労いのコーヒー
「ッッッるああッッッ!!」
掛け声をあげつつ零二は、右拳を弧を描く様に下から上へと振り上げた。うっすらと光り輝くその拳は自らへと向かってくる銃弾を触れた瞬間に蒸発させる。
「もう、鬱陶しいわねッッッ」
美影は美影で火球を展開。それを瞬間ソフトボールサイズから浮き輪位の大きさに変化させる。炎の盾は零二同様に向かってくる銃弾を燃やしていく。
エトセトラの面々は明らかに動揺している。
自分達の攻撃があの二人には一切通用していないのだから。
そして彼らは理解した。
今、自分達が相手にしているのは、これまでに戦ってきた誰よりも強い怪物であった、と。
「ったく……くっだンねェなぁ」
ゴキ、ゴキ、と気だるげに首を回すのは零二。
如何にも苛立っているのがその表情からは伝わる。
「雑魚は雑魚らしく寝てろって言うのよ」
そう不満気に顔を膨らませるのは美影。
彼女もまた、不良少年同様に周囲に立ち塞がる障害を睨み付ける。
「ンで、どうするよ?」
「ハァ? 決まってんでしょ! コイツらさっさとブッ飛ばしてあの女を追うのよ!!」
「だよなぁ。あー、めンどくせェ」
「それは同感ね、……さっさと片付けるわよ」
持っていたアンプルの入ったポーチを盗られた美影と、早くも腹が減り出してイライラし始めた零二は、相対する敵に全く容赦しなかった。
哀れなエトセトラの面々は向かってくる巨大な火球に追い立てられ、逃げ道を零二のバイクに塞がれる。
彼らに残された選択肢は大火傷か、バイクのタイヤを喰らっての顔面骨折のみだった。
「さて、と」
「おい、ちょ……何してンだよ?」
零二が思わず声をあげる。
いきなり美影がバイクの後部に乗ったからだ。
「は、何? 追いかけるんでしょ?」
「あ、いや、そうだけどよぉ」
「じゃあ丁度良いじゃない。……乗せてってよ」
「お前なぁ……こっちはWDだぞ? お前はWGの一員だろが」
零二は柄にもなく説教を口にしてしまう。
だが美影はというと、
「でも、九頭龍じゃ休戦状態なんでしょ? じゃ別にいいんじゃない。持ってかれたサンプルを取り返す迄の一時休戦ってコトでさ」
そう言うと零二の頭にヘルメットを被せる。
「はぁ、ったくオレよりタチが悪いヤツがいるとはねェ」
「いいから走れ、運転手♪」
「……あいよ」
ったく、とボヤきながら互いに腹に一物ある、期間限定のコンビがここに誕生した。
「っていうかさ、このバイク何でこんなに穴だらけなの?
一体何処の道を走ってきたのよ、アンタ?」
「う、るっさい。ちょいとばっかここに来る前にだなぁ。
あーー、やべェ。下田の爺さンが怒るじゃねぇかよぉッッ」
◆◆◆
「もうすぐかな?」
「落ち着けよ。祀さんが失敗するはずない」
「だよなぁ」
ここは縁起祀の率いるドロップアウトチームリングアウトの根城である倉庫。九頭龍の中心街から外れた田園地帯の外れにあるその倉庫には今は三十人程のメンバーが集っていた。
リングアウトのメンバーの総数は五十人。
その大半は本来であれば高校生から大学生位の年齢層だ。
今ここにいるのは年齢的には大学生の連中。
残りの二十人である高校生、もしくはそうだった連中はこの場に来てはいない。その理由は今、リーダーである縁起祀が”仕事中”だからだ。
ここにいる面々は自分達のリーダーが所謂異能力を扱える事を知らされている。彼らは知っている、この世界には自分達のリーダーの様な力を持った者達が無数にいる事を。
リーダーである縁起祀は時折、”運び屋”の仕事を受ける時がある。
そこで彼女が受ける仕事については、彼ら詳しい話は聞かされてない。だが大まかに聞いただけでヤバそうな話ばかりだった。
今夜の用件もご多分に漏れず、かなりヤバそうだった。
彼らもまた遠目から倉庫を見ていた。
まるで映画でも見ている様な、そんな信じられない光景だった。
戦闘服を纏った特殊部隊の様な集団は、まさしく音を立てない様に無駄なく倉庫の見張りをしていた警備員を排除。
そこから突入して僅か二分程度で火まで放っていた。
ここまででもう自分達が役に立てそうもない事は分かった。
更にそこから双眼鏡越しに見たのは、最早人智を逸脱した光景。
