クレイジーサマーエンディングザディ(Crazy summer ending the day)その14
ピチャン、ピチャン。
水滴が滴り落ちる。声が聴こえる。
ううん、違う。これは声であって声じゃない。
これは誰かの、…………。
そう。思えば好き勝手な人生だった。アタシは自分の思うままに気ままに日々を生きていた。
おかげさまで両親とは半ば絶縁されるような格好になったけど、後悔はないわ。
だってアタシにとって大事なのは自分らしく生きる事。自分の思うまま、自由に、親の定めた道に従って生きていくのなんてまっぴらよ。
だけど、そのせいで悠ちゃんには本当に迷惑をかけちゃった。
兄のアタシが好き勝手やってる分、両親の期待を一身に受ける事になって、きっと大変だったはずだと思う。
何であの子を、悠ちゃんをちゃんと見てなかったんだろうか。
あの子がどんな思いで毎日生きているのかを、察して上げられなかったんだろうか。
気が付けば事態は深刻になっていた。
家では悠ちゃんは両親からの期待に押し潰されそうになっていて、学校では同級生からのいじめの標的になっていた。理由は勉強ばかりしていて、人付き合いが悪いからだとか何とか。皮肉な話だわ。悠ちゃんは誰よりも人懐っこくて、元気な子だったのにね。
あんなに明るくて、元気な子だったはずなのに、誰よりも暗い、翳りのある顔を目の当たりにした時、アタシは自分がどれだけの重圧があの子にのしかかったのかを理解した。
ああ、だからこそ。あの子が、悠ちゃんが楽園という名のドラッグに逃げた事も仕方がないって思ったわ。結果としてあの子がマイノリティとして目覚め、両親を殺してしまい、そして何もかも失おうとしているのをアタシは見過ごす事なんて出来ない。
ここまであの子を追い詰めたのは両親ではなく、アタシなのだから。
だからこそアタシだけはあの子の味方であろう。
あの子が人として理性を失い、やがてはバケモノになってしまうのだとしても。何があってもアタシだけはあの子の傍にいよう。それがアタシがあの子に出来る唯一の事なのだから。
◆◆◆
「武藤君ッッッ」
木岐は思わず声を出す。
零二の背中から血が噴き出すのが見えた。
「しゃあっ」
だが零二は即座に反撃。振り返る事もなく肘を振り回す。
「く、うっ」
そしてその一撃は背後に回っていた捌幡悠を直撃。大きくぐらつかせる。
「くう、う」
思わぬ反撃を受け、悠は鼻柱を手で押さえる。つつ、と血が流れ落ち、痛みに表情を歪める。
「ようやく当たったな」
一方の零二は、自分の方が間違いなく深手にもかかわらず、笑みを浮かべている。
「どうして、だ?」
捌幡悠には何が起きたのかが分からない。霧化する自分のイレギュラーは最強のはず。あらゆる攻撃をすり抜け、逆に自分からの攻撃は範囲内、霧の中でなら回避不能。この教室は既に自分の体内のようなモノだというのに。
「あ~、そっか分かンねェか」
相手の問いかけに対して零二は言葉ではなく、行動で示す。
首をゴキ、と鳴らすや否や、間合いを詰め、悠へと迫る。
「──!」
不意を突かれた悠だが、即座に反応。自身へと迫る拳を霧化する事で回避。そのまま横へとすり抜け、側面から反撃すべく動くのだが。
「しゃあっっっ」
「!!!」
そこへ零二は頭突きを放ち、悠の顔面を捉える。
「ぐあっっは」
さっきの肘に引き続いての相手の攻撃を受け、悠はたたらを踏みつつ倒れるのは拒否する。しかしそこへ零二の前蹴りが腹部へ直撃。
「あ、っっ」
耐えきれなかった悠は今度こそ、ガラガラン、と机などを倒しながら転がっていく。
「く、っは」
ズキンズキン、とした痛みに、腹の中が燃えるような感覚。こみ上げる不快感を我慢できずに嘔吐する。
「あ~、いったそうだな」
対して零二は平然とした面持ちで相手を一瞥。
「木岐、平気か?」
「え、うん…………」
木岐は言葉も出ない。背中越しに零二の深々と刻まれた切り傷が見る間に塞がっていく。ジュウウウ、という何かが焼けるような音を立てながら、出血は止まり、気化。そして蒸気は体内へと還っていく様は、彼女にとって武藤零二という少年の異様さをこれ以上なく表現していた。
「く、ぐっっ」
苦しみ、呻く悠を零二は冷ややかな視線で睨みつつ、少女へ訊ねる。
「で、木岐。コイツを許すか?」
「え?」
木岐には何を言ってるのかが一瞬分からなかった。
「ビックリするなよな。聞いたままの意味だ。コイツをお前は許すかどうかって聞いてる」
「そんな、私……」
その許す、という言葉の意味が木岐にも分かる。仮に許せない、と言えばどうなるかも。
零二が聞いてるのは、要は生かすか、殺すか、という二択。
「一応言っとくけどな、コイツは人殺しだぜ」
「──!」
「コイツのコトを調べてたら分かったンだが、コイツはマイノリティになってすぐにテメェの親を殺してる。表向きは仕事で海外に赴任してるって事にしてな」
「なにを言ってるの?」
信じられない。自分の知ってる捌幡悠という幼なじみの男の子は、そんな事をするようなそんな人間じゃない、はずなのに。
