ミスフォーチュンギャザリングオブピープル(Misfortune gathering of people)その15
「…………」
「さぁ、車に乗るんだ」
「…………」
「さぁ、」
警察官に促され、倶利伽羅宏樹はクルマに乗り込んだ。
周囲には無数のパトカーが集まり、まだ朝も早い時間にもかかわらず大騒ぎになっている。
「あ、…………」
倶利伽羅は力なく座席に座り込み、顔を俯かせて、ブツブツと何事かを呟いている。
運転席に座った警察官は強化ガラス越しに見える相手を一瞥、「全く薄気味悪い奴だな」と言うとエンジンを回して車を出す。
「こちらトランスポーター。予定通りに荷物を運び出す。到着は二十分後……」
実の所、この警察官は偽者だった。その正体はWG九頭龍支部に所属するエージェントであり、主に荷物、つまりは捕らえたマイノリティを移送する事を専門にしている。
当然ながら彼もまたマイノリティだ。でなければ捕らえたとは言えども、マイノリティをたった一人で移送する事など危険極まりない。
「う、ぐがっっっあああああああ」
倶利伽羅は唸り声をあげながら、ドンドン、と身体を車体にぶつけ出す。
そう、マイノリティ(フリーク)にとってこんな状況から脱するのは容易い。
イレギュラー、という一種の超常現象のような能力を駆使すれば、普通では有り得ない行為とて可能なのだから。この場合なら、ヴィジョンインターヴェインを用いての相手の視界を狂わせるつもりだったのだが。より具体的に言えば、暴れる自分に振り返った警察官と目を合わせて、発動条件を整えるつもりだったが。
「…………何でだよぉ」
「無駄だよ。君がどんなに暴れようとも、その【手錠】がある限りはね」
思惑は外れた。イレギュラーが使えない。
「君につけられた手錠はね、私のイレギュラーだ。能力は相手のイレギュラーの抑制。今の君は単なる一般人のようなモノ。ちなみにこのパトカーも色々改造されているので、まぁ諦めろ」
「くっそぉぉっっっ」
実際、どんなに叫んでも無駄だった。ヴィジョンインターヴェインを使おうとしても、ズキン、と激しい頭痛が生じ、集中出来ない。
そして気付けば周囲をガスが覆っている。
「それに大抵の場合、運ぶ相手は既にフリーク化してたりもするからな。こちらも予め、備えるさ。死んだりはしない、ただしばらくは眠ってもらおうか」
エージェントからすれば、相手の抵抗など分かり切った事態でしかない。
いつも通りに対応し、いつも通りに支部まで運び出す。何の問題もない、はずだった。
「…………ん?」
周囲には霧が立ち込め、視界が真っ白になっていた。進行方向に誰か、いる。朝の散歩でもしているのかも知れない。ここは農道で、基本的には車や人の行き来は多くない。恐らくは近隣住民だろう。
「──おいっ、危ないっっ」
だが何を思ったか、その誰かがパトカーに向かって走り出す。このままでは轢いてしまう。
当然ながら、エージェントはハンドルを操作し、ブレーキを踏む。
キキキキキキィィィ、というブレーキ音。
そして、次の瞬間。
ハンドル操作を誤ったか、車は田んぼへと突っ込んでいた。
「う、ぐぐぐ、っっ」
倶利伽羅が全身に激しい痛みを感じながら呻く。
何が起きたのかはよく分からないが、半ば宙吊りになっている今の様子から、パトカーが横転したのは間違いない。
(偶然か、いいや違うよなぁ)
覚えならある。自分を助けてくれる相手なら心当たりがあった。
◆
それは四月の始め。
倶利伽羅宏樹が、マイノリティとして目覚めてしばらくの事だった。
春休み中に、偶然にも薬局である薬を貰った彼は、その作用で人を超える存在となる。
抑え切れない衝動に身を任せ、彼は家族を殺し、家を出た。
