クレイジーサマーエンディングザディ(Crazy summer ending the day)その25
(数時間前、零二が学校での戦いを終えた直後)
半ば半壊という学校の状態にも関わらず、学校周辺の家々は何も気付かないかのように夜の帳の中に沈んでいる。
理由は簡単で、学校周辺にはいくつもの”フィールド”が同時に展開されていたから。
一人は零二であり、また一人は歌音であり、最後のもう一人は今、校庭で相手を待ち受ける怒羅美影であった。通常であれば一人が展開するだけでも効力を発揮するマイノリティによる結界が同時に幾重にも張られた結果、マイノリティではない一般人に対して強力に作用。一時的に普段そこにあるはずの建物の存在自体を失念するという事態を招き寄せる事に成功していた。
とは言えその結果、この複合的な結界はこれ以上なく強烈にマイノリティにこの場所の存在をアピールする事にもなっているのだが。まず間違いなく間もなくWG九頭龍支部がここに来るのは間違いないだろう。
つまり零二があの教室にいられる刻限は、そろそろ終わりを迎えつつあった。
そんな中で彼女達は相対する。
「それで、何があったのか教えてくれるかしら?」
周囲にいくつもの火球を揺らめかせ、怒羅美影は訊ねる。
その相手は桜音次歌音。
「あなたには関係ないと思うけど?」
歌音はいつもとは異なり、相手の前に姿を見せている。理由は簡単で、美影に自身の居場所を探り当てられたからだった。
「そう? 少なくともアンタの武藤零二の援護はしたつもりだけど」
人の悪そうな笑みを浮かべ、試すように横目で歌音に問いかける。
「…………」
それは事実なだけに歌音も回答に苦慮する。
確かに自分だけでは、あの場で零二をサポートしきれなかったのも事実。霧となった相手の隙を突き、決定的な機会を最後に生み出したのは、目の前にいるいけ好かないWDのエージェントの放った炎の槍なのだ。
(それに、こいつ──)
歌音は半ば確信を抱いていた。目の前の相手と戦っても、恐らくは勝てないだろう、と。
単純な強さでならば、そこまで実力差はないだろう。
零二同様に、遠距離からの狙撃という手段であれば、或いは、とも思えるが、それも通じない可能性をも感じる。
(さっきだって、確かに音の一撃は放ったけど、こいつは正確に私の位置を看破した)
野生的、悪く言えば獣のような不確定性を持った零二とは違い、何処までも冷徹に理性的に相手を追い詰めていくような恐ろしさを歌音は美影から感じていた。
(こいつは敵に回すと厄介ね)
それが歌音が美影に対する評価。だからこそ、こうして相手の目の前に姿を見せたのだ。少なくとも美影に対する歌音なりの敬意を見せたつもりではあるのだが。
「何か言ってくれないかしら? 無言で見つめられてもアタシには心なんか読めないし、分からないわ」
当然ながら、美影にはそんな歌音なりの配慮など分かるはずもない。
無言で自分を睨んでくる年下の少女の態度に苛立ちを覚える。
(全く、どうにも苦手ね。こういうの)
以前の自分ならば、相手がWDに所属している、と知った瞬間には攻撃態勢を取っていただろう。WD、という集団にいる事そのものが悪、だと誰に云われるでもなく頑なに信じていた。そう思っていなければ、幼少時代に自分というモノを決定的に変質させたであろうWDという組織。ひいてはあの道園獲耐という狂人に対する様々な感情が薄れてしまいそうで、それが許せなかった。
「…………ハァ」
美影は思わずため息をつく。
そう、自分の中にあった様々な負の感情の大元だった道園獲耐は既にこの世にいない。まずは肉体、人間としては聞くところによれば藤原新敷により死を迎え、その思考を再現されたプログラムは彼女自身の手で白い箱庭で決着を付けた。
今の美影には、以前のようなWDに対して抱いていた一方的な憎悪は存在しない。
(ダメね。こういうのって)
かぶりを振り、自分の不器用さ、至らなさを反省する。
そう、分かっている。WDだから絶対悪、そうじゃないと。
少なくとも、目の前にいる桜音次歌音は悪ではないだろう。
(それに、あのバカ)
武藤零二もまた、善ではないが、かと言って悪だと断じる事も出来ない。
分かっていた、本当はずっと前に分かっていた。
善悪とは結局は観る者の視点、立ち位置によって如何様にも変わってしまうのだと。
例えば、あるマイノリティがフリークとなり、大勢の人が危険な状況になる。
それを倒すのは大勢の人から見れば、多くの場合は善なのだろう。
だがそのフリークの家族、或いは恋人なりから観た場合、もしかしたらそれは必ずしも善には思えないのかも知れない。
形はどうあれ、大事な者だったモノを殺される。それを理性では善だと思っても、心の奥底では違う、と思うかも知れない。
「悪かったわ。言い直す」
美影はコホン、と咳払いを一つ入れる。
少なくとも、歌音は現段階で敵ではない。戦う理由もない。
「ここで何があったのか、教えてくれるかしら?」
そう訊ねる美影の表情にさっきまでの敵意は浮かんでいない。
「…………」
歌音はあくまでも冷静だった。
目の前の美影の音に耳を澄ませ、その抱いている感情を聴き取る。
どんなに取り繕っても、音は誤魔化せない。心音は嘘をつかない。