「お前がどう思ってるかは大体分かるぜ。けどな、コイツはもうお前が知ってたヤツじゃねェ。とっくに変わっちまって、狂っちまった。姿は同じでも中身はもう、違うモノなのさ」
「やだ、分からない」
聞きたくない、そう思った。彼女自身が理解していた。そこにいる幼なじみはもう何がが違うと。
「そっか、分からない、か。ムリもねェな、何もかもおかしくなっちまったって思うよな。
──っと!」
零二は顔を逸らして攻撃を躱し、その場でくるりと回りつつ、勢いを乗せた左手刀を相手の首筋へと放つ。
「がっは」
悠はカウンターの一撃を受け、よろめく。
「う、あっ」
何とか倒れるのをこらえた悠は両手を霧化、不可視の一撃を放つのだが。それを零二は容易く躱してみせる。それもさっきまでのような辛うじてではなく、明確に間合いを測った上で。
「ば、……かな」
悠は見た。零二が見えないはずの攻撃を目測していたのを。完全に把握されていたのを。
「なぜ躱せる? そんなの不可能なはずだ」
自分が優位だった前提が完全に崩れ、不利になった現状が認められずに飛びかかるものの、零二はやはり首を逸らすのみで回避。カウンターの肘を鳩尾にめり込ませる。
「く、っがっ」
胃液を吐き出しつつ、悠は理解せざるを得なかった。自分のイレギュラーが、見えないはずの攻撃が相手に完全に見切られているのだと。
「さって、と。流石に分かったろ? もうソッチの攻撃は当たりゃしねェよ。見えなくても、感じるコトが出来れば問題ないンでな」
零二は不可視の攻撃を目で見てはいなかった。肌で感じていたのだ。
全身より蒸気を放ち、周囲を覆って、その中を突っ切る他のモノの熱を探知。霧による不可視の攻撃を見切っていたのだ。
「確かに厄介だぜ。初見じゃまぁ対応出来ねェよ。だけどな、コッチも見えない攻撃ってのには何回もやり合ってるンでね。悪いけど、慣れちまえばこンなモノってワケ。
それに霧状になったからって、問題ねェ。オレは焔を操れるワケだし。霧を消すコト位はな」
そう告げる零二を、下から見上げながら悠は理解した。
何故クリムゾンゼロとは戦うな、という暗黙の了解が存在するのかを。
自分と同年代の、はずなのに。自分との間にはハッキリとした差が存在しているのを。
さっきまで有利に進めてた、そう思った。だが、それすらも相手からすれば想定内でしかなかったのだ。
「で、どうする?」
そう問いかけてくる零二の表情からは余裕すら窺える。
「く、っそ────」
打つ手など存在しない。
「そっか、じゃあとりあえずブッ飛ばしとくかな」
零二は拳を白く輝かせ、ぐぐ、と握り締める。もはや零二にとって捌幡悠は敵ですらない。戦意を喪失し、怯えの色を見せる相手などわざわざ命を奪うまでもない。
そう。零二は分かっていた。今や敵は二人ではなく、一人のみだと。
ゆっくりとした足取りで、気配を殺しながら迫る捌幡真一さえ倒すのみだった。
「っは、ああああああ」
捌幡真一にとっては、決死の覚悟を持った上での攻撃だった。
(このままじゃ悠ちゃんが、死ぬ)
それだけは絶対に避けなければならない事態。
(あのバケモノっっっ)
彼もまた自分達が誰を敵に回してしまったのかを痛感していた。二対一なら勝てる、と思ったのは単なる思い上がりだった。
(でもね、でもっっ)
自分がどうなろうとも構わない。あのバケモノじみた回復力を前にして、グラスハートがどれ程効果があるのかは不透明だ。
(悠ちゃんだけは絶対に────)
資金距離、三メートルにまで迫る事には成功した。だが、少しでも威力を高めるならばもっと接近しなくては。そう考え、足を前へ最大の威力で確実に相手を殺す為に。
零二の蒸気による探知に、既に察知されているとは露知らずに。
「あめェよ」
零二は振り向きざまに一言。そしてその拳を背後へと放つ。
「ぐ、うぶっ」
拳は相手を直撃、同時に白く輝き、その肉体を貫き通す。
「あ、が、がっっっ」
グラスハートは使えない。使おうにも全身からは力が抜け落ちていき、意識が遠退いていくのが分かる。
「激情の初撃」
零二の拳を伝って、熱が捌幡真一の体内を蹂躙。一気に焼き尽くしていく。
「あ、ゆうちゃん──」
捌幡真一は自分が何も為す事もなく死ぬのが許せなかった。
自分が死ぬのは構わない、だが、弟までもが死ぬのは認められない。自分というモノが燃えていき、消えていく。もう数秒も立たずして死ぬのは確実。
(だけど、まだしんでな、い)
辛うじて感覚の残っていた左手を動かし、ポケットから取り出すのは、実験で用いたあの特殊な音が録音されたボイスレコーダー。
詳しい原理は知らない。だがこれは悠の潜在能力を高める、とだけは知っている。それで充分。あの子が死なないのであればそれでいい。全ての、力を、命を、絞りかすみたいな全てを指先に集中、ボタンを押す。
「う、っく──!」
キィィィン、という不協和音が耳をつんざき、零二は思わず手で耳を塞ぐ。
それは聞き覚えのある音。今朝から幾度となく耳にした、何とも気分の悪くなる音。
「く、っはあ、ああああああああああ」
そしてその音をキッカケに、捌幡悠にも異変が生じるのであった。




