるようになる。こういった事は若ご自身もまた実感されているでしょう。
様々な鍛錬や実戦により、己の身体の使い方を身体自身が学んでいるからなのです。
赤子がどうやって歩けるようになるのですか? 意図して計算しているのですか? いいえ、そうではありますまい。
自転車に乗るのとて同じ事。保護者が補助してくれ、助言をもらったとて結局の所、最終的には身体で覚えるものです。
つまりは身体を使うとはそういう事です。
使わねば衰え、使えば使うだけより楽に扱えるようになる。
年齢による衰えはありましょうが、それとて当人次第。
私の場合で云えば、十年前より今の方が楽にこの身体を操れます。無論の事、日頃から意識をしていなければそういった変化には気付けませぬがな“
自慢話も込みの長い話だった上、眠かったので、気もそぞろだったのだけは覚えている。
だが幾度も同じような話は繰り返し繰り返し聞いた。だからこそ、こうして零二もまた覚えている。
「へっ」
後ろへと飛び退く零二の腹部をイーグルの一撃がかすめる。
「ち、」
相手の顔面を打つべく放った左フックは空を切る。
“鷲“という異名を持つ男は、その名の通りに自在に宙を舞う事で零二を翻弄、傷を負わせていく。
「は、ははっ……」
そしてその光景を目の当たりとし、辛島綾取は自分の手駒が如何に強いのか、そして何よりもそんな強者を従えうる自分のイレギュラーの強さを実感していく。
「はは、何だよちくしょう。こんなに強いのか、は、はっは」
髪をくしゃくしゃと潰すように掻き、口元を大きく歪めて笑う。
「は、これならさぁ」
見ればあの武藤零二が苦戦している。
自分の子飼いの子分たるクルーカットのアメリカ人を相手に、未だ手も足も出ない。
確かに武藤零二は強いのだろう。実際その動きは辛島の目では追い切れそうもない。ほんの一瞬、動いたかと思ったその次の瞬間には数メートル先に姿があり、今の今までいたはずの地面には、恐らくは飛び出す際の踏み込みによって生じたと思しきコンクリートを踏み砕いた跡がくっきりと残っている。
(でも、だ)
そう。間違いなく武藤零二は強い。自分では何があっても到底勝ち目などないに違いない。
だがそんなのは自分には関係ない。だって、何故なら。
(こんな事なら、こんなに手間暇なんかかけずにさっさと殺させればよかったよ)
辛島綾取のイレギュラーは戦闘ではなく、他者の精神に影響を与えるのだから。自分が戦う必要などない。弱くても関係ない。強い者を操れればそれで何の問題もないのだから。
「いけ、イーグルッッッ。あのクソッタレ野郎をぶっ殺せッッッ」
唾を吐き出し、声をあげる辛島は勝利を確信していた。
「へっ、随分とまぁ、調子付いてやがるな」
一方の零二だが、辛島の声に若干の苛立ちを覚えるも、上空の相手をするのに精一杯。いちいち敵にすら値しない誰かの事などに心を砕くような暇はなかった。
「う、おっっ、と」
イーグルの攻撃をバク転で回避。そうしながら、あわよくばと顎先めがけて蹴りを放つがそれは空を切る。
「──がっ」
逆に足を掴まれて引き倒された零二は、そのまま地面を引きずられ、ガリガリ、とコンクリートを削っていく。
「つ、っっ」
抵抗を試みるも、イーグルは一気に加速。零二の反撃を許さないままにその身を勢いに任せて放り出す。
転落防止の為に設置されたフェンスなど全く意味など為さず、あっさりと突き破った零二はそのまま下へと落下していく。
「な、めンな」
零二は蒸気を噴き出して、落下の勢いを削ぎ落とさんとするのだが。イーグルはそれをすら許さない。
「フンッッッ」
メキメキ、と音を立て、ブーツが弾けて姿を見せたのはまさしく猛禽類そのものを思わせる鋭利な爪先を持った足。それを零二の無防備な腹部へと突き刺さんとばかりに繰り出す。
「──ち、ッッッ」
蒸気を噴き出して落下の勢いを削ごうとも蹴りを受ける。かと言って蹴りを受け止めても恐らくは勢いに押し負けて地面へと叩き付けられる。どちらにせよダメージは避けられない。零二が選んだのは後者。両腕を重ね、自身へ向けて繰り出される蹴りの防御を選ぶ。残った熱を腕へと集中。少しでも相手の攻撃を削がんと試みるも、イーグルの蹴りはその防御をも突き破る。
「う、っっがっっっ」
蹴りは腕の防御を打ち破り、零二の腹部を直撃。そのまま一気に地面へと一直線。
バアン、という爆発したかのような音が鳴り響き、もうもうと土煙が立ち上る。
「────」
煙を切り裂くようにして、翼を羽ばたかせたイーグルが姿を現す。
「殺ったか?」
辛島が眼下で起きている状況に、期待を込めつつ自身の最強の手駒へと投げかける。
「…………」
主人の声が聞こえないのか、イーグルは無言で土煙を眺めている。
「おいっ、あのクソッタレ野郎は死んだかって聞いてるんだよ。このマヌケッッッ」
ヒステリックな罵声でようやく自分が声をかけられていたのだと認識したイーグルは、「手応えはあった」と返事を返す。
「ははっっ」
辛島は手頃からの返答に破顔一笑。込み上げる感情を隠せない。いっそ爆笑したい気分だったが、それは手駒の様子を見て止める。
「何で下を見てる?」
「確認だ」
「?」
手駒の返答が辛島には奇妙に思えた。
「何言ってんの? 手応えはあったんだろうが」
そう。イーグルは確かにそう言った。出会って数ヶ月の付き合いではあるがこのアメリカ人が嘘や冗談の類を口にする人物ではないのは分かっている。
「おい、殺したんだろ?」
そうであれば、だ。手応えはあったのだから、相手は死んでいなければならないのに。
「………………」
手駒たるクルーカットのアメリカ人は無言で土煙へと視線を落としている。
「おいっ、死んだんだろ? 違うって言うのなら今すぐにトドメを刺せばいいじゃないか! 今すぐぶっ殺せ」
遂に我慢できなくなったのか、辛島は怒鳴り声をぶつける。
「…………」
その声に呼応するかのようにイーグルは翼をバサリと動かすや否やで急降下。手を足と同様に鋭利な爪を露出させ、絵も二へと突き刺すべく構える。煙を払い、地面に倒れている相手を捕捉。ぴくりとも動かないが関係ない。とどめの一撃を放つ。
だがそれはそれこそは。
「────待ってたぜ」
零二の待ち望む展開だった。




