ミスフォーチュンギャザリングオブピープル(Misfortune gathering of people)その12
その瞬間まで、倶利伽羅宏樹は自分の優位を疑わなかった。
どんな相手であっても自分のイレギュラーである、ヴィションインターヴェインの前には無力。どんなに強力なイレギュラーを持っていようとも、視界を変えられれば、何も出来ない。
視覚情報の異常に伴い、他の五感まで変調を来し、無力化される。
そうなればあとは簡単。無防備になった相手を仕留めればいい、ただそれだけ。
(そうだ、ぼくは誰にもまけない)
だって相手は自分を省みる事も出来ない。
(誰もぼくを止められない)
だって相手は何が起きたのかすら、理解出来ない。
(だからぼくはもう無敵なんだ)
そう。誰も自分を傷つけられやしない。一方的にこっちが傷つけるだけ。ほんの少し前までならば決して勝てるはずもなかった同級生やらもっと上の、自分を助けなかった大人全て。その誰が相手であっても一方的に、切り裂いてやれる。
(そう、だれもぼくには勝てない。ぼくは強いんだぁ)
◆
「うっぎゃあああああああああああ」
盛大に悲鳴をあげたのは倶利伽羅だった。まるで断末魔のような凄まじい絶叫が場を切り裂いた。
「え、……え?」
木岐はその声が零二のモノではない事に気付き、顔を上げると、思わず目を見開き、がく然とする。
「武藤零二、ナイフが……」
そう、零二の腹部は血塗れだった上、それを為しただろうナイフが深々と柄まで突き立っている。その出血量からはどう見ても重傷、今にも死んでしまってもおかしくないように見える。
それなのに、「ン、ああ。コレか」と、刺された当人は実に淡々とした様子で、刺さっていたナイフを躊躇なく引き抜く。抜いたのと同時に血が噴き出すが、零二は一切気にする様子もない。
「さって、倶利伽羅宏樹クン。あれ位じゃ死なないンだから、さっさと顔を上げな」
そう言いながら何を思ったのか、あろうことかナイフを相手の傍に投げた。
カラン、という音に倶利伽羅宏樹は視線を動かす。
「…………お、おまえっ」
「オイオイ、少しはいい面構えになったじゃねェかよ」
不敵に笑う零二。その目に入ったのは、顔面を真っ赤にただれさせた倶利伽羅。
「ぼくにいったい、何をしたぁ」
倶利伽羅宏樹は恐怖におののきながら訊ねる。彼には何が起きたのかが理解出来ない。狙い通りにナイフを突き刺した。そして直後、何かが顔を襲ったのだ。
あっという間に激痛が走り、まばたきをした結果、ヴィションインターヴェインは解け、今の状況に至る。
「ン、ああ。お前はオレの熱を喰らったのさ」
「ね、つ?」
「ああ、より正確にゃ蒸気だな。オレの体内を駆け巡る熱から生じる副産物ってヤツさ。いやぁ、思惑通りとは言え、決まると嬉しいモンだよな。
嬉しそうに何度も刺してたモンだから、そこから一斉に蒸気が噴き出たってワケ」
その零二の言葉に、場の二人、木岐と倶利伽羅宏樹は一瞬、言葉を失う。
「な、なに言ってんの」
「ン。そか、木岐は知らねェからビックリするわな。オレ、痛みにゃ強いンだぜ」
「おまえ、……何を言ってるんだぁ」
顔に負った火傷は自身のリカバーによって癒えたらしく、倶利伽羅宏樹の言葉はさっきより流暢だった。だが、言葉とは異なり、表情は真っ青。
「何って、言ったままだ。オレは痛みにゃ耐性があるから」
「意味分からない。何なの耐性って?」
「えー、とな。オレは大抵の痛みならもう身体が覚えてるのさ。
だからよ、刺されるって分かってりゃある程度は我慢出来るってワケ。だってよく知ってる痛みだからな」
「──」
木岐は今度こそ言葉を失った。
目の前にいる、自分と同年代なのは間違いない少年。
一体、どんな人生を歩めば、こうなってしまうのか? 考えただけで震えが来る。
(なのに、何でこいつ)
分からない。さっきからの一連の出来事で武藤零二が普通じゃないのは分かった。倶利伽羅宏樹、という陰気な相手もまた、普通じゃないのも身を持って知った。
正直、今すぐここから逃げ出すのが正解なのだろう。
(……どうして逃げないんだろうな、私)
こんなにも危険なのに、この場から離れたくない、と思ってしまう。
理由は分かってる。目の前の少年の後ろにいると安心出来るから。
(善人じゃないと思うけど、でも……)
ほんの短い時間でも分かる。武藤零二という不良少年は大丈夫だと。
これまで敬遠してきた類の存在、だけどそうした人々とは何かが決定的に違う、と。
(何だよ、こいつはぁ)
倶利伽羅宏樹は怯えを隠せない。
(何であんなに刺されたのに平気なんだよぉ)
あっという間に傷が塞がっていくのが分かる。血が止まり、それどころか、血そのものが蒸発し、持ち主へと戻っていくのが見て取れる。それは超回復という言葉すら馬鹿馬鹿しい、化け物じみた回復だった。
