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槌を持つ者

 

「同情はしねェよ、ここがオレらの世界だ」


 その言葉は彼女の心を大きく揺るがした。

 激しく心を掻き乱す。……ズキズキ、とまるで後頭部を槌で殴られた様にすら思える。

 それは彼女自身薄々分かっていた事だ。今、自分が関わっているこの世界は、ドロップアウトという存在等は物の数にも入らないような、そんな化け物達のいる世界なのだ、と。

 一瞬、その言葉を言ったのが誰なのかが、分からなかった。

 それを言ったのは目の前で殺された仲間達の様でもあったし、或いは自分自身が無意識で言ったのかも? そう思ってしまった。

 だが気付く、そうだ違う。この声は誰かが自分へ向けて言い放った言葉。ふと顔を向ける。

「何だと?」

 そうして、縁起祀はようやく相手に気が付いた。

 その少年はごく自然にそこにいた。

 その少年は、この場の惨状を目の当たりにしても全く動揺する素振りも見せない。

 それどころか、その少年は微かに口元を歪めてさえ見せた。

「お前か?」

 縁起祀の目に映るのは憎悪。

 目の前にいる少年が来たのは今さっきだ。

 この少年が仲間達の殺戮に興じる時間は無かった。

 何故なら、ほんの少し前まであの倉庫街で彼はさっきのあの女や、謎の攻撃部隊達と渡り合っていたのだから。


 だが同時に疑念もある。

 何故この少年がもうここに辿り着いたのか、だ。

 実際には、林田由衣というスーパーハッカーがWGにいたからなのだが、そんな事を縁起祀が知るはずもない。

 だから、彼女の思考はこう纏まる。

(コイツの仲間の仕業なのか?)

 もしそうであるなら……殺す。


 その思いがキッカケだったか。

 彼女の中で揺らいでいた何かにピシ、と亀裂が入った。

 何かが揺らぐ。崩れていく様な感覚。

「なん、……だ、これ」

 自分の中で何かが変わっていく。おぞましい何かが溢れ出でそうになる。


 ”素直になれよ、────自分の中の全部をブチまけろ”


 おぞましい何かがそう耳元で囁く。

 心底から怖い、なのに。

 その声には何故か心が安らぐ。

 へたり、と縁起祀は膝から崩れ落ちる。


(ン? 耐えきれなかったか?)

 零二としては戦わずに済むのなら、その方が楽だ。

 なので頭を抱えている相手に構う事もなく、アンプルを探そうとしたその時。

 ビュオッッ。

 風が駆け抜けた。

 その風は零二の体を通り過ぎる。

 その直後。零二はよろよろ、と後ろへとよろめき尻餅をつく。

 視線を向けるとそこにいたのは縁起祀。

「…………殺す」

 彼女はそれだけ呟くと姿を消す。

 勿論、消えた様に見えるというだけで実際に消える事はない。単に彼女の高速移動でそう思えるだけの事だった。

「へっ、おいおい【そっち】にいくってか。アンタはさぁ」

 正直めンどい、彼はそう思った。

 だがそれでも零二の表情に浮かぶのは、怒りや焦りではない。……そこにあったのは不敵な笑み。


 相手の速度から発する風を肌に感じる。

 早い、時速とかそういう次元ではないのかも知れない。

「さーてこれでようやくアンタとも戦えるってワケだ」

 零二は舌をペロリと出すと下唇を舐め……相手に飛び込む。

 熱操作の時間は全力だと精々が一分といった所だろうか?

 本調子には程遠い状態と言える。

(でもよぉ、そンだけありゃ充分ってもンだろ?)

