ミスフォーチュンギャザリングオブピープル(Misfortune gathering of people)その11
(何で?)
それが添碕木岐の偽らざる本音だった。
だってそうでしょ、と思う。武藤零二なる少年と出会ってまだせいぜい三十分も経っていない。名前しか知らない、今朝初めて顔を見た相手。
確かに、見知らぬためが困っていたら声はかけるかも知れない。その人が何か落とし物でもしたのなら、一緒に探す事だってあるだろう。
でも、目の前で起きているのはそういった些細な善意とはまるで次元が違う。
少年は拳を振るっていた。ケンカではない。絶対に違う。そんな易しい表現で済む訳がない。
それは紛れもなく”殺し合い”であった。
相手を倒す為ではなく、その息の根を止める為の行為。倒れたら、戦意を失えばそれで終わりのケンカではなく、二度と動けないようにする為の野蛮で残酷な行為。
(何でなの?)
普通なら止めるべきだ。だって人が死んでしまうのだ。止めないといけない。制止しなければならない。それが当然の事なのだから。
なのに、言葉が出ない。出そうにも、でるのは「あ、う」程度でしかない。
分かっているからだ。ここで声をあげても何にもならないのだと。声をだしても誰も止めてくれたりはしない。
彼女は自分の無力さにただただ、震えるしかなかった。
◆
(ン?)
気が付けば零二は何故か地面に倒れていた。
全身、ピクリとも動かない。
(どういうこった?)
訳が分からない。何でこうなったのか、何の脈絡もない。
(う、ごけねぇのか?)
立ち上がろうと試みるも、やはりピクリとも動かない。それこそ指一本すら微動だにしない。
なのに、どうした事だろうか。痛みを感じない。
(クッソ、一体何だってン────)
困惑を深める中、まばたきして…………。
「な、っ」
気が付けば、零二は膝をついていた。
「う、あっ」
ズキン、とした痛みが走り、原因を知るべく腹部へと視線を巡らせる。赤のタンクトップの上から布地とは違う赤い染みが浮き出し、滴が地面へと落ちている。
(刺されたってのか? 一体いつだよ?)
自分がどういった状況なのかを知り、リカバーを発動。傷を塞ぎつつ、誰がやったのかを探る。すると木岐の視線の先に、見慣れない誰かの姿がある。
「テメェ──」
「くっへっへぇ。いいねぇいいよぉ」
ニタニタと薄気味悪さを漂わる青年、いや自分と大して変わらない年頃にも見えるから少年だろうか。格好は着回しているらしいボロボロのジャージ、それに同様に履きつぶしたらしいスニーカー。散髪をしていないのか、髪の毛はボサボサで伸び放題で、それがまた陰気さを醸している。
「そうだよぉ。もっと怒ればいい。ムカつけばいい。でもお前はぼくには勝てないんだぁ」
「──っ」
途端、零二の視界は空を見上げている。
真っ青な空をただ見上げ、身体はやはりピクリとも動かない。
(一体何だってンだよコレは?)
そうして困惑しながら、何も出来ずに時間が経つ。
「ぐあっっ」
零二は、またも呻き声をあげる。
気が付けば今度は手足を抉られていた。
やったのは無論、ボサボサ頭の相手。
(クソ、ワケが分かンねェぞ。これじゃまるで別の…………)
そこで零二は答えに行き着く。
「そうか。オレの視界を勝手に切り替えてる、……のか」
零二の視線の先には上を見上げたままの凶人の姿があった。
「くっへっへぇ。そうだよ正解だよぉ。思ってたより賢いんだねぇ。
そうさ、ぼくのイレギュラーは【視界介入】。範囲内の、一度でも目が合った生き物の視界に介入出来る。どうだよぉ? 見えてるのに何も出来ない感覚ってのはさぁ──」
プツンとスイッチでも切り替えるかのように、零二の視界はまたも変更。
すぐ間近で、自分の身体が切り裂かれるのが分かる。
(コレは、木岐の目なのか──)
歯軋りしたい気分だった。
すぐ、ほんの数メートル目の前でナイフを持った敵がいる。なのに何も出来ない。ただ切られる様子を見ているしか出来ない。
「くっへっへぇッッ」
そいつはニタニタ、と薄気味悪い笑みを浮かべながら、無抵抗の零二を刻んでいく。急所ではなく、手足を狙うのは恐らくは獲物をジワジワと嬲ろう、という事なのだろう。
(ふっざけンな──)
零二は今すぐにでも飛び出して殴りかかりたい、という衝動に駆られるも、この身体は木岐のそれ。自分とは違う世界の住人。仮に動かせるのだとしても、それも今の零二には出来ない。
(オレで遊ンでンじゃねェよ)
どんなに歯がゆくとも、今の零二は見る事しか出来ない。
「もっともっと切り裂いてやるよぉぉぉッッ」
舌なめずりしながら、倶利伽羅宏樹は凶刃を振るう。血で真っ赤に染まったナイフは今度は零二の脇腹へ入り込む。