目の前にいる相手は獲物ではなかった。むしろ、自分の方こそが相手にとっての獲物なのだと理解せざるを得ない。
「オイオイどうした。逃げちゃうワケ?」
「え、あ……」
知らず知らずに足が、身体が後ろへ後ずさりしている。
「な、なんでぼくの名前を知っているんだ?」
少しでも、時間を稼ぎたかった。だからこそ訊ねる。何故、初対面のはずの自分をあの不良少年が知っていたのかを。
「ああ、そういやそれを言ってなかったな。オレはココにアンタを探しに来たのさ。
オレも一応は仕事なンでね。依頼人のコトは言えねェ。
で、話を戻すと、アンタが最近この付近で姿を確認されてるって話があってな。ついでに言えば、丁度ここいらで通り魔事件の加害者がスポーツとかしてたって話もあってよ。
つまりは倶利伽羅宏樹、アンタがあの事件に関わってるンじゃないのか、って思われていたのさ。どうやらビンゴみてェだし」
「あ、うう」
倶利伽羅宏樹はつまりは最初から、自分こそが獲物なのだと確信した。
この不良少年は、明確に自分を犯人だと見なしていて、そしてそれは事実。
この数日間、あの装置を用いて不特定多数の一般人を狂わせた。それが依頼だったとは言え、実行したのは間違いなく自分である。
「言い逃れするならしてみな、まぁ、とりあえずとっ捕まえるけど。怖い怖いお兄さんが話をしたいってコトだからよ」
歯を剥いて獰猛に笑うその様子はまさしく肉食獣を思わせ、倶利伽羅は全身の震えが止まらなくない。
「さて、と。そろそろ決着を付けようぜ」
零二としても、これ以上事態を長引かせるつもりは毛頭ない。この事態を引き起こしたであろう、倶利伽羅宏樹を捕まえる。
「お前の全部を見せてみろ。オレは──それをまとめてブッ飛ばす」
西東夲からの依頼を達成すべく、目の前の相手を見据える。
「く、っそぉ」
完全に気圧されている自覚はあった。
倶利伽羅は自分が負ける事が怖い。ここであの不良、いやケダモノのような相手に敗れるのが心底から怖かった。
(負けたら、また前といっしょだぁ。いやだ嫌だ)
考えるだけで怖気が走る。負け犬だった、周囲の誰からも馬鹿にされ続けた毎日。
(やっと抜け出せたんだ。もう負けるのはいやだ。そうだ、さっきの蒸気だか何だかの反撃がいったい何だって言うんだ)
思えば、予期せぬ反撃こそ受けるも、ヴィションインターヴェイン自体は通用していた。
そう、視界を奪えばいい。さっき同様にあの少女と入れ替えればいい。
(今度はお腹なんて狙わない)
狙いは心臓。刺し貫き、そのまま切り裂いてやる。蒸気の反撃が何だ。先に殺してしまえば傷は癒せばいい。
そう心に決め、相手を見据えんと視線を上げる。
「──!」
零二もまた倶利伽羅を真っ直ぐに見据えており、視線が交差する。
「いいぜ。いつでも来な──そうだな、いっそ三数えたら一気にやるってのはどうだ?
まるで西部劇の決闘みたくてカッコいいじゃねェか。よっしゃ──」
そして零二は「いっち」と、数を数え出す。
(ばかめ、何が西部劇だ、わざわざ三まで待つはずがないだろぉ、)
倶利伽羅からすればわざわざ相手の土俵に乗る必要などない。今すぐヴィションインターヴェインを発動。相手を殺してしまえばいい。
「にぃ────」
数字が紡がれた瞬間、目を閉じ、まばたきをする。それだけで勝負は決する。
(ヴィションインターヴェインっっっ)
目を開けば相手の視界は切り替わる。それで終わり────。
自分の勝利を確信し、目を見開く。すると目の前に拳が見えた。
「うげおっっっっ」
倶利伽羅宏樹は宙を舞い、そして見た。拳を叩き付けた零二の姿を。
そう、確かにヴィションインターヴェインは発動した。間違いなく視界は切り替わった。
実際、零二の視点は後ろにいたはずの木岐のそれへと変わった。
そして木岐の視点は零二に変わったのだろう。
「いやいや確かに厄介なイレギュラーだったぜ。だけどよ……」
だけど、”既に放たれた拳”は止まらない。糸が切れ、勢いは削がれようとも突然ゼロにはならない。惰性で進み、相手を打ち抜く。
「まぁ遅かったな。少しばかり」
ニカッ、と獰猛な笑みを浮かべながら不良少年は倶利伽羅宏樹に言葉をかける。
「お、まえはだれ、だ?」
強烈な痛み、そして薄れゆく意識の中、それだけが気になり訊ねる。
「オレか? 武藤零二、または深紅の零だ」
「──!」
その名前を聞くに及び、倶利伽羅宏樹は相手が何者だったかを知る。
曰く九頭龍でも最悪のマイノリティ、破壊の権化、悪党。最悪の炎熱系能力者。
様々な異名や悪名を持ち、迂闊な接触は避けるべし、と幾度も聞いた相手。
「お前、結構面白かったぜ。もし機会があったらまた勝負してやるぜ」
「くっそ、ったれぇ」
悪態をつきながら、倶利伽羅は気絶する。だがその表情は思いの外、にこやかだった。それは彼にとって初めて自身の価値を敵が認めてくれたから。それは彼にとって、生まれ初めての出来事だったから。