 この対決はあっという間に決着する。根拠はない、だがその確信が零二にはあった。

「行くぜ行くぜ行くぜェェェッッッ!!」

 歯を剥き、獰猛な雄叫びを挙げつつ──全身から熱を発した。

 それに対して、縁起祀も一歩を踏み出す。



 ◆◆◆



「げははははっっ」

 闇夜の中を巨漢が一人、宙を舞いつつ飛びかかる。

 右腕を振り上げてそこから一気に振り降ろす。

「ちっ」

 美影が後ろへと飛び退く。そこに巨大な拳が叩き込まれる。

 ガゴン、という轟音と共にその拳は地面にめり込んでいた。

「げはははは、よく躱せたなお姉ちゃん」

 巨漢は潰れた様な霞んだ声で笑う。さっきまでの追撃者達の一団とは違う。コイツは同類マイノリティだ。

 げはははは、と巨漢はその寸胴みたいな腹を擦りながら豪快に笑う。

 下品な声だ、そう美影は思う。

 ちなみに相手の拳はただの拳ではない。それはまるで槌の様な形であり、その槌の先端からは血が滴っている。相手のでもなければ、無論美影のでもない。この相手はこうして戦う前にこの凶器そのものの拳で何かを殴打していた、そういう事だろう。

 他の三人は高みの見物らしく、誰も姿を見せはしない。

「で、アンタ誰よ?」

 美影は一応問いかける。まず有り得ないが、もしもWGみうちだと身内殺しになって後が厄介だ。

「あ、俺か? まあ、そうだな今から殺すんだし……別に問題はないか。俺は【ハンマー】だ。あの世に行く前に覚えておけよっっ」

 その巨漢はハンマーと言うらしい。見た目通りのセンスの欠片もないその名を美影は人差し指でこめかみを軽く、トントンと叩いて思い返してみるが、そんなコードネームのエージェントはいない。

「じゃいっか」

 それだけ呟くと、彼女は何を思ったか――突然相手に背を向けて走り出す。

「おい待てこら」

 ハンマーは思わぬ相手の行動に怒りを露に追いかける。

 見た目によらず、なかなかの速度で追ってくるが、美影の炎の噴射による瞬間加速の方が速度ではかなり勝っているらしい。相手との距離は二〇メートルは開いた事だろう。

 美影はこの相手に対して出来うる限り手の内を見せずに勝つつもりだ。

 理由は単純。敵はこの今、戦っているハンマーなる巨漢以外にもいるからだ。残り三人どういう思惑の元で動いているかは判然としない。だが、少なくとも相手の手の内が分からない状況で自分の手札だけを明らかにするのは得策じゃない。

「くそガキがっっっ……げははははッッッ」

 ハンマーは耳障りな笑い声を発しながら左の拳をもハンマーと化すると、何を考えているのか、その槌の様な左右の拳を地面へと叩きつけていく。当然、美影には何の問題もない……かに見えた。

 ビシシシシ。

 妙な音が耳に入った、だが構う事はない。

 もうあと少し、二十メートルって所だろうか。

 ピシピシ。

 何かの感覚を足元に感じる。

「くそっ」

 思わず美影は舌打ちする。自分の足元に亀裂が走っていた。

 間違いなく、あの後ろからこちらに向かってくる単細胞っぽい巨漢からの攻撃だ。

「げははははっっ、もう一丁だ!!」

 ハンマーは更に左右の槌を地面に叩きつけていく。

 ミシミシ、と軋む様な音。

 美影へ向かってくる地面の亀裂が更に激しさを増していく。

 局地的な地震の様な揺れが起き、美影の足元を大きくぐらつかせ、動きを阻害される。

「死ねぃッッッッ」

 その隙を見計らったかの如く、ハンマーは一気に飛びかかった。

 美影は小さな地割れに足を引っかけている。今なら確実に始末出来る、そう彼は確信していた。

 このまま槌を相手に振り降ろしさえすれば片はつくだろう。

 彼の一撃の前にはどんな相手であっても敵ではなかった。

 常軌を逸した回復力を持つマイノリティとて死ぬ。例えば、もうリカバーすら使えない程に消耗していれば。例えば、その攻撃を受けたマイノリティが諦めてしまう……心が折れれば。

