クレイジーサマーエンディングザディ(Crazy summer ending the day)その18
「零二くん」
「わりィ、迷惑かけちまったな」
そう零二は謝罪すると、肩を貸してくれていた木岐から離れ、肉塊と成り果てた捌幡悠の前に進み出る。ヨロヨロとした覚束ないその足元は、誰の目にも零二が弱っていると確信させる事だろう。
「キきぃぃィィィィ」
「よ、バケモノ。お前の相手はオレ──っく」
肉塊は零二に攻撃をしかける。その腐り落ちていく身体の一部を意図して切り離し、霧状に変化、それを零二へと放った。
「う、ぜっっ」
零二は拳を輝かせるやその霧へ向けて一撃。ジュワ、という音を出して不浄の霧は瞬時に消えていく。
「く、っは……」
だが零二は口から吐血。今の防御だけで、全身が軋むように痛んだのだ。
「キ、キィィィィィ」
肉塊にはもはや他に言葉、がないらしい。だがそのビー玉のような目は真っ直ぐに、自身の願望たる少女の前に立つ邪魔者を睨みつけている。
突き刺さらんばかりの剥き出しの殺意を、ひしひし、と零二は肌で感じながら呟く。
「…………お前、可哀想なヤツだな」
それは零二の本心からの言葉。
もう、フリーク以外の何者でもない肉塊と成り果てた捌幡悠。もう理性など完全に喪失し、ただただ己が欲望、いや本能で蠢くモノとなったソレに心から同情したのだ。
「き、ぃきいいいいいいい」
「ああ、ソレだけがお前にとっての存在意義だってワケなのは分かったよ」
零二は焔を揺らめかせる。本調子からは到底遠い最悪なコンディション。
正直言えば、うっかり気を緩めでもしたら、そのまま気絶してしまう事を確信していた。それ程に最悪な状態。本来であれば今すぐにでもこの場から撤退すべき状況なのだが、……そんな事は関係ない。
「なぁお前、捌幡悠だっけか。ここまで木岐のコト考えてたってンならよ、もっと前に自分の口からキチンと伝えとけば良かったのかもな」
自分でも驚く位に感傷的な言葉が口をついて出た。それは心底から目前にいる怪物に同情していたからなのだが。
(ああ、そうだな。ちょっと間違えればオレがこうなっちまってもおかしくねェンだよな)
その姿、有り様は何か、ほんの小さなキッカケさえありさえすれば、自分がああなっていたのかも知れない、そう思ってしまった。
「う、おっっ」
霧が迫る。今の零二はイレギュラーを操ろうにも集中出来ない。
ズキン、ズキンとした頭痛、それだけではなく、全身にはブスブス、とナイフで突き刺されているような鋭い痛み。全身から血が滲むのは、恐らくは全身を駆け巡る無数の血管が切れているからだろう。
(リカバー、は使えねェな。やっぱり)
さっきから零二は幾度となくリカバーを用いようと試みてみたが、一向に傷は塞がらない。より正確にはリカバーが発動しないのだ。
(やっぱ、原因はコレか?)