「はぁ、はぁ、足りないなぁ」
倶利伽羅は渇えていた。
夜の帳が落ちた街の、裏通りを一人歩く。
当然ながら、そこを縄張りとする落伍者に目を付けられ、囲まれもした。
だが所詮は、今や人を超えた存在の彼の敵ではない。
「ひ、ひいっ」「なんだよコイツ」「やべぇよ、逃げろっっ」
最初こそ囲まれ、殴られもしたものの、全員の視界に介入してからは簡単だった。
リーダー格の男を徹底的に殴った。
「ふ、ひぃ、ぐひぃ」
さっきまであれだけ威圧的だったのに、今や見る影もなく怯え、失禁までしている。
「足りないなぁ」
殺す価値もない、そう思いまた街をさまよい歩く。
「随分と暇そうだ」
声をかけられたのはそんな時だった。
振り返ると、そこにいたのは自分と同じ年頃の少年。見覚えのある制服は、私立九頭龍学園のそれで間違いない。
「な、んだおまえはぁ」
違和感を覚えた。正直言ってさっきまでのドロップアウトの連中の方が威圧感もあったし、恐ろしいはずなのに。どうしてだが、思ってしまう。勝ち目がない、と。
「なる程、思ってたよりはまだ理性が残ってるんだな」
クス、と笑みを浮かべながら、少年はゆっくりとした足取りで近付く。
(ばかめぇ、視界を奪ってやる)
倶利伽羅は目の前の相手を新たな獲物と決め、目を合わせようと試みる。
だが。
「へぇっっ?」
気付けば倶利伽羅は空を見上げていた。
何をされたか全く分からない。ただ一つ言えるのは。
「やぁ、良かったら仲間にならないか?」
少年は自分を仲間だと呼んで、誘ってくれた、という事。
差し出された手を前に、倶利伽羅は自分から手を伸ばしていた。
◆
「はぁ、はぁ」
倶利伽羅はやっとの事で、シートベルトを外し、パトカーから脱する。
全身を強打した為だろう、立つのもやっとで、辛うじて車体に身を預ける。
「…………うっ」
運転席に視線を向けると、そこに広がってたのは赤く染まったモノ。
そこだけペンキでもぶちまけたように不自然なまでの赤一色。
(間違いない、助けに来てくれたぁ)
気分が悪いが、そんなのはどうでもいい。自分には仲間がいる。頼られて、あのスポーツセンターで何度か音楽を流し、困った時には助けてくれる仲間がいる。それだけで充分。
足音がした。
誰かがこっちに近付く足音がした。
「あ、ぼくはここだぁ」
倶利伽羅は手を上げて仲間を歓迎する。
あの少年には何人もの仲間がいた。
皆、自分と同じく力を持った仲間。誰にも負けない、強い力を持った仲間だ。
「ああ、あんたかぁ。それであいつは────っ」
トスン、とした音がして、倶利伽羅は視線を下へ落とす。
一体、どうしたのか、全身に無数のガラス片が突き刺さっている。
いや、突き刺さっている、のではなく、ズブズブ、と食い込んでいく。
「か、っはっっ」
ゴホッ、という咳と共に口から大量の吐血をする。
「コヒュ、こひゅううう」
肺に穴が空いたのか、空気が漏れる。言葉を発せない。
ただ困惑していた。一体、何で、こうなったのか分からない。
「ハイ、何も分からないって顔ねぇ。教えてあげる。あんた足手まといなのよ」
瞬間、ガラス片は身体を突き破り、夥しいまでの鮮血が背部から飛び散り、そのまま力なく倒れていく。
「まぁ、あのオモチャを何も言わずに隠したままだったのは、褒めてあげるわ」
ポケットから出したのは、倶利伽羅が預かったガジェット。
「そこそこ面白いデータが取れたそうよ。使い捨てにしては良くやったわよ。でも、生きてちゃ困るのよ。だーかーらーぁ、……そこで死んでなさい」
カツンカツン、というヒールの音と共に去っていく。
「……………………」
そして倶利伽羅宏樹はそのまま動かなくなる。
その表情にあったのは、ただただ深い絶望だけだった。




