プロとアマチュアの差
「うぐあっっ」
縁起祀の身体は吹っ飛ばされた。彼女は一応肉体操作能力に該当するイレギュラーを持っているが、そのイレギュラーの恩恵の大半は彼女の得た速度を活かす為の反射神経や動体視力、俊敏性の向上に特化している。
その結果として、彼女の肉体的強度自体はボディのイレギュラーを扱うマイノリティとしては然程強くはない。
結果として、彼女は打たれ弱い。
彼女は美影が炎を生み出してそれを解き放つ様を見ていた。
あの少女がその炎で敵の集団を蹂躙する様を見ていた。
だからこそ彼女が接近戦を仕掛けて来るとは思わなかった。
強烈だった。
美影は同世代の女性にしては背も高い。実際、身長差も然程ない。だがそれでも強烈な衝撃だった。
単なる体当たり位でここまで効くとは思えない。
その答えはすぐに理解出来た。
それは美影の速度が加速していた。
美影が全身から炎を吹き出し──瞬間的に加速していたのだ。
目眩ましで視界を一瞬剥奪。そして自分の突撃速度を操作。
さっきまでとは明らかに違う速度と戦法に、完全に意表を突かれた格好。
(こ、コイツっ……)
それは目の前の少女が明らかに戦闘馴れしている事の一端、証左であった。
「くあっっっっ」
ドザッッッ、という音を立てながら縁起祀の一七〇の長身が地面に弾んで、倒れる。
「くっ、何だと」
呻きながらヨロヨロした足取りで起き上がる。
「アンタにアタシは倒せないよ」
美影はそんな相手を一瞥する。
「ざけんな、たった一回ラッキーパンチみたいな攻撃が上手くいったからってさ……」
そう言いつつ縁起祀は相手を睨みつけようとしてハッ、とした。
美影の視線はゾッ、とする程に冷徹だった。
そこにいたのは単なる同類ではない。
「そうね、今のは確かに偶然かもね……でもアタシはアンタには負けないよ」
「ハッ、何言ってんだ……」
「……アンタ、人を殺した事ないでしょ?」
「ハァ? それが一体──!」
「分かるのよ、……アンタの攻撃甘いから」
「ふ、ざけんなっっっ」
カッ、となった縁起祀はいきなり飛び込む。勿論高速移動で一気に間合いを潰しながら。
弾丸よりも遥かに速いその速度の前に美影はマトモに反応出来るはずもない、そう思っていた。
バアン、勢いよく地面に組伏せられたのは美影ではない。
縁起祀だった。
彼女は思わず驚愕していた。
何故自分がこうなったのかが俄には信じ難かった。
「甘く見ないで──」
”ファニーフェイス”こと怒羅美影は戦いに負けない事を重視する。どんな状況、どんな相手と対峙しても彼女は負けない。
彼女は自分の事を強いと思った事は一度もない。
かつて彼女は完膚なきまでに破れ去った。
それはそれまで味わった事のない完敗。
しかも彼女は気付いてしまった。
自分を負かしたあの少年が明らかに手を抜いていた事に。
それまでも幾度となく色々な相手と戦っては負けた事はある。
その度に彼女は次は負けない、と心に誓い、そしてより強くなり、その借りを返していった。
当時はWDの実験体だった。だが皮肉だったのはWDが実力至上主義だった事。そしてそれが負けん気の強い彼女には性に合っていたという事。
だが、あの敗北はそれまでの全てを粉々にした。
そして自覚する。
あの少年に自分は決して勝てない、のだと。
あの少年のいる場所に自分は決して辿り着けない、と。
あの少年の獄炎の前に自分の扱える炎では決して通用しないのだと。
その敗北は美影という少女が築き上げた自信を木っ端微塵にした。
今まで自分が築き上げた自信と言うのが如何に脆い、砂上の楼閣の様な物であったのかを。
それからの彼女を待っていたのは真の意味での地獄。
そしてそこからWGに救出される迄の数年間により美影は様々な人体実験を施されるのだった。
だが、いや。……だからこそ。
今のは怒羅美影はここにいる。
彼女は誓った。
命の恩人であり、だが同時に自分を地獄へと叩き落としたあの少年に借りを返す事を。
今の自分があの時の少年に、あの青い焔に通じるのかは分からない。だが、彼女は知っている。
──生きていれば色々ある、……良いコトも悪いコトもね。
だから、……こんな最悪な世界だけど、負けちゃダメだ。
あの時の少年の言葉が彼女を地獄の中でフリークと化せずに生き抜いた心の支えの一つであったのだと。
彼女はかつて敗北した。
あの時、彼女は初めて”死”に直面した。
絶対的な死神の鎌首が突き付けられる感覚を知った。
だからこそ、分かる。
目の前の相手からはあのひりつく様な緊迫感を感じない。
あの時の少年と対峙した時の……あの圧倒的な絶望感に比べれば今の状況は全然動揺しない。
だからこそ、その心理的な余裕が美影を支えている。
まだまだどうにでも出来る、という気持ちが彼女を突き動かす。
(な、何でだよ?)
