フール&パペッター(fool&puppeteer)その12
(痛っ、──)
会議室へと突っ込んだ美影は、素早く立ち上がると、痛みを訴える自身の左手に目をやる。てっきりこの部屋へと突き破った際に引き戸か壁の破片でも刺さったのかと思ったのだが。それは思惑違いだった。
(躱した、そう思ったけど)
手の甲には何本もの針が刺さっているのが見える。激しく痛みが走るといった感じではない。チクチク、とした小さく、それでいて尾を引きそうな痛みは痛覚そのものよりも、異物による不快感を感じさせる。
「いた、っ」
抜こうとした手に痛みが生じ、確認すると、指に血が滲んでいる。
見れば針から更に小さな針が無数に生えていた。
(薔薇の棘みたいなモノ? いいえ、そんなカワイイものじゃないわね)
下手に触れば怪我をする、そう判断した美影は刺さった針を燃やそうと試みようとするが。
「ハァ、ハハハハッハハァァァ」
そこに針の主であるボリスが、美影を追いかけて会議室へと入ってくる。
その姿はハリネズミ、とでも形容すべきモノ。文字通りの意味で全身から無数の針を飛び出させている。
「クソメスガキっっ」
口から多量の唾を吐き出しつつ、全身から針を射出。上下左右、優に数千以上の針はまさに雨のように襲いかかる。
(さぁ、どうするぅ?)
ボリスの針は自身の体毛を変異させたモノ。体毛を変異させ肥大化。その硬度はコンクリートを容易く貫く。
(燃やすか、躱すか? いや躱すのは無理ってものだな)
ボリスは自分の針の動き、軌道の全てが把握出来ている。一種のセンサーのようなモノが働いているらしく、針一本一本がこの先どうなるのかが感覚的に分かるのだ。
(さぁ、燃やしてみろよ)
躱すのはまず不可能だ。それを為すだけのスペースなど与えていないし、それだけの身体能力はないはず。
であれば選択肢は簡単。炎で針を燃やす一択しかない。そしてそう来るのが分かっていれば対応可能。
「────っ」
美影は火球を発現させる。だが、ボリスが仕掛ける。
「しねしねしねしねっっっ」
声に呼応するかのように針は勢いを増し──美影の眼前へと迫っていく。
ボリスの針は、彼個人の一部でもある。単なる射出して終わり、ではなく、放たれる速度をも切り替える事が可能。
「──!」
急加速した針が獲物へ到達するまで、距離にして数十センチ。ここまで詰められては回避など不可能。
(ハァ、ハハハハッハハ。殺った)
ボリスは己の勝利を確信した。
ミロンの力を借りずとも大物を仕留める事が出来た。その事がこのタトゥーの男に自身への強い優越感を感じさせた。
(────ッッ)
一方の美影は舌打ちしたい気分だった。
決して油断していた訳ではない。そもそも二対一という状況であり、相手のイレギュラーは不明。有利不利で話を進めるのであれば、間違いなく、文句のつけようもなく不利なのは自分、という自覚は持っていた。
針が迫る。より正確には針、というよりそれは錐揉みするように迫る矢尻、とでも形容した方が正しかった。
急加速し、間合いを一気に潰された。間違いなく敵は美影の選択肢を絞った上でこの攻撃をしかけたに違いない。
(ハァ、ったく)
確かにいい攻撃だと思う。もしも自分が相手のイレギュラーだったとしても、この攻撃によって先手必勝を狙うに違いない。
(頭悪そう、とか思ったけど、)
視線を絶叫しているタトゥーの男へ向ける。
(ううん、やっぱり頭は悪いわね、っていうか品性に欠けてる)
しかし美影は焦らない。あくまでも相手は自分の事を理解しているつもり、でしかないのだから。
ゴオッ。
眩い光が発せられる。
「うぐぬっっ」
ボリスの視界は赤く染まり、焼き付く。
「ハァ、っっ?」
感覚で分かる。針が、一つ残らずに燃えた、と。
「ば、かな……」
有り得ない。二千五百七十三本。それだけの針の悉くが瞬時に消え失せるなどまず有り得ない、はずだった。その事実が指し示すのはただの一つだけ。
ザシャ、と足音が炎の向こうから聞こえ、ボリスは思わず後ろへ下がる。
「アンタさ。アタシのコト甘く見過ぎ」
コキコキ、と首を鳴らしながら、美影が姿を表す。
そう。確かに先手としては有効だった。ただ、根本的な問題が一つ。
「ずっと同じ強さのままだと思うワケ?」
単純な話だった。今の美影は以前よりも強い。肉体操作能力のイレギュラー持ちのマイノリティのような、目に見える形での強化、レベルアップとはいかないが、美影は自分のイレギュラーについての理解を深め、その結果が今の事態を起こした。
