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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 10
372/613

残されたモノ

 

(かっか。よもやここまで楽しめようとはな)


 赤鬼はこの状況を心から楽しんでいた。

 いや、恐らく楽しんでいた、というのが正確な所だろう。

 鬼にはそもそも感情などという概念は存在しないのだ。


 そう、ただ異形の怪物は飢えていた。


 互いの存在を懸けたせめぎ合いに。

 殺るか殺られるか、生か死か。

 もっともそれすらも本当に理解しているのか、と問われれば恐らく、としか答えられない。


 何故ならそもそも彼はこの世の理に属さないモノなのだから。


(そも、我は生き物でもないのだ)


 鬼は思い返す。この世に姿を見せた日の事を。



 ◆◆◆



 気が付けばそこにいた。

 何故そうなったのかは分からない。

 自分・・という存在モノが一体何なのか? 


 薄暗い月夜、雨が降りしきる中。

 鬼は顕現化した。


 何をすべきなのかは本能で理解した。

 喰らえばいい。何でも、──いいや何でも良くはない。


 見回せばそこに転がっているモノ。

 何なのか得体の知れないモノだが、本能でそれを喰らい、そして知った。

 自分という存在がどういった概念モノなのかを。


 鬼、というのが自分という存在を定義するのに相応のモノらしい。

 転がっているのは人間なるモノ。どうやらここで何らかの争い、というモノを起こしてこうなったらしい。

 そしてどうやら原因が自分にあるのだとも知る。

 地面には様々な紋様が施されており、それがどうやら自分、という存在を呼び出す為に用意されたものだとも。


 どうしてそんな事を鬼が知る事が出来たのか、と言えばこの場にあったヒトの死体を喰らったから。どうやら肉を喰らった際にその記憶を得る事が出来るらしい。

 そして自分、という存在がこの世ならざる概念によるとも理解する。

 本来であれば呼び出され、その場で制約を課せられて使役されるはずだった鬼はこうして自由の身となった。



 ◆◆◆



 目の前に拳がある。

 焔に包まれた、いいや、焔そのものといっても過言ではない拳。

 橙色のそれはまるで朝日か或いは夕焼けを思わせる鮮やかに煌めく。

 金棒の一撃を躱され、零二は懐に入り込んでいる。


『かっか、──』


 その火力は間違いなく目の前にいる少年の持てる限り全てを出し尽くすモノだろう。

 直撃を受ければ無事では済まない。

 にも関わらず、鬼の口角は愉悦で吊り上がっている。

 そう。

 鬼は堪能していた。長い年月、囚われの身だった頃からすればこの時自分は真の意味で自由なのだと実感を覚えていた。


「っしゃああああ」


 叫び声と共に拳が迫る。ここまで肉迫されては回避も叶わない。受けるしかない。

 決して侮っていた訳ではなかったが、想像以上の強さの零二の存在は鬼にとっていつ以来の好敵手であろう。

 かつて封印された際にも焔遣いはいたが、ここまで心躍りはしなかった。

 それは戦いを楽しもうにも力を封印され、その上で数人がかりで持久戦を挑まれたから、──。


(違うな。アレは我を単なる災いとしか見ておらなんだ)


 そう。今になって気付いた。あれはあの者達にとっての義務・・だったのだと。

 国、というより朝廷、帝、いいや実権を持つ貴族やら何やらに命じられた上での戦い。命懸けでこそあれ、彼らとは戦いに際し、何の高揚感も感じなかった。

 ひたすらに何合と得物をぶつけ合いこそしたが、充足感は皆無。

 そしてそれは封印されて後に関わった多くの者達にしても同じ。鬼、呪具に願いを持ってはいたがそれだけだった。皆々等しく、鬼の事を怪異、或いは敗者だと見下して、侮蔑していた。

 滑稽だった。そんな侮蔑するものにすがりついたのは当人だと言うのに。

 だからこそ、だろう。鬼は自身の為の贄だと割り切れた。


(だが、この小僧は──)


