ささやかな抵抗──そして輝きの中へ
「ふん、小賢しい真似を」
半ば異形と化した藤原新敷は憎々しげに向かってくる火球を難なく払いのける。
無数の火球はあらぬ方角へと飛んでいき着弾。炎を巻き上げていく。
「お遊びはここまでだ……ぬ?」
そうして獲物である少女を狙わんとするのだが、相手の姿は既にない。
左右へと視線を巡らすもその姿はない。
「──上か!!」
「遅いッッッ」
美影が炎を噴き上げ一気に急降下。
その右手を突き出し、炎を操作。炎の槍を作り出す。
「くらえっ、激怒の槍──レイジスピアッッッ」
普段のそれが細槍、あるいは投擲槍のようなモノだとすればこの槍は騎馬に対抗する為に作られた長槍、さしずめパイクというべき代物であうか。
もっともそんな事など狙われる立場の藤原新敷には何の興味もないほんの些事でしかないのだが。
「くだらん」
吐き捨てながら突き出されるその槍の穂先へ向け、禿頭の大男は変異させた腕に力をこめる。瞬時に筋肉を隆起させ、「ムダだっっ」と迎撃の一撃を放つ。
強烈無比としか言い様のない拳は向かって来る炎の槍と激突。槍は穂先からかき消され、あっさりと消えていく。
(無駄な事を──)
あとはこのまま拳の勢いを殺す事なく相手の身体に叩き込めばそれで終わり。殺す訳にはいかない以上、気絶させるのが一番。狙うべき箇所は顎先。難しい事は何もない。ただそのまま拳を相手へと突き出し命中させるだけだったのだが。
(何だ?)
奇妙な感覚を覚えた。
拳の速度が僅かに落ちたように感じる。だが何かをされた感じはない。
(気のせいか)
あくまでも落ちたように感じるだけの話。実際獲物は得物の槍を失い、表情には焦りが浮かんでいるはず…………だった。
(なに?)
だが当の美影の表情に焦りの色は浮かんではいない。
彼女にとってこうなるであろう事は最初から織り込み済み。真っ正面からかかる限り自分の十八番たる炎の槍は通じないだろうと理解していた。
(コッチだって工夫位するっての)
漠然と観ていた零二と藤原新敷との対決。その際に相手がとんでもない強さだと否が応でも理解していた。普通に戦ったら十中八九間違いなく負ける相手、自分よりも格上の敵だと。
だからこそこの攻撃は最初から捨てていた。
奇襲、不意打ちからの一撃。本来であればここにしか万が一の勝機は見い出せない。その唯一の可能性を捨て駒とした。
(大事なのは相手にこれで勝った、って思わせるコト)
炎の槍はおよそ半分の出力で放った。
疲労困憊の現状で通じない攻撃に全力を出せる程の余裕など今の美影にはない。
見た目のインパクトの大きい事象を囮とし、本当の目的をごまかす。
日々の訓練によって今の美影は左右で別々の現象を手繰る事が出来る。
右手では今まで遣い続けた炎を。左手で最近になって使えるようになった氷雪を。
自分でも驚く程のスピードで馴染んでいく氷雪能力。そして今の状況下で美影が頼ったのはこの新たな能力。
無論、氷柱をただ繰り出した所で相手には通じない。それは零二の攻撃を凌いだ事からも明らか。だから発想を換えてみた。
(大事なのは意識を集中させるコトだったよね)
散々っぱら氷雪能力の訓練に付き合ってもらった家門恵美から口を酸っぱく言われた事。
相反する能力を如何にすれば上手く活用出来るのか、と悩んでいた美影に家門は言った。
◆
──相反するとかそういった固定観念を捨てた方がいいのかも知れないわね。
言われた瞬間は何言ってんの? と困惑した美影だったが、その後の家門の話はこう続く。
──本来なら有り得ない事があなたの身には起きてしまった。だからこう考えを切り替えればいいんじゃない? 最初からそれがあなたのイレギュラーだったんだって。
相反する能力、って考えるんじゃなくてスイッチを切り替えるみたいにオンオフが出来るんだって。そう思うの。
最初から自分に備わっていたモノだと考えれば、あとはそれをどうやって上手く繋げるかを考えるだけだと思う。
その話を聞く内に、自分自身が二つの能力を一緒に使えると思っていなかったんだ、と思い至る。そしてそうした思い込みこそが二つの事象を制御出来ない理由なんじゃないのか、と。
美影の様子を見た家門恵美は微笑を浮かべつつ話を続ける。
──どうやら飲み込めたみたいね。じゃあこうしましょう。氷炎は別々のイレギュラーじゃなくてそもそもあなた自身が持ち合わせていたモノなんだって。だから両方とも制御出来るのは当然の事なんだって。大事なのはそれをどういう風に上手く切り替え、繋げるか、ね。
何かいいアイデアはあるかしら?