一人の少女が特殊部隊の前に姿を見せて、たった一人で文字通りの一蹴。アッサリと恐らくは自分達のリーダーが依頼を受けた品物らしき物を奪う。
そしてそこにもう一人の少年が姿を見せた。
そこからはもう現実離れした光景が繰り広げられた。
あっという間に倉庫が火に包まれた。
縁起祀はこうなる事は分かっていたのだろう。
「予定通りに行くぞ」
そう、最初からリーダーはこの戦いに自分達を巻き込むつもりはなかった。
そもそも自分達が付いていく、とリーダーの話を聞かずに付いてきたのだ。
なのに、彼女はこう言った。
「お前らは戻れ」
最初は役立たず扱いされた事に反発を覚えた。
でもそれは間違っていなかった、実際役立たずなのだから。
目の前にいるリーダーはあんな化け物みたいな連中と幾度も戦ったのだろう、そう思うと彼らは震えた。
別世界の住人みたいに思えた。
「心配するなって。ワタシは帰ってくるよ……家族の所に、ね」
そう言ったリーダーの手先は軽く震えていた。
(リーダーもまた、怖いんだ)
彼らは理解した。それも当然の事だ。
いくらすごい力を持っていようがあんな人智を越えた戦いの渦中に飛び込むのが怖くない訳がないのだ。
「じゃ、行くよ。先に帰ってコーヒーでも用意しといて」
そう言うと背中を向けて戦場に向かっていく。手先の震えを誤魔化すかの様に拳を握り締めながら。
あれから三十分。
根城では皆がリーダーの帰りを今か今か、と待ち受けていた。
今夜のイベントでの収益は皆に分配済みであり、金庫はもう空っぽ。だだっ広い倉庫の中央にはテーブルが置いてあり、コーヒーカップが一つ置いてある。
すぐ側ではコーヒーミルがガリガリ、とコーヒー豆を砕く音。
彼らのリーダーである縁起祀はコーヒー好きだ。
基本的には物事に無頓着な彼女ではあるが、コーヒーにだけは拘りが強い。
コーヒーはインスタントではなく、厳選した豆を挽く。使う水は彼女自身がチェックした欧州のミネラルウォーターのみ。
それらを豊かな香りを楽しみながら飲む。
彼らは普段は決して冷静さを崩さないリーダーがその時だけ見せる優しい笑顔が大好きだった。
今、こうしてコーヒーの用意をしていたのも、もうすぐ戻ってくるはずの自分達のリーダーを迎える為。
自分達みたいな奴を決して見捨てる事もなく面倒を見てくれる彼女へのささやかな労いだ。
ゴンゴン、倉庫の扉が叩かれる。
ここの扉は防音というよりは防爆処置が施されており、従来の物よりもかなり重く部厚い。
「せーのっっ」
だからこの扉を開け閉めするには四人がかりでの仕事になる。
ギシギシギシギシ……。
錆びた金属の擦れる音と共に重々しい扉が開いていく。
彼らは自分達のリーダーが戻ってきた、と思っていた。
帰ってきた彼女を労おうと彼らは思っていた。
そして開かれた扉から姿を見せたのは――!
「悪いね、ホントにさ」
「俺らでも少しは役に立たなきゃですからね」
今、彼女はバイクに乗っていた。
待機していたリングアウトの一人、貴己が彼女の為にバイクを一台用意して待っていたのだ。
彼女の高速移動は零二の熱操作と同様、体力の消耗が激しいイレギュラーだ。その為に彼女は滅多に全力は出さない。
零二の場合はカロリー補給である程度の回復が見込めるが、縁起祀の場合は単純に重度の筋肉痛に苛まれる。
さっきも全力を出してはいなかったのだが、出した所で相手、美影には勝てる気がしなかった。
(アイツはヤバイ)
出来れば二度とお目にかかりたくはない、そう心底から思う。
そうこうしている内に二台のバイクは自分達の根城へと迫っていた。今頃は他の連中もこちらの帰りを待っている事だろう。
コーヒーを用意してくれているのは雨戸だろうか。
がさつなリングアウトの面々ばかりの中、彼だけは唯一リーダーである祀のコーヒーの好みをきちんと把握している。
(とりあえず一息つこう。それで依頼主に電話して品物を渡せばいいか)
根城の裏にバイクを止め、表へと向かう。
「ん? 扉が開いてる」
彼女が戻るまでは開かない様に厳命していた扉が、開いている。
それから少し妙だった。いつもなら騒がしい仲間達の声が全く聞こえない。
(全く不用心だな)
そう思いつつも中に足を踏み入れる。
「あ……っ」
そして彼女はしばし絶句した。