 本来であれば、目の前にいる零二と自分にはさしたる因縁はない。強いて言えば藤原新敷なる器には深い因縁が刻まれている、といった所だろうか。

 当の藤原新敷、というモノは今や辛うじて精神の一部を残すのみ。自我、も間もなく消え去る事だろう。そも、鬼とは思念。死した無数の魂の残滓の集合体、というのが正しい。

 鬼が喰らうのは出来るだけ新鮮な魂。何故なら今、己を構成するモノは所詮は死人なのだ。

 魂もまた肉体から離れると少しずつ劣化していく。何もしなければ徐々に消え去り、再度消える事だろう。

 死人にして生きる事を渇望するモノ。それこそが自分。

 それを怪異、怪物と云わずして何て形容する。


 拳が腹部へ到達する。

 焔は広がるのではなく、浸透せんと暴れ出す。

 確かに強烈だった。

 如何に筋肉の鎧をまとおうともこの焔には関係ない。

 鬼は知っていた。誰からの知識だったかはもう思い出せないものの、この焔の正体、その一端を。



 神をすら殺す焔。

 それが鬼が知り得るこの焔の正体。



 だが同時にそれは有り得ない事だとも鬼は理解している。

 如何に多少肉体が強かろうが、それだけのモノを脆弱な人の身で担うのは不可能だと鬼は知っていた。彼の知る限り、ソレを担う者は総じて自滅を迎えてきたはず。

 当然だ、何故なら神をも殺すのだ。たかだか人の身で担える道理がない。


(まさしく滅びの焔よ)


 体内へ入ったと同時に一斉に焔は広がり、灼き尽くさんと蠢き出す。

 確かに恐るべき焔。このまま黙しては消える可能性もなきにしもあらず。


『かっか。だが武藤零二。我を容易く喰らえるとは思うなよ』

「──がっ」


 零二の腰へ痛みが走る。確認など必要ない。見なくても分かる。左右二本の手が突き刺さったのだと。

 メキメキ、と骨を砕き、ゾブズブ、と気味の悪い音を立てつつ爪先が腰を貫いていく。


『さてさて我が燃え尽きるのが先か、或いはお主が力尽きるのが先か──楽しもうではないか』


 鬼は心底愉快そうに笑みを浮かべつつ、確かな触感を感じながら左右の手を食い込ませていく。




「く、あ。う、……」


 鈍い痛みと灼けるような刺激が零二の体内を駆け巡る。

 腰から、そして口からも吐血。間違いなく臓器損傷を起こしている。


「ち、い」


 零二は食い下がる。分かっている。

 少しでも意識が途切れればそこで終わりだと。

 拳から放たれた焔は鬼を灼くべく動いている。だがそれも零二の意識・・があればこそ。意識を失えば焔はたちどころに消え散って終わり。そして自分はそのまま失血死。リカバーに回すような余力はない。そもそも一か八かでの勝負だったのだ。


(どの道、もう動けやしねェけどな)


 鬼の手はまるで杭のように食い込んでおり、自力で外すのは無理だと分かる。

 仮に外せた所でどうなる訳でもない。ほんの数秒死ぬのが先送りになるのが関の山だろう。


(上等だぜ、……根比べってコトだな)


 かはっ、と咳と共に血の混じった痰が出た。赤黒いその色はかなりマズい状態であるのを明確に示す。だが、もう引く事は出来ない。そういう段階はもうとっくに越えているのだから。


「う、あ、ああああああああっっ」


 零二は歯を食いしばり、残った余力を拳へと集約させていく。

 もう策も何もない。相手が燃えるのが先か、自分が力尽きるのが先か。ただそれだけ。

 対して、赤銅色の肌を持つ鬼はニヤリとその口角を歪めてみせた。



 ◆



(かっか。どうやら……我の勝ちだ)


 ここに至り、そう鬼は確信する。

 焔が身体の中を灼くが、別に関係ない。まだ猶予はあるのだから。

 痛み、とでもいう感覚は鬼にはない。正確には存在はしているが認識していない。



 そもそも鬼にとっては恐ろしいモノではない。

 その顕現自体、死によって起きた現象なのだから。

 そもこの世ならざる概念。それをこの世に干渉出来るように受肉させたモノ。

 本来であれば”自我”など得られるはずもなかった。術者にとって都合のいい道具でしかないのだから。

 鬼にとって死とは身近なモノ。壊し、殺し、喰らう必要も本来ない。道具であったのならば。

 彼はただ知りたかった。自分というモノを呼び出した人なるモノを。そしてそれを為すにもっとも手っ取り早かったのが魂を喰らう、という手段だっただけ。

 無数の魂を喰らい、様々な事を知った。

 その上で鬼はいつしか思った。


 ”この世の全ての欲望を喰らいたい”


