残滓
(これはなんだ、というのだ)
それは藤原新敷の深層心理に刻み込まれた出来事。
あの日、左目を失った日の光景。
死にかけた少年が見える。死にかけた、という表現は正しくない。今にも呼吸が止まりそう様子から察するにまもなく死ぬ。
そのすぐ傍で誰かが泣いている。
声はあげないものの、目からは大粒の涙が溢れ出ている。
藤原新敷はその光景を不快に感じた。
実験動物でしかないモノが一丁前に涙など流すとはふざけている、と。
思えば、禿頭の大男は慢心していたのだろう。
少年にはこれまで幾度も幾度も繰り返し繰り返し刻み込んだのだ。
”お前は俺には勝てない”
だからこそ今日もそれを叩き込んでやろうと。
実験は予定外の結果を見せた。だがそれだけの事。
プランAがプランBに変わった、ただそれだけの事。
だからこそ、これまで以上に刻み込む必要がある、そう思っての行動だった。
しかしそれは間違いだった。
「あ、ああ。やめ──ぎゃばっ」
言葉を言い終える前に藤原新敷の顔面へ蹴りが叩き込まれる。
見ればその全身は無数の火傷と裂傷に覆われ、無残そのもの。
対してその少年は、
「────」
無言でその青い焔を発現させる。
「ば、ばかな」
藤原新敷は激しく動揺している。こんな事は今まで一度もなかった。多少手こずる事こそあったがそれでも負けた事は皆無。今日とて同じであるはずだった。
だが現実として、今追い詰められているのは自分自身。それも一方的に攻撃されている。
「許さない──」
少年の言葉からは例えようもない程の殺意が滲み出ている。いや、それはもはや殺意などというレベルではない。ただただ憎悪。それを具現化したとでも云わぬばかりに焔は発現していく。ただ、それは焔というにはあまりにも異質。揺らめきこそすれど、燃え盛りはせず、ただ周囲を覆っていく。
(これの何がかように恐ろしいのだ?)
なまじこれが実体験ではない為だろう、鬼には藤原新敷の怯えが実感出来ない。理解は出来ても苦痛は分からない。
「よせ、っっっ」
既に藤原新敷の戦意は喪失しており、勝負はついている。だが目の前の少年は止まらない。何の躊躇もなく手を振って、とどめを刺そうとする。
「ぎゃあああああああああ」
藤原新敷は絶叫しながら転がり回る。目が見えない。何をされたかは知っている。爪先で抉られたのだ。それもただの爪先ではなく、青い焔で覆ったそれで。感じたのは熱さではなく、痛み。これまでの人生で感じたあらゆる痛みなどまるで児戯のように思える苦痛。
だがそれで終わりはしなかった。
「しね」
見下ろしながらそう言った少年の目を見た藤原新敷に怖気が走る。
何かされた、と理解した瞬間。異常は起きる。
目の前が青く染まる。青いモノが迫ってくる。ゆっくりと、ジリジリ迫り──押し潰そうとする。
さらに身体が燃え出す。青い焔が全身を燃やしていく。それはまるで──!
そこで藤原新敷の意識は断たれたのか消えていく。
それはほんの一瞬、瞬き一つ程の時間。
鬼は藤原新敷の見た物を追体験した。
 