◆
そうした末に美影が自分で定めたのが、左右で氷炎をそれぞれ受け持つ、という形であった。
つまり右手でこれまで同様に炎を担い、残った左手で氷雪を担う。
考え自体は至ってシンプル。何の捻りもない。
(だけど、だからこそいい。難しく考えてちゃ使いこなせない)
実際、相手は美影が何をしたかに気付いていない。
自分が何故迎撃に失敗したのかにも思い至る様子はない。
(上手くいった。このまま一気に懐へ入り込む)
美影は既に”スイッチ”をオンにしている。これにより美影の見えるモノはその全てがゆっくりに見えている。
氷のような冷たさ、冷静さで美影は分析していく。
互いの戦力差を。埋めるにはあまりにも大きな実力の差を如何にすれば小さく出来るのか、を。どのようにすれば相手に打撃を与える事が可能であるか、を。
(どの道やるべきコトは分かってる。分かり切ってる)
それは認めたくない相手の得手。
焔をまとい戦う誰かの姿が浮かぶ。
野蛮で無粋で何よりも────。
美影が藤原新敷に対して仕掛けた事は至ってシンプル。
左手から発した冷気で動きを鈍らせた。ほんの数度にも満たない僅かな気温の操作。なまじここが室内、それも地下十階なのが幸いしたとも云える。
もしも炎天下の元でこの仕掛けをしたのであれば相手は間違いなく異常に気付いてしまう。
鈍らせる、といってもそれもほんの僅か、コンマ数秒程度の遅れでしかなく、普通であれば何の対処も出来ずにそのまま敗れ去るのみ、であろう。
あくまでも美影が”スイッチ”により自身の周辺で起きる出来事、世界をコマ送りのような感覚で認識出来てかつ、その認識を受けた上でほんの少し自分の肉体を動かせるからでしかない。
そして何よりも藤原新敷という存在が圧倒的な強者である、これこそがこの状況下に於いて美影にとって番狂わせを起こせる可能性を抱かせる最大要因であった。
なまじ実力的に差があるからこそ、実戦経験が豊富で、人体をどうすれば破壊出来うるのかを熟知しているからこそ、その攻撃動作は正確無比。だからこそ狙って来る急所さえ理解出来れば、今の美影には紙一重で薄皮一枚で躱す事が能う。
(な、にが起きている?)
一方の藤原新敷の目線から見ればこの状況は明らかに異常極まるモノ。
終わったはずの一撃を躱され、そして懐へ入り込まれる。そんな事は有り得ないはず。
スルスルと相手は迫っていく。生意気なのは加速する際に炎を噴き上げている点。まるでついぞさっき葬ったあの小僧、No.02こと武藤零二を思い起こさせるその動き。
(おのれ、小娘ッッッッッ)
苛立ちの中、少女は着地した少女はす、とその左右の手を相手の腹部へと添える。
(ホントムカつく。こんなの全然スマートじゃない)
そんな心の声とは裏腹に美影の意識はあくまでも冷静さを失わない。
炎と氷雪、二つの相反する能力を同時に左右の手にて精微に操作、それを同時に放つ。
どうして双方を一緒にぶつけようと思ったのかは、美影自身分からない。
ただ相手を倒すつもりで戦っている今、万が一の可能性だとしても勝機を掴むのであれば文字通りに今の自分の全てをぶつけよう、とでも思ったのか。
炎が氷が輝き煌めく。
眩いばかりの光が生じ、その圧倒的な光量の渦は場の全てを呑み込んだ。
 