 それが鬼がこの世界に留まった理由。その気があればこの世界から離れる事とて可能だったが、長い年月の中でそのつもりはなくなった。

 人、なる存在は実に面白かった。

 小さく、非力で卑小。簡単に死んでしまう存在。


 だが欲望、というモノは興味深かった。


 それは人の数だけ存在する。個々によってその願望は異なり、それは生き方をも左右する。

 欲望とは指針コンパス。生きる上でなくてはならぬモノ。


 そも自分がこの世界に顕現したのも欲望あっての事。

 つまりは自分、という概念の親みたいなモノ、そう認識している。


 魂に刻まれた願望を喰らう、それはその人の原点・・を知る事でもある。

 他者には理解されないだろう。だが鬼は人というモノが好きだった。

 だからこそ時には手を貸しもする。代償もいただくがそれは当然だろう。



 翻って目の前にいる少年はなかなかに興味をそそる存在だった。

 神殺しの焔を担える可能性を持つ器。

 実際その片鱗を今、こうして実体験している。


(かか、かつて遭うたあの焔遣いとはまた別。これはこれで面白き事であるな)


 楽しい。愉しい。爽快だった。

 気分、という概念もまた本来であれば知る事もなかったに違いない。

 本来のように式鬼として遣われていたのであれば。



 ◆◆◆




(さても愉快なモノ。もっともっと喰ろうてみたいわ。まずは目の前の小僧からだが)


 手には肉を裂く手応え。さらに中にある柔らかな臓腑をも貫く。

 視線を向ければ、相手の腰からは多量の出血が見える。真っ赤な血が下半身を染め上げていく。


(ふむ。少々妙だ)


 そこで気付く。何故まだ死なぬ、と。

 既に致死量に達するはずの出血を確認している。同時に体内の臓腑の破裂に損壊、機能不全も。異能者特有の回復能力リカバーとやらが発動していれば多少は持ちこたえるのも可能ではある。だが、目の前にいる少年にかような余力など皆無のはず。

 鬼の体内を巡っていくこの忌まわしき焔に全ての力を懸けているのは明白。


(では何故まだ死なぬ? いや、意識が途切れぬ?)


 鬼の中で疑念が湧き上がり、そして初めての感情らしきものを抱く。

 それは名状しきれぬ薄気味の悪さ。すなわち不安。


『武藤零二よ、死ぬるがいいっっっ』


 叫びながら鬼は突き刺している自身の両手に権能を付与。

 それは魂殺し、つまりは”ソウルクラッシュ”とも云える能力。


(魂そのものを殺さば死ぬ。これはこの世の理に従うモノであれば逃れられぬ定めよ)


 この権能を用いればかすめただけで相手の魂はこそげ落ちる。ましてや相手の体内に入り込んでいればその効果は言わずもがな。

 必殺、必滅。絶対回避不可の喪失を与えるこの能力こそ鬼の持つ最強の切り札。

 では何故ここまで使わなかったのか? 理由は簡単。使えば自分自身をも削るから。

 ここまで貯めた己自身の存在をも削るこの能力は、迂闊には使えないまさに諸刃の剣。


「く、あっう」


 零二は異変を察する。自分の中の何かが死んでいく。そしてそれが鬼の持つ何らかの能力なのだと。


(だけど、焔を止めるワケにゃいかねェ。それじゃ本末転倒ってヤツだ)


 そう考えている一瞬一瞬で急速に損なわれていく。まるで街を照らす街灯がプツン、プツンと順繰りに消えていくかのように消えていく。

 このままでは死ぬ、そんな分かり切った結論が脳内を占めていく。


「まけ、ねェぞ──っっっ」


 だが零二は焔を止めはしない。それどころか全身を焔で燃やすと逆に勢いを増して鬼へと放つ。


『うぬ、小僧め。よかろう。我がお主を損なわせるが先か、お主が我を灼くのが先か』


 鬼もまた両手に意識を集中。零二の魂、精神を削り取っていく。


 互いに一歩も引かない。退けばそこで敗北は決定する。だが、どちらにも限界はある。

 その時が訪れればこの勝負は決着する。

 消耗が激しいのは実は鬼。強力な権能により零二を攻撃しているも、同時に自身をすら損なわせているからだ。まともに対決していれば、正確に言えば互いに万全の状態からこの状況になっていたのであれば先に限界を迎えたのは恐らくは赤鬼の方だった。