縁起祀は何故自分がこうなったのかが分からない。
完全に速度では勝っている。相手の動き出しも見えていた。
完全に捉えた、そう確信出来たのに。
それなのに現実として今、地に伏しているのは彼女自身であった。
信じ難い動きだった。
ゆらりとした動作から突然手足を連動させつつ――腰を捻る。
超高速からの弾丸というよりは一種の砲弾、鉄球の様なタックルを上から被せる様に潰しながら一気に組伏せた。
まさしく流れる様な無駄のないその動作の前にロケットスターターの異名を持つ彼女は完全に破れ去った。
ギリリ、腕の筋肉が軋む音と感覚を感じる。
「うぐっ」
カララン、と音を立てて、握っていた特殊警棒を落とす。
「く、くそ」
「もう諦めなさい、アンタの負けよ」
美影の言葉は淡々としたものだ。
顔を動かして上から見下ろす相手の顔を見る。
そうして気付いた。
彼女はまるで自分の事を相手にしていないと、理解した。
その目は実に冷静で冷めており、ハッキリと実感した。
所詮、自分がアマチュアに過ぎないのだ、と。
だが、そこに隙が生じた。
パパン。
乾いた銃声が闇夜を切り裂く。
エトセトラの隊員が銃口を向けている。
その銃弾は美影へと襲いかかる。
「ちっ」
自分へと向けられたその攻撃に気が付いた彼女は、即座に組伏せを外し、左手を突き出して炎を吹き上げる。そうして銃撃を躱しつつ右手から火球を瞬時に生成。
ゴオウッッ、火球は狙い通りにエトセトラの隊員を包み込む。
くぎゃああああ、という悲鳴が響き轟く。
その絶叫が次の美影の判断を一瞬狂わせた。
バシュッ。
背後から弾丸が襲いかかった。美影も即座に反応。
今度は咄嗟にバックステップ。何とかその攻撃をも躱した……。
だが、弾丸は美影の腰に備え付けられていたポーチのベルトを掠める。
思わず美影が「あっ」と声を出す。
それだけで充分だった。
その声と表情で、地面に落ちていくポーチに何が入っているのかを理解するのには縁起祀には充分だった。
起き上がりながら──まるで地を這う様に低い姿勢から一歩を踏み出す。
ポーチへと美影も手を伸ばす。
しかし、動き出しの速かった縁起祀が先にそれをキャッチ。
そのままの勢いで一気に距離を離し始める。
「しまっ……っっ」
息つく暇もなく弾丸が美影へ向かう。
よく見ると気絶していたらしきエトセトラの面々が意識を取り戻したらしく起き上がっていた。
「くそっ、面倒ね!」
エトセトラの面々は怒り心頭といった面持ちで美影へと銃口を向ける。
「くそが……我々をナメるな」
そう一人が叫び一斉に銃弾が放たれんとした瞬間だった。
「殺せ……えっ? ぶへらっっっ」
ブオォォォンン。
一台のバイクがその場へと突っ込んでくる。
そのバイクの前輪が持ち上がって声をあげたエトセトラの一員をぶっ飛ばす。
勢いよく撥ね飛ばされた男はまるで冗談みたいに吹っ飛んでいき、むごうっっ、と声を洩らして、そのまま工事で積み上げられた土砂の山へと埋もれた。
バルバルルル……!
エンジン音が轟く。
「……何よアンタ?」
「よぉ、……どうやら逃げられちまったってトコか?」
そこにいたのは、カスタムバイクを駆った不良少年。
武藤零二が不敵な笑みを浮かべ、そこにいた。