「ハァ、クソメスガキッッッッッ」
ボリスは全身から再度針を射出。かつ今度は自分自身も突っ込んでいく。
「串刺しにぃぃぃぃ」
メキメキ、と針を瞬時に生え揃わせ、そこから伸び出させた。
「……ふぅ」
美影は一息入れる。確かにさっきのように容易くはない。射出された針は少なく見積もってもさっきとほぼ同数。それを迎撃するのは簡単、だがその次が問題である。本人自体が針の塊となって突っ込む。一見破れかぶれの愚かな選択肢に見えるが、美影はそうは見ていない。
(あれは堅固だ)
ボリス自身を覆う針は一種の鎧でもある。鎧、というからには高い防御力がある。だからといって突破出来ない訳ではない。
(鎧は突破出来る、けど……)
恐らく鎧を打ち消した直後、ボリスは再度同じ鎧を纏うであろう。それは計算ではなく、防衛、生存本能に即した行動。
(倒し切れるかは微妙、じゃあ)
ならば、と美影が取った手段は。
「しねしねしねしねっっっ」
ボリスはこの二段構えで一矢報いれると確信していた。確かに射出された針は同じく燃えるだろう。それは仕方がない。
(ハァ、だがおれ自身の突撃は防げまい)
無数のスパイクによる体当たり。単純な攻撃だが威力は抜群。戦車の装甲すら突破可能な一撃は華奢な小娘ならひとたまりもないのは明白だった。
(はらわたをぶちまけさせてやるぜっっ)
目の前にいる獲物の、絶望に満ちた顔を見下ろす事を妄想し、ボリスは口元を大きく歪めた。
だが。
「か、…………っは?」
何故か足が動かない。いや、動かないのではなく動けない。
「ば、ハァ、?」
身体が、手足の一本に至るまでピクリとも動かせない。それのみならず、射出したはずの針も動きを止めている。
「こ、れは────?」
そこでボリスはようやく気付く。自分の身体が凍結している事に。床に足がくっつき、放った針は一つ残らずに氷の壁とでも表現すればいいのか、ともかく氷の中に収められている。
「やっぱりね」
美影は氷の壁から姿を見せる。
「アンタの知ってるデータは古いのよ、だって」
そう。今の美影は以前とは違う。炎のみならず、氷をも操る氷炎能力者なのだから。炎でダメなら氷で、攻撃と防御、或いは双方に於いてレベルアップを果たしていた。
「ハァ、っ? おかしいだろ、なんだよそれ?」
ボリスの疑念は極めて真っ当だった。
氷炎を操るマイノリティなら見た事がある。
確かに厄介な相手ではある。何せ一見すればまるで二つの能力を持っているかのような相手なのだから。
だが、それでも、だ。
「氷炎使いっていったって、偏りがあるはずだ」
氷炎とは相反する現象。それらを扱うにしても、どちらかに偏っている。何故ならイレギュラーは担い手の在り方によって発現する能力なのだから。
「ハァ、これじゃ、どちらも半々だってのか?」
だが、そんなはずはない。半々、つまり百パーセント中の容量の内、五十パーセントずつ器用に分けられるなどおかしい。
「半分ずつ、にしちゃ強すぎ──る」
有り得ない、これで半分ずつ分け合ってるとは思えないし、思いたくない。そんなの有ってはならない。
「そんなの知らないわよ」
無論、美影の知った事ではない。有り得ない、と言われようとも出来てしまったのだから。
「まぁ、コレで一人は封じた。で、」
美影は廊下にいるもう一人へ視線を向ける。
「ウム、強いな」
そこにいるのはボリスの相棒たるミロン。
「警戒してたのだけど、どうして何もして来なかったワケ?」
美影がボリスを一気に倒さなかった理由はもう一人の敵、つまりはミロンがいつ介入するのか分からなかったから。下手に隙を見せれば予期せぬ苦戦を強いられる可能性がある。だからこそ、一気呵成にいかなかったのだが。
「ボリス、どうする?」
ミロンはボリスに訊ねる。
「ハァ、ぶっ殺せ、やっちまえ」
「ウム。分かった」
それがきっかけだった。ミロンは自分から仕掛けない。仕掛けるのであれば、相棒の許可がなければならない。いつの頃からかそうなっていた。
そして、その許可こそがミロンのスイッチ。普段は温厚そうですらある彼の中で眠っている怪物を目覚めさせる切り替え装置。
「ウ、ムウウウウウウウウウガアアアアアアア」
ミロンの全身が不規則に蠢き始める。
「第二ラウンド開始、ってトコかしら」
美影は新たな敵に対して身構えるのだった。
 