 だが、現実は違う。先に限界を迎えたのは。


「あ、────────」


 ガクン、と零二の膝が崩れる。

 急速に力が抜け落ちていく。焔が出せない。出そうにも足りない。もう残っていない。


『かか。ようやった武藤零二。よもや我をここまで追い詰めるとはな。だが終わりだ。ひと思いに死するがよい』


 鬼は突き刺した両手を抜く。そして己が体内へ入っていた零二の右手を抜く。力を失った零二はそのまま支えを失い、崩れ落ちていく。


「──」


 倒れ込まずに膝立ちになったのは意地なのか、それとも無意識であったか。


『かっか。終わりだな!!!』


 鬼は左手に意識を集中。メキョメキョと強化させて振るう。



 ◆



「…………」


 僅かばかりの意識で零二は迫る攻撃をただ呆然と眺めるのみ。

 悔しさすら抱かない、抱けない。だってもう何も残っていないから────。


 《本当にそうなのか?》


 誰かの声が聞こえた。聞き覚えがある声。でも初めて聞く声だ。


 《まだ全部出し尽くしちゃいないよ僕は》


 誰かはそう言う。

 しかし零二に余力などない。それに仮にそんなモノがあったからってもう間に合いはしない。


 《何が何でも生きるんだろ? だったら足掻けよ。しっかりしろよ武藤零二ッッ》


 叱咤する声で零二は自分を省みる。何か残っていないのか、と。

 そしてふと気付く。自分の中に、何か妙なモノがあるのを。それは今にも消えそうな淡いモノ。もう死にゆく自分の中でさらに曖昧なモノ。


 《気付いたな。それを使え。これがに残った────》


 意識が遠退く。

 零二は思った。


 ”多分、は死ぬ。だけど、使わなきゃ”


 だから少年かれはそれを使おうと思い──そこで意識は途切れた。



 ◆



 決着の一撃が零二へ向かい振り下ろされる。裏拳気味に放たれたその左拳槌は無防備な相手を一撃で容易く潰す事だろう。


 鬼は己が勝利を確信していた。これ以上の手間はかからない。何よりも残った魂を喰らう事を楽しみに思っていた。油断していた訳ではない。だが心に余裕があったのは事実。


(む、おかしい)


 不意に違和感を覚える。自分の一撃の速度が遅くなっているような気がしたからだ。そして気付く、自分の周囲がいつの間にか氷結している事に。


『お前か、小娘ッッ』


 その声と同時に零二へ振り下ろされていた左手が凍り付く。


「ハァ、はぁ」


 美影が立ち上がり、地面に手をついているのが見える。彼女は待っていた。相手が零二との対決にのみ集中し、美影の存在を意識の外に追いやるのを。そしてその時こそ今。地面に置いた手から冷気を放ち、鬼へ向けて放ったのだ。


「もう限界。コレで、……借り一つ返したから」


 美影はそのまま崩れ落ちていく。

 同時に鬼を拘束した氷もまた消える。


『くだらぬ真似を……ぬ?』


 鬼は美影から視線を零二へと向ける。

 するといつの間にか零二が手を伸ばし、鬼へ触れようとしている。


『何のつもりか?』


 鬼は目の前の零二に意識がないのを理解。既に死に体となったはずの相手の行動を訝しむ。

 鬼にとって美影の妨害など何の問題もない。ダメージもない上に、それがあったからといって状況が変化するわけでもない。単なる無駄な行為としか言えない。


「いけ……」


 だが美影は違う見方をしていた。彼女は知っている。武藤零二、と呼ばれる少年のしつこさを。何度も戦ったからこそ、知っている。あのツンツン頭の不良少年を。


(こんなモンじゃないでしょ。アンタがこんなトコで死ぬかっての)


 実際、それは単なる希望的観測に基づく願望でしかない。何の根拠もない単なる勘。

 零二の死までの時間がほんの二、三秒伸びただけ。


『む?』


 鬼は違和感を覚える。

 何かおかしい。

 その原因は己に触れている相手の手。

 何故だか分からない。だが鬼の肌が粟立つ。


『離れよ──な!!』


 そしてそれは起きた。

 零二の力なく添えられた手から何かが生じる。

 淡い何かが生じ────一気に周囲を覆い尽くした。



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