クレイジーサマーエンディングザディ(Crazy summer ending the day)その11
「零二くんッッッッ」
木岐はその光景を目の当たりにし、それ以上の言葉を失った。
目の前が赤く、ただ赤く染まった。夥しいまでの鮮血がまるで噴水の如くに噴き上がり、雨のように降り注いで彼女をも染め上げる。
「く、あ、っっ」
零二は呻く。身体を裂かれた痛みは耐えられる。だが、耳朶の奥に残ったあの音の残滓。あの不協和音によって引き起こされる鈍痛は正直言ってキツかった。
(ち、結構な出血じゃねェかよ)
まるで他人事みたく感じながらも、全身に生じた痛みを感じるに及び、自分自身の身に起きた出来事が紛れもない事実なのだと思い知られる。
(傷が多すぎて何がなんだかんだよく分からねェな)
受けた攻撃は二回。一度は全身から飛び出した無数のガラス片のようなモノ。
(最初のは分かる、飛び出したのはオレ自身の中にあった──血だ。この気だるさは良く知ってるから、な)
かつて散々っぱらこの血を実験という名目で抜き取られた。そのおかげとでも言えばいいのか、自分の体内にどの位の血が残ってるのかが分かるようになる位には。
(ま、死ンじまう位の出血じゃねェな、何せ……)
確かに深手ではあった。普通なら重大な事態だろう。だが、零二にとってはこの程度の負傷はまだ問題ない、何故ならば。
「ウソでしょう──」
息を呑んだのは捌幡真一。
「さっきの傷が……もう、なの」
間違いなく深手を負わせたはず。グラスハートは血液操作能力の一種。射程内の特定の人間の血液を操作し、ガラス状へと変化。内側から切り裂き、破る能力。相手にとって自らの体内からの攻撃は不意打ち以外の何物でもなく、一度発動すればそれで勝負あり、のはずだった。少なくとも今まではそうであった。
だが、今。目の前にいる少年の傷は見る間に塞がっていく。あれだけの怪我、何よりもあれだけの大量出血をしたばかりにも関わらず、まるで何事もないかのようにぶちまけたはずの血までもが小さな種火と化して主へと還っていく。
「バケモノめ──」
まさに舌打ちでもしたい気分だった。
だが、問題ない。
(今の悠ちゃんなら勝てるわ)
そう、その為にあの不快な音を、手段にまで打って出たのだから。
「いってて、さすがに全部治るにゃ、色々出過ぎたかな。ああ、どうした?」
「う、ううん、ちょっとビックリしただけ……」
「そりゃそうだな。結構エグい絵面だったものな」
木岐の顔に飛び散った血もまた、いつの間にかきれいさっぱりに消えている。
(朝も見たけど、やっぱり信じられないよ)
あの顔にかかった血潮の熱さを、その臭いまでもはっきりと思い出せる。
だと言うのに、だ。
ついぞ今まで死にかけだった少年には、傷一つない。十人中十人がそんな馬鹿な、というに違いない。そのシャツに刻まれた無数の穴以外に何があったかを判断する術は皆無。
「ったく、コレで二着目だぞ。今日ダメになっちまったシャツはよ。ハァ、結構気に入ってたってのになぁ」
「心配するな、気にする必要はない。だってすぐに死んでしまうんだから」
「?」
そう言葉を発したのは捌幡悠。さっきまでの、まともに話す事すら叶わなかった有り様とはまるで真逆の、明確な理性らしきものを感じさせる口振りに、零二と木岐は驚く。
「お前、誰だ?」
「誰だなんて失礼だなぁ」
言葉を返すのと同時に、零二は横へと飛び退く。直後、今まで零二がいた場所が抉れる。
「おれは捌幡悠。今回の君の敵だよ」
「へっ、やるな」
「まだまだこれからだよ」
悠は口元を歪ませると、またも手を振るう。零二はさっき同様に飛び退き、見えない攻撃を回避する。
「よくもまぁ躱すものだ」
「ああ、見えない攻撃ってのを相手にするのは初めてじゃねェからな」
そうして見えない攻撃を躱しつつ、逆に反撃の蹴りを放ってみせる。
「ち、」
手応え充分のはずの攻撃は、だが空を切る。当たったはずなのに、するりと躱され、そこに見えない攻撃が襲いかかり、零二の腕をかすめる。
(ち、何だコイツ?)
