降下する中で
そう、思えば焔は常にオレと共にあった。
生まれたその時から焔を纏った子供、それが武藤零二。もっともこの名前を付けられたのもほんの二年前なンだけどさ。
そう、オレには名前がなかった。あったのはNo.02,っていう実験体としての識別番号だけ。
オレはただ生きていた。今の自分に何の疑問も持つ事もなく、研究者連中の云われるがままに焔を振るって目の前の誰かを灼き尽くす。
人を殺す、って意味なンざ誰も教えちゃくれない。
図書室にあった本なら大体目を通したはずなンだけど、そこにあったのは単なる知識。
道徳、っていうモノについて取り扱ってる本は多分予め弾かれたのか、或いはオレはそンなコトにゃ全く興味を抱かなかったのか。
ともかくもオレは決定的に欠落してた。
ヒトを殺すってのがどういったモノなのかを知らなかった。いいや、知ろうともしなかった。
ただただ何も思う事なく目の前にいる誰かを灼く。
ソイツがどういった人生を経てこうなったのか、そンなコトなンざお構いなしに問答無用。一切の躊躇なく灰に、塵へと変えちまった。
二年前、白い箱庭を潰した後だ。
──アイツが、そうなのか。アイツがあの忌み火を持った悪魔か。
誰かに忌み火、って呼ばれた。
言葉の意味は知ってたさ。勉強なンざ教えてもらったコトなくても図書室で読んだからさ。忌むべき火。
忌む、ってのはつまりはアレだ。不吉な、嫌う、穢れたモノって意味。
そうかよ。確かにそうなのかも、な。
あの日から何日経ったのか? オレには聞こえる。見えちまう。
多くの悲鳴が、悶え苦しむ声が、断末魔の叫びがあちこちから。
多くの誰かもさっぱりなモノが転がり、さらにそこから消えていく様が。
目を閉じればそうしたモノが見え、聞こえる。
だからオレは眠らなかった。眠れなかった。
それは幻なのかそれとも幽霊ってヤツなのか。それは重要じゃねぇ。
オレは震えた。
怖い、怖い、怖い。
それは生まれて初めての感情だった。
これが恐怖っていうモノなのか?
オレはこれまでこンなモノを相手に与えてたってのか?
得体の知れないモノがまとわりついてくる、そういう感覚。泥みたいなモノがオレの中へ入り込み、中で蠢いていくような不快感。
殴られたり蹴られたり、ってなら慣れっこだ。どうすれば痛みを誤魔化せるかも分かってるつもりだ。刺されたり、抉られたり、ってのも同様だ。
だけどコレは違う。
痛くも何ともない、ケガ一つもないンだ。
けれど、コレはオレの中で蠢く。ただひたすらに、蠢き囁く。
〔シネシネシネシネ〕
ただひたすらに囁く。
怖かった。オレはただ怖かった。
死んでもいい。だけどこンな死に方はイヤだ。
死ぬ? 死にたいのか、死んでもいいのか?
〔シネルトオモウナ〕
〔クルシメテヤル〕
〔コワシテヤル〕
声が聞こえる。イヤだイヤだイヤだイヤだ。
耳を塞ぎ、でも眠らないようにしないと。じゃなきゃまたアレが来る。
暗闇の中で、オレはただ震えていた。
◆
「さて、これが現在の彼の姿です」
「……………………」
「いかがなさいますか? あなたが望むのであればすぐにでも出しますが」
「…………」
「宜しいのですね? ではこの件は承りましょう。No.02はピースメーカーの名に於いて保護させていただきます。その前に【依頼】を果たしていただきますが」
気配も何も感じさせず相手が去った後、九条羽鳥の前に置かれたのは一本の小瓶のみ。
「彼にとってこれが一番なのかどうか。生きるとは誠に酷な事です」
そしてその次の日。
一人の少年は外の世界へと踏み出した。
No.02、そう呼ばれた彼には名前が与えられた。
武藤零二、という存在意義が生まれた。
◆
「────」
何だったンだろうな?
何でこのタイミングであんなコトを思い出したンだろうか?
理由は多分、オレがココに戻ったから、だろうか。
実の所、あの日覚えてるコトはそう多くない。
断片的な記憶は残っちゃいるが、大半のコトは思い出せない。
あまりにも不自然だったからある日姐御にそのコトを訊いた。
「あなたの中の記憶の大半は封じさせていただきました」
姐御はアッサリとそう答えた。
ただ誰がそれをしたのかは教えてくれなかった。
噂じゃ他の上部階層の誰かが手を貸したのだとも囁かれてる。
でも違う気がする。
「…………」
暗い穴はまるで底なしにすら見える。そンなワケないってのは分かってる。
底はあくまでも白い箱庭の最下層だ。たかだか地下十階。高さだと…………どうでもいいか。
唐突に脳裏に浮かぶのは誰かの姿だ。
ボヤけてて誰なのかは全く分からない。
誰かがオレに近寄って、そして…………何かをした、のか?
ただ分かっちまった。この誰かが、オレの記憶をいじったのだと。
ザザ、ざざ。
まるでテレビの画像が乱れたみたいな映像。
画質は悪くて、誰かの表情も何も全く分からない。
ただ、一つだけ分かるのは、ガタガタと震えてたオレを抱きしめたってコト。
温かい、そう思えたコトだった。
(妙な気分だな)
ただ下へ飛び降りただけだってのに、こンなコトを思い出すなンてな。
それもあのクソヤローを倒そうって時に。
勝てる、とは思っちゃいない。正直負ける可能性の方が大きいだろうさ。
実際、オレは一回死にかけたばっかなワケだし。
身体はもうボロボロだし、何処まで戦えるか、って聞かれたらさぁ、としか答えようがない。
不安材料しかない。でもオレは戦う。
何回だって戦ってやるさ。勝つまで。
そうだ、死ぬまで戦ってやる。負けねェ。
根拠なンざ知るかよ。オレの中にあるモノ全部を総動員して戦う、それだけのこった。
見えた。下だ。
あのヤローはドラミに近寄ってる。
周囲の様子で戦ってたのは明白。それどころか、アイツ……ヤローに一矢報いやがった。
上等だ。ああ、上等さ。
アイツがやれたならオレだってやれる。
負けてらンねェよな、おい。
すう、と息を整え、オレは拳を輝かせる。
さぁ、行くぜッッッッ。




