休息
「やれやれ、……ちったぁ気分転換になったかな」
その視線の先には彼の手で下に吹っ飛んでいったエトセトラの連中の姿が映る。全員、一応死んではいない。一応は一般人相手に本気は出さない。もっとも、このまま放置しておけば死ぬ者も出るかも知れないが、そこまで面倒を見るつもりはない。
あーあ、と大きな欠伸を一つ入れると、零二は倉庫の屋根に座り込む。そうして足を投げ出してブラン、ブラン、と揺らす。
周辺を包み込む炎の勢いは増してきており、普通の人間ならば逃げ遅れや、煙に巻かれるのを警戒する事であろう。
だが深紅の零の異名を持つこの少年にそういった焦りは微塵もない。彼にとっては、周囲を取り囲みつつあるこの炎熱は昔からの親しき友人なのだから。
口笛を吹きつつ、まるでピクニックにでも来たかの様にパンツのポケットからブロック状の携帯食を取り出すと、即座に包みを開いて口へと放り込む。
「ン、……まぁまぁだな」
味はチョコフレーバーで、甘さは程々。噛みごたえもナッツが混ざっているのかなかなかいい。これなら携帯食としては充分だろう。
摂取カロリーはあまり期待出来ないが、こういう物でも摂取しないよりは幾分かマシだ。続けて次々とポケットから同じ携帯食を取り出し、どんどん口へと放り込んでいく。
零二がこんな所で軽食を食べているのには理由がある。
一言で言えば、今の零二は腹ペコだったのだ。それも腹がくっついてしまいそうな位に。
一般的には空腹とは古来より胃の中にあった食物が分解され、体内にエネルギー補給をしろ、という身体からの合図だ。
空腹というのはエネルギーが枯渇する事ではなく、逆にエネルギーが充填されている状態を指し示すのだ。
それは即ち、人類がまだ確たる文明を持たずに、野生の生活をしていた頃の名残りとも言える。
だから空腹とは限界そのものではない。食物を消化し終えたからそろそろ次の食料を確保すべきだ、という体内からの合図の様な物なのだ。
それは武藤零二というこの不良少年も同じ事だ。
ただし、彼は常人とは違う点が存在する。
それは彼の基礎代謝。生きる上で消費するエネルギーの値がこの少年の場合、一般人は当然として同じマイノリティの中でも比較にならない程に高いのだ。
彼が一日で必要とするカロリーは最低でもおよそ一万二千キロカロリー。
成人男性の必要摂取量の六倍にも達する。
元々炎熱系のイレギュラーを扱うマイノリティは総じて基礎代謝が高い傾向にある。
だがそれでもここまでの摂取量が必要なのは、零二以外にはいないだろう。
理由は簡単。彼が”熱操作”に特化した存在だからだ。
熱操作能力は、自分自身を燃料にするイレギュラーだ。
それはつまり自分勝手の中の様々な水分に脂肪等を分解、消費している事になる。
零二のあつかえるエネルギー総量自体は、細かい事には興味がないの覚えてはいないのだが、確かかなり高い部類に入るらしい。
じゃなければ、あれだけの身体能力を数分間もの時間維持できるはずがないのだから当然とも言える。
要は零二の場合、車に例えるなら、極端に燃費が悪いスーパーカーの様な物、……そういう事らしい。
だから零二は、一日中暇さえあれば、何かしら口に入れている。
如何にも不良然とした雰囲気を纏いながらも、スイーツが大好きなのもカロリー変換が容易だからとか効率性を重視しているのだ、とか偉い先生には言われていたが、
(いや、オレ昔っから甘いの大好きなンだけどよ)
真剣な面持ちで一人納得しているお偉い先生のそんな様子を見ていると、違うぞ、とは言えなかった事まで思い出し、思わず「ははっ」苦笑する。
そうこうしている内にスマホの呼び出し音が聞こえる。
こんな夜中に呼び出す様な人物はもう決まっている。
その相手は今夜零二を突然に呼び出した人物。
「……はぁ、もしもし【姐御】かい?」
──クリムゾンゼロ。状況を説明していただけますか?