傷をリカバーで回復させつつ、勘で攻撃を躱し続けながら零二は違和感の理由を考える。
(まただ、また当たらねェ)
さっきから反撃が一発たりとも命中していない。
(躱された、いいや、何か根本的に違う)
そしてそんな零二に考えさせまい、とばかりに今度は捌幡真一が仕掛ける。
側面から手招きをし、ガラス片を噴き出させるべく接近して来た。
「死になさいっっ」
「へっ──」
捌幡真一は零二がまた後ろへと飛び退くのだと思っていた。グラスハートは強力なイレギュラー。何せ攻撃はあくまで相手の体内からであり、射程内に入れば躱すのは困難極まる。であれば少しでも間合いを外すのがセオリー。そしてそれこそが真一の目論見でもある。
(躱しなさいよ、でもそしたら)
そう、その場合悠の攻撃が直撃する。真一とは異なり、悠のイレギュラーには明確な射程はない。無論無制限ではないし、距離が離れれば離れるだけ威力、精度共々に低減する。
”知覚不可”
その正体は霧。捌幡悠が自分自身を霧へと変換。それによって視界を狂わせたり、または広範囲に広げれば霧に覆われ、外からは何も見えない結界ともなる。付け加えるならば、霧化させる事によって攻撃範囲、間合いも広がり、それ故に回避は難しい。まさしく、攻守のバランスの取れた強力なイレギュラーである。そして零二の身体を抉るだけの攻撃力については空気中、もしくは霧化した自分自身の水分を操作。加圧してウォーターカッターのようにして放つ。ダイヤモンドすら切り裂く切れ味はまさしく名刀の如くであり、零二の熱の壁などまさしく鎧袖一触、易々と切り裂く。
そう、これは詰みの見えた将棋、チェスのようなモノだった。少なくとも捌幡真一にとってはそうだった。選択肢を狭めて、相手の行動予測を立て、そこを突く。
自分達兄弟が力を合わせれば、如何に悪名高きクリムゾンゼロであろうとも倒せる。
望んだ戦いではなかったが、ここで相手を殺せば多額の懸賞金が手に入る。
(また新しいお店を作れる、居場所を用意出来るわ)
そんな目算を立てていたのだが、目論見はあっさりと崩れる。
零二は後ろへではなく、前へと向かったのだから。
当然ながらグラスハートは効力を発揮。零二の内側から血が凝固し、ガラス片状となって飛び出す。
「く、ぅっ」
痛みには慣れているとは言えど、我慢出来るとは言えども流石に表情は歪む。
だが、零二は動きを止めたりはしない。この痛みはさっき味わった。初めてではないから耐えられる。構わずにそのまま突っ込んでいき、肩から相手へとぶつかる。
「がっは、」
ドシン、とした音と共に捌幡真一の全身に激しい衝撃が駆け抜ける。中国拳法でいう所の靠のような一撃を喰らい、零二よりも二回り以上は大きな身体が宙に浮き上がり、「くらえっ」と、すかさず追い打ちをかけようと腰を回し、右拳を握り締めるとそのまま放つ。
「な、」
だが間違いなく直撃、狙い違わず鳩尾を打ち抜くはずだった一打は、外れた。
そして嫌な予感を察し、横へ飛び退くのだが。
「く、ぐっ」
どうやら躱し切れなかったらしく、背中から一文字に血が噴き出す。
(またか、? っつうか相手は悠ってのはオネェよりも後ろに、だよな?)
零二は痛みよりも困惑を深めていく。実の所、どうせ視えないならと、どういった手段で攻撃してくるかを見極めるべく、周囲には淡い焔をたゆたせ、一種の結界、レーダーのようにしていた。敵が二人いる以上、冷静に状況判断していこうという試みだったのだが。どうにも上手くいっていない。
(へっ、こりゃ思ってた以上にヤバげな感じだな。四の五の手を抜いてちゃダメみてェだ)
追いつめられているという実感を感じながら、それでも零二はなおもニタリ、と獰猛に笑ってみせる。
(上等だ、いいぜ。お前らいいぜェ)
そこにいたのは、久方振りの窮地を愉しむ戦闘狂だった。