視線を向けたのは肩に刺さった小さな傷。この傷には覚えがある。幾度も目にした事のある馴染みのある傷…………銃創。
(いつの間にか撃たれてたけど、オレの身体の痛みの中心はこっからだ)
激痛の渦中、著しく集中力を欠いた状態なれど、零二は冷静だった。
(皮肉ってのはまさにこういうコトだな)
武藤零二、いや、No.02と呼ばれていた実験体にとって痛みは極々身近な隣人だった。物心ついた時には既に白い箱庭という研究所にいた彼は、実験と称した人体実験を数え切れない程に体験している。
「いってェな」
どういった理由にせよ、全身の血管が損傷しているのは間違いない。それに内臓も痛む。
(こりゃまるで麻酔ナシの解剖されてるみてェだよな。こう、……手を土手っ腹に突っ込まれた時みたくさ)
その光景を目の当たりにすれば大多数の人は気分を悪くするか、或いは失神しかねないだろう。何せ様々な医療用と思しき機材にそれとは毛色が異なる、恐らくは実験機材に取り囲まれた不気味な場所の中央にあるベッドで自分の体内を弄られた光景。真っ赤な鮮血がほとばしり、周囲を染め上げていく。それが、そんなモノが覚えている限りで、物心ついたNo.02の最初の記憶なのだから。
(ああ、イヤなモノを思い出しちまった)
怒りを覚えてもおかしくはない光景だが、零二が抱くのは同情心。
確かに許せるか、許せないかで判断するなら許せはしない。もしも目の前にあの研究者たちがいれば間違いなく殴っただろう。
(ああ、絶対許せねェさ。だけどな……)
復讐しようにも無理だった。何故なら彼らはもう存在しない。
二年前に灼き尽くしたから。白い箱庭を滅ぼした自身の暴走によって諸共に消え去ったのだ。
だからいくら怒りを蓄えても無駄だった。
(そもそもオレは連中に怒りすら抱いちゃいなかったのかも、な)
No.02だった少年に研究者たちは人間として大事なモノを教えなかった。
喜怒哀楽、そうした感情の事も、善悪の区別等々、人間が人間がらしく在る為の最低限の事すら教えなかったのだ。
気分こそ悪かったし、痛みだってあったが、それも繰り返される内に慣れてしまった。
何も思わなければいいだけ。何も感じなければいいだけ、と。
だからこそ、思う。
自分こそが、そもそも怪物なんじゃないのか?
感情を理解せず、ただ目の前の自分同様の少年少女達を屠った。ただ息をするように、ただ食事を取る為、運動のつもりで。
白い箱庭が壊滅し、外に出て、フリークとは何かを知った時に零二は思った。
”どうしてオレがフリークじゃないのか?”
自分が何をしたかを思い知り、その所業に震えた。何も知らなかった、そんな言い訳など通じようもない程の悪逆を眉一つ変えずに実行してきた自分が恐ろしかった。
誰にも言えない、言ってはならないし、言えるはずもない。こんな怪物を誰が理解出来るというのか? 零二はそんな自分の本心を誰にも言えないままに、未だ迷っている。自分とフリークに何の違いがあるのか、と。
「き、キィィィィィィィ────────」
肉塊はいよいよその肉体を維持出来ないらしく、全身がボロボロと崩れ落ちていく。そして同時にその全てを霧へと転じていく。
「ず、っとイッショにぃぃぃぃ」
そうして全てを霧化させ、周囲を覆い尽くし、その上で一気に迫る。
逃げ場など存在せず、上下左右、四方八方からの一斉攻撃。
もう肉塊となった哀れなモノにとって、自身の願望、本能、欲求を叶えるにはこうするより他になかったのだ。
「ごめんなさい、悠くん。そんなに……」
木岐は怪物に成り果てた幼なじみの想いに涙が止まらない。彼女にも分かった。捌幡悠の本心が。手段はともかくも、彼が本当に自分の事を好きだったのだと。
零二は敢えて訊ねる。
「ここで死にたいか?」
「死ねない」
短いやり取りだった。
そして零二にはそれで充分、──目の前に迫る脅威を打破するには。
「ってワケだ。終わりにしようぜ」
零二は意識を集中させ、自分の中にあるモノを、焔を引き出そうとする。
あの得体の知れない銃撃で、体調は最悪。いつもなら容易く扱えるはずの熱操作すら難しい。その上で焔を手繰るのがどれだけ危険なのか、自分自身が誰よりも知っている。
(こンなモノがピンチなワケねェよな。ココでくたばっちまうような殊勝なヤツじゃねェ。
へっ、そうさ。オレってヤツは生き汚いのさ、ドコまでもな)
そう、ありとあらゆる状況を想定した実験という名の殺し合いの数々が脳裏に浮かぶ。
「いくぞクソッタレ──」
零二は目を見開き、息を吐くと、一気に焔を噴き上げた。