だから分かる。目の前にいる怒羅美影という人物が今、どういった感情を抱いているのかを大まかには。少なくとも悪意、害意は抱いていない。もっとも当然ながら好意、でもない。何せ自分達は本来ならば敵対関係。少なくとも九頭龍以外の場所ならば、こうして会話をしているだけでもあらぬ嫌疑を抱かれる可能性すらあるのだ。
緊張はしているみたいだが、それはお互い様。仕方のない事だろう。その上で歌音が選んだ結論は。
「…………分かった。でも今は急いであの零二を運び出すのが先。ここにいちゃWGに捕まえてくれ、というのと一緒だから」
「そうね。それにWG以外の、そちらのWDの方にも気を付けなきゃ、でしょうし。明日にでも話をしましょう」
「分かったわ」
歌音としては他の選択肢など初めから存在しない。
そもそも戦っても勝てる可能性の低い相手。ここで敵対してもいい事はなかった。
◆
時刻は間もなく朝四時。空を見上げれば月が浮かび、空はまだ暗い。
とは言え、夜はもう終わりに近付き、新しい朝が訪れる。
「明日、とは言ったけど、数時間後の、こんな時間に呼び出すなんてね」
美影は憮然とした表情で、自分から指定した噴水前の広場で相手が来るのを待っている。
夏、とは言っても今日からは九月。日中こそ暑いものの、早朝は流石に涼しい。
目を凝らせばまだ薄暗い周囲にちらほら、と動く光源は恐らくは新聞配達だろう。
(こんな時間でも、働いている人はいる)
今更ながらに思う。
どんな場所でも、そこに人がいれば生活があるのだと。
これまで様々な場所を転々とした。両親と一緒に暮らしたマンション。WDに攫われ、そこから幾つもの研究所をたらい回しにされ、白い箱庭、さらにそこから様々な研究所へ。WGに救出されてからはまた各地を転々とした。
(ああ、何で気付かなかったんだろ)
多分、色々なモノを見落としたのだろう。憎しみに駆られて、すぐ傍にあったであろう様々なモノを見ていなかった。
「ハァ、全くバカだな。アタシも」
それが今はどうだろう?
まだ四ヶ月、なのかも知れない。だけど美影にとってはもう四ヶ月。各地のWG支部を転々とした頃ならばとっくに二つか三つは支部を変わっていただろう。
(何が違うんだろう?)
きっかけは何だったのか、それはまだ分からない。だけど自分の中の何かが変わったのだけは実感している。
まだまだ問題は山積している。WDの結束の乱れにより、街の治安は悪化している。
自分にとっては借りのある相手、別名”ベルウェザー”ことエリザベスの行方だった依然として分からないまま。手がかりも結局何も見つからなかった。
(でも、今は切り替えよう。結局、出来るコトからやっていくしかないんだから)
自分だけで何もかもやろうとはもう思わない。仲間を頼ろう、借りを作った相手に協力してもらってもいいだろう。
(今回、少なくともあの零二に借りは返したわよね)
なら貸し借りナシだけど、頼めば手伝ってくれるかも、とも思う。
以前ならそんな事は決して思い付きもしなかった考えも、今は浮かぶ。
──待たせたわね。
声にならない声、音が届き、美影は考えを引っ込める。
これは場合によっては、裏切り行為とも受け取れる行動なのかも知れない。
何せ自分はWGの一員。それがWDの関係者とこうして接触をしようというのだから。
今や一月前のような休戦状態ではないのだ。
(だけどアタシは……)
だが美影は決めた。
「こんな時間に呼び出すなんて、アンタ非常識ね」
──こっちも学校があるの。色々あって転校しなきゃいけないから、今日は休めないの。
「へぇ、……案外マジメなのね」
──だから、前ほどに私はあのバカの面倒見切れなくなるんだけど。
「…………」
「正直、私にはあいつの首輪役はもう無理。借りもあるし、何より…………」
言い淀む歌音は顔を背け、少しの間沈黙する。時間に換算すればそれは数秒足らず。なのに、歌音のみならず美影にもずっと長い時間のように思える。
「怒羅美影、あなたにあのバカの面倒を見てもらってもいい?」
それは思わぬ提案、ではなかった。
「…………首輪ってのは御免被るわ。だけど、少し位なら面倒見てもいい」
──え?
提案した歌音の方が逆に驚く。確かに言い出したのは自分からだが、もっと時間がかかる事を想定していたから。仮にもWGの一員である以上、敵組織の一員たる零二の面倒を見る、というのは敵への内通容疑をかけられる可能も含むからだ。
「アイツのコトを一々面倒見てられないけど、バカなコトをやらかしそうなら、ぶっ飛ばす。そういうコトでいいんでしょ?」
──え、ああ。うん。
もっと時間をかけて頼むつもりだった歌音としては、完全に肩透かしの状態。
「じゃあ、この件は終わり。なら、今度はあの学校での出来事を教えてもらえるかな?」
──分かったわ、なら──。
歌音は当惑しながらも、約束通りに一連の話をする。もっとも、木岐に関わる話は全てを話すつもりはない。零二と話した末で、決めたのだ。当面は木岐を保護するのだと。
あくまでも巻き込まれただけの被害者だと説明。余計な介入を防ぐ為にも。
これがどういう事態へと繋がるのか、歌音は無論、零二にも分かるはずもない。
神ならざる身に、未来などは分かりはしない、少なくとも適合した者ではないのだから。