そう相手はこの少年が頭の上がらない数少ない人物。つまりWD九頭龍支部の支部長である九条羽鳥であった。
◆◆◆
今から二時間前。
九頭龍の繁華街にあるバーの店内。
「くあーーあぁ」
武藤零二は眠かった。
この不良少年は昨晩からキチンと寝ていなかったのだ。
そもそもかれこれ三日間で取った睡眠時間はおよそ四時間。
とてもじゃないがしっかりとした生活とは言えない。
寝不足気味の零二は、正直苛立っていた。
あの”ディーヴァ”の一件から今日で四日。
神宮寺巫女は結局、事務所を辞めた。とは言っても、彼女はメジャーデビュー前だった事もあり、その事が一般に知られる事はない。そもそも、彼女のいた事務所社長であった三枝木宏臣が”交通事故”により死亡、というニュースが新聞の一面をデカデカと飾っており、その事務所の一新人歌手が辞職した事などは誰の興味も引かなかった。
そして三枝木亡き後に事務所社長を継いだ男は三枝木のやっていた事を薄々知っていたらしい。だから自分からWDに半ば投降する形で接触してきたらしい。要は自分は三枝木とは無関係だ、だから見逃してくれ、という訳だ。
九条としてはそもそも、三枝木の一件は九頭龍に余計な手を出すな、という一件の裏にいた人物への”警告”に過ぎない。
WDの基本理念が”自由”である以上、各々の行動をいちいち咎めていてはキリがない。
だからこそ、三枝木の事務所が実質WDの支部であろうとも別段どうだっていい事。その後任となった社長は見逃された。
「でさ、おれは言ったんだよ。クソ食らえってさ」
巫女は一旦東京に戻り、社長に直に辞めると言ってきたそうで、その興奮からか九頭龍に戻って来てからも、テンションが高かった。
ちなみに寝泊まりはマスターこと進藤の知り合いのマンションの一室。彼女は数日中に今後の事を考えるそうで、今日は零二を呼び出したという訳だった。
相変わらず言葉遣いが良いとはお世辞にも言えなかったが、彼女の雰囲気は前とは少し違っている様に思えた。
Tシャツの上にキャミソール。黒のレギンスの上にホットパンツといった服装。Tシャツが白である事以外は相変わらずピンクを基調にしており、活発な雰囲気を感じさせる。四日前はフードを被っていたからだろうか? そう零二は思った。
「つぅかよ、……お前もう帰れ」
思わず零二が言う。時間はもう夜の十一時。こんな場所にいつまでも未成年がいるべきではない。そう思った。
「ええー、何で?」
「ガキはもう寝る時間なンだよ」
「レイジだってガキだろ?」
「オレはいいンだよ、お前は早く寝ちまえ」
さっきからこんな調子だった。
ちなみに巫女は四日前の一件で、バーでささやかながらライブを行った。その結果として、今店内にいる常連客にもすっかり顔を覚えられていた。その為なのか、巫女に向けられる視線が多い。
この店に来るのはその殆どが訳ありだ。中には外に出れば深刻な対立下にある筋モノもいたりする。
だが彼らはこの店では決して暴れたりはしない。
元々、このバーのマスターにして零二の保護者その二、とでも言うべき進藤明海は世界中を巡った元傭兵だった過去を持つ。
この強面の大男は世界中の戦場を渡り歩き、生き延びてきた。
そうした日々に疲れた彼が戻ってきたのは、生まれ育ったこの九頭龍の繁華街。彼はここでバーを始めた。
ここでは、いやここ位は世間体を気にしないように、と思いながら。とは言え、この店も最初は荒れたらしい。
何分、繁華街の中でも特に血の気の多い連中が暮らす通りにある店だ。怒りの沸点の低い事、低い事、だ。
ちょいとした事で簡単に激昂し喧嘩にまで発展する。
だがどんな連中も最終的には大人しくなった。
店内が五月蝿い事に腹を立てた強面の元傭兵が、そういった迷惑客をまとめて制圧してしまうから。
そんなこんながあった末に、今のこの店がある。
この店は中立地帯。それが周知された結果、今ではここはそういった連中の交流の場と化していたのだった。結果として、この店ではまだ表向きになっていない様な裏社会の様々な話が集まるのだ。
そんな場所にいくらマイノリティとはいえ、未成年の少女がいていい訳がない。だからこそ零二はしきりに帰る様に奨めていたのだった。もっとも、結果は芳しくない訳だが。
神宮寺巫女曰く、この店の雰囲気が好きらしい。どんな奴でもここでは争わない、そんなルールがあるこの店の懐の深さが気に入ったそうだ。
「零二、諦めろ。このお嬢ちゃんの勝ちだ」
進藤が茶化す様にニヤニヤと笑いながら話しかけてくる。
「何言ってンだよ、マスター。こっからだって……」
その時だった、零二のスマホに着信が入った。
この独特の呼び出し音はある人物で間違いない。
ゲッ、と声を洩らしながらも零二は通話ボタンを押した。
──こんばんわ深紅の零。至急貴方に依頼したい案件があります。
これが零二の長い夜の始まりを告げるキッカケだった。