 この場合は後者だ。彼の槌での一撃、その野蛮で原始的な打撃を受けた相手は喰らった瞬間に思うのだ。死んだ、と。

 彼は相手が絶望しながら潰れるのを目にするのが好きだった。

 もしくは相手が何も分からないまま、その首が千切れるのを見るのが好きだった。

 さっきだってあの工場ではなかなかに楽しめた。

 弱い連中を殴って殺すのは本当に楽しい。

 本当ならば、さっき工場へ入っていった。あの肉感的な女性も殺してみたかった。ああいう気の強そうな女を苦悶に満ちた表情にしてやりかたかった、……そう”依頼”さえなければ。

 だから、今このハンマーという巨漢が美影に襲いかかるのはその事に対する代償行為だともいえる。


 だが彼は分かってはいなかった。

 今、自分の相手である怒羅美影という少女の実力を。

 さっきまでの一方的な自分の攻撃で反撃が無かったのを、彼女が自分に敵わないからだ、と決め付けていたのだ。

 槌を振り降ろす。狙いはあのファニーな顔。

 理由は、あの少女の整った顔が自分の一撃でグチャグチャになるのを早く目にしたかったからだ。


「調子に乗るな」


 静かだが威圧するような声と共に炎が巻き上がった。

 まるで自分と相手の間を遮る様に。

 巨漢が、その名の由縁である両の手の槌で邪魔な炎を吹き飛ばそうと力を込める。風圧で消える、そう思いつつ。

 しかし、

「ぐぎゃあああああ」

 悲鳴があがった。ハンマーの上半身が炎に包み込まれた。

 ば、ばかな、と巨漢は呻き苦しむ。

 それは、彼のこれ迄の経験からは想像も出来ない程の勢い。

 彼のこれ迄の経験からは想像も出来ない程の業火。

 美影は悶えるハンマーにトドメを刺さず、自身の目的を達する事を優先する。

「き、きざまっっ、舐めるなあっっっっ」

 巨漢は己が軽んじられたと理解。怒りが込み上げてきたらしく、炎に身を焦がされながらも怒りがその苦痛を忘れさせた。

 その身を炎に飲み込まれながらも一歩、一歩と足を前に踏み出す。そして目にした。

 それは黒く大きな影。

 鉄製の漆黒の軍馬。


「悪いね、アンタと遊ぶ気はないんだ」

 気が付くと美影の声が聞こえた。

 バルルル、という轟音と共に。

 巨漢が相手の駆るカスタムバイクを目にした瞬間には勝負は決していた。その前輪が怒れる巨漢の顔面を踏み潰さんと襲いかかる。

 ぐしゃり、という気味の悪い何かが潰れる音。

「…………がっっっ」

 それだけを口にすると巨漢は崩れ落ちた。

 美影は相手を一瞥。手応えは充分。このまま放って於いても炎が全てを焼き尽くすだろう。


「どうするの? アタシなら構わないよ──かかってきな!!」

 自分と巨漢の今の勝負を高みの見物と洒落こんだ、残りの三人へと言葉を投げた。

 高圧的な言葉遣いは他の連中を誘い込むためだったが、誰も姿を見せようとはしない。

 どうやら今、側で燃え尽きようとしている巨漢以外は積極的に戦おうとする意思は希薄らしい。

「あっそ、じゃあいいわ」

 美影としても、他の連中が向かってこないのなら別段無理に戦う理由もない。

 連中がどういう思惑かは分からないが、今、彼女が優先すべきは縁起祀が持ち去った例のアンプルの奪取。

 今頃は零二とあの弾丸女がぶつかり合っているだろう。

 そして恐らくその決着は長引かない。

「待ってなさいよ、……武藤零二」

 そうして美影はバイクを駆る。

 運転するのは初めてだったが、思いの外、簡単に動くこの鉄製の軍馬の機動力に軽く心を奪われながら。

 だが彼女はまだ気付いてはいない。

 このバイクの駆動は簡単だが、その静動は困難である事に。

 その結果、今回こそはバイクを中破させずに済んだ、とホッとしている本来の運転手がその顔を真っ青にする事になる、と。


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