ガキガチャ、とした硬い手応えは骨に当たったからだろう。だがそれが何だ。倶利伽羅はそのまま無理矢理ナイフを食い込ませていく。
(臓腑をかっさばいて、ぶちまけてやる。そうして視界が戻って、あ、駄目か)
そこで倶利伽羅はナイフを引き抜くと、パッと飛び退く。そう、時間切れだ。
「クッハ、ぐうっっ」
零二は激痛と共に吐血する。どうやらさっきのナイフは内臓を傷つけていたらしい。
バチャ、と吐き出された血で地面が赤く染まる。
「くっへっへぇ、痛いか痛いだろぉ」
倶利伽羅は満足そうにかぶりを振り、己が優位を確信する。
「武藤零二、……」
木岐はわなわなと震える。
だがそれも無理はない。つい今まで彼女は見ていた。自分にナイフを刺し込まれる様を。痛みこそなかったが、それは間違いなく現実そのもの。
(怖い、刺された、血が出てた、死んじゃう)
視界が元に戻った事で、さっきまでの出来事がすぐそこで苦しむ零二の視点であったのだと気付いた。だが、さっきの光景が目に焼き付いて離れない。
死、というモノをここまで身近にする事など初めてで、怖くて怖くて仕方がない。
「やめてよ」
なのに、何故かその言葉は出た。
「うーん?」
思わぬ言葉に、倶利伽羅は視線をずらす。
「くっへっへぇ。お嬢さん、それってぼくに言ったのかなぁ」
わざとらしく辺りを見回して、そして自分を指差す。
「そ、そうよ。何であんな事するの?」
身を震わせながら、必死に、恐怖に立ち向かおうとする。
「あー、あんたあれか。善い人ってやつか。くっへっへぇ」
「…………」
「そんなの知るか。ぼくはぼくの気に入らない奴を殺す。さっきまであんたはどうでも良かったんだけど、何なら次はあんたを刺してやろうか──」
下卑た笑みを浮かべて、ナイフを一舐め。ありきたりな行為だが、不気味さを醸すには充分。
木岐の背筋が震える。
「視界をもう一回そこの不良に移して、死ぬほど切りつけてから戻して、で──ヴギャッッ」
ご満悦だった倶利伽羅は、ヒキガエルのような声を出して地面を転がる。
「ったく、油断し過ぎなンじゃねェの。倶利伽羅宏樹クンよ」
「へ?」
その言葉に、今度は倶利伽羅が唖然としている。何故自分の名前を獲物が知っているのか。
いや、そんな事よりも何故獲物は平然とした様子で立ち上がっていて、自分を見下ろしているのか。
「そ、んな。死にかけのはずだぞぉ。そんな簡単にリカバーで回復する訳が……」
「ああ、そンなコトで勝ったつもりだったワケ。生憎だけどよ──」
零二はタンクトップをめくり上げ、腹部を見せるとジュウウウ、と有り得ない程の湯気を上げていき、ナイフで抉られた傷は塞がっていく。微かに血の跡が残ってなければ刺されたとは誰も思わないに違いない。
「──オレの回復力も結構なモノなのさ」
「あ、ばかな……」
倶利伽羅は気圧されているのを自覚していた。
(ぼくの方がゆうりだったはずだ。それなのに……)
どうしてこうなった?
「それよか、お前さっき何っつってた?」
「え、へ?」
零二の語気が変わった。急にドスの利いた、まるで脅すような口調。
「お前、木岐に何をするって言ったよ?」
「へ、ぇ?」
何でそんな事を気にするのかが彼には分からない。
「オレを狙うのは当然だとして、ソイツは無関係だろ? それなのに、刺すとか言ってたよな、あ?」
「ヒィッ」
思わず腰を抜かし、へたり込む。その様はまるで蛇に睨まれた蛙のよう。
「なさけねェヤツだなお前」
「……う、さい」
「あン?」
「うるさい、うるさい、五月蝿い、ウルサい、ウルサイッッッッッッ。
お前だ。お前みたいなやつのせいでぼくはずっと、ずっとぉぉぉぉぉぉ」
倶利伽羅はヴィションインターヴェインを、視界を切り替える。
そのスイッチは彼自身のまばたき。目を閉じる瞬間、意識する事により発動。次にまばたきするまでが継続時間。
だから効果を発揮する時間はそう長くはなく、せいぜい十秒足らず。
「ばかめぇ。お前なんかぶっ殺してやるぅ」
だが十秒もあれば充分だ。人を殺すには充分に過ぎる時間。血塗れのナイフを突き立てるは相手の腹部。怒りの赴くままに突き出す。
(お前が悪いんだぁ。ぼくを脅す奴からぁ。せいぜい盛大に悲鳴でもあげろぉ)
視界を奪われた、移動させられた対象は身体の自由を喪失。無抵抗になる。このイレギュラー発動時、倶利伽羅宏樹はまさしく無敵。
ズブリ。
ナイフは狙い違わずに相手の身体に入り込み────。そして幾度も幾度も突き刺す。
「──っっ」
思わず木岐は顔を伏せる。
そして数秒後、「うっぎゃあああああああああああ」と、盛大な悲鳴が轟いた。




