クレイジーサマーエンディングザディ(Crazy summer ending the day)その21
ピチャン。水滴が落ちる音がする。
ああ、聴こえる。声が聴こえる。
ほんの少し前までずっと一緒にいたはずの、誰よりも仲が良かった男の子の声だ。
彼はいつも笑ってた。楽しそうに笑って、私も思わず一緒に笑ってたな。
”ずっとずっといっしょだよ、ききちゃん”
そんな事を言ったのはいつだったろう。
ああ、思い出したよ。
”うん、やくそくだよゆうくん”
私もそんな言葉を返したんだ。
そっか。悠くんは覚えてたんだね。
子供の頃の言葉をずっとずっと。深く深く心に刻みつけてたんだね。
心が壊れた後も、その言葉を、約束だけは忘れずに、守ろうとしたんだね。
そんな薄情な私が悠くんに言える言葉は、────。
◆◆◆
その刹那、空気が爆ぜた。
霧に覆われた教室内の水分が激情の焔によって瞬時に沸騰、水蒸気爆発を引き起こしたのだ。
「く、がっっ」
零二は爆発で吹き飛そうになるのをこらえて、爆発の余波が木岐に及ばないように前へと立つ。
「──っっっ」
焔や爆発によって生じた熱は問題ない。だが、それ以外には零二は完全に無防備。容赦なく降り注ぐ瓦礫や破片をその身に受け、零二は傷ついていく。
「ち、っっ」
しかし零二は退かない。
彼の後ろには気を失ったままの少女がいるから。戦う力など持たない彼女をこれ以上巻き込む訳にはいかない、それは零二の為だけではなく、きっと相手にしてもまた同じであっただろうから。
「う、っ」
木岐が目を覚ますと、周囲の景色は一変していた。
「げほっ、ごほっ」
思わずむせかえりつつ周囲を見回すと、教室内は靄と煙で何も見えず、背中を預けていた壁も床もボロボロ。何よりも鼻をつく異臭に半覚醒だった意識は一瞬で覚醒した。
「よ、無事だった、な」
声がかけられ、木岐が顔を上げると、自分の前に立つ零二の姿があった。
「え、武藤くん?」
零二の顔色は蒼白だった。そして、木岐の声を聞いて安心したのか、ぐらりと身体をよろめかせると、そのまま倒れ込む。
「ちぇ、思ったよりも、…………」
「!!」
木岐は絶句した。
倒れ込んだ零二だが、全身血塗れ。身体中に無数の破片や、貫通されたような穴が空いており、これで何故生きているのかが理解出来ない程に酷い有り様だった。
「しっかりして」
「へっ、心配いらねェよ。それよか──」
零二はどう見ても強がりとしか思えない笑みを浮かべつつ、指を指す。木岐が視線を動かして、ふるふる、と震える指先の指し示す先にいたのは、瀕死の幼なじみの姿。
「アイツはもう長くない、何か言うなら……いまだぞ」
「零二くん…………」
木岐は零二の促すままに、倒れている幼なじみの傍へ。
「か、っは……う、ぐ」
捌幡悠は苦しみ、悶えていた。全身から焦げたような臭いを漂わせながら。
それは奇妙な光景と云える。焦げた臭いこそすれども、彼自身は何処も燃えてもいなければ、火傷すら負ってないのだ。これなら、零二の方がずっと重傷に見える。
「悠くん」
なのに、分かってしまう。もう、彼は助からないと。
そっと、手で幼なじみの肩に触れた瞬間、確信してしまう。彼の中身はもう燃え尽きたのだと。生命力そのものが灼き尽くされたのだと分かってしまう。
「やぁ、きき」
その声は穏やかだった。
さっきまでのおよそ理性の欠片もない、獣のような印象とは打って変わって、彼女の知ってる幼なじみの少年本来の声だった。
「悠くん、ごめんね…………」
木岐はそれ以上の言葉を口に出来なかった。目の前で死にかけている幼なじみに、それ以上言えば、それで終わってしまう、と思ってしまったから。言おうが言うまいが結末は一緒だと理解していても。間もなく捌幡悠はもうその命の灯火を消す。そう思うと言葉をかけるのが恐ろしくなったのだ。
「いいよ。ごめんな、」
捌幡悠は逆に木岐に謝る。
「おれが、馬鹿な事をしちゃったばっかりに。おれのせいで、真一兄さんまで死んじまった。ほんと、何やってんだか、な」
はは、という捌幡悠の笑い声は何処までも穏やかで、そして渇いている。そうしてひとしきり笑い終えると不意に、その表情を引き締める。
「あのさ、きき」
「…………」
木岐は無言で幼なじみを見つめ返す。彼女には彼が何を言わんとしているのか分かる。
ただ真っ直ぐに幼なじみの少年の最後を看取る。言葉を一言一句聞き逃さないように。
「おれ、お前の事が好きだった」
「うん」
「ずっと、ずうっと前から好きだったんだぜ」
「うん」
「お前さえいてくれたら、それでじゅうぶんだった」
「うん」
「あのさ、木岐。お前はおれのこと…………」
「…………好きだったよ」
「ああ、そっかぁ……………………」
その言葉を聞けたからか、捌幡悠の表情は満ち足りたものへと変わる。
「なんだ。悩んでたのがばかみたいだ。あーあ、もったいない事しちゃった、…………な…………」
それが最期の言葉になった。
名残惜しそうな言葉と、何処までも穏やかな微笑を浮かべ、捌幡悠は絶命した。
そして、まるで意識が途絶えたのを見計らっていたかのように、…………その身体からは焔が溢れ出す。
不思議な事に、その焔は猛り狂ったりはせす、静かに、渦巻いていく。まるで、そう。それは”送り火”なのかも知れない。これから死していく少年が、迷わずに成仏出来るように。勿論、そんなのは単なる思い込みに過ぎないのかも知れない。
だが、目の前の少年は心底から穏やかな面持ちを浮かべている。
淡い、朱色の焔が教室内を照らしていき、そして、やがて消える。
塵へと返っていく幼なじみの少年を、木岐は静かに見送った。




