追撃
「ママ、お外で何かがピカピカ光ってるよぉ」
あるマンションのベランダにいた子供が嬉々とした表情と声で叫ぶ。
勿論、深夜に子供が起きていた訳ではない。
彼女はトイレに行く為に目を覚まし、その戻りに外が光ったのが見えたので、ふとベランダに出て、そして見たのだ。
その子の視線の先には真っ暗な道がある。
以前は狭く小さな道だったのだが、最近は周辺を再開発する為に、工事車両が出入りする必要があったからだろう。事前に拡張工事を実施。大きく道幅を広げられている。とは言え、再開発工事に着工し始めたばかりの為か、四車線もある真新しい道なのに、まだ街灯の一つも付いてはいない。
その暗闇に包まれた道に小さな光が無数に浮かぶ。
遠目から見れば、それらは不規則に、だが徐々に前方へと移動している事が分かる。……まるで、何かを追いかけているかの様に。
「くっ」
駆け抜けていく美影の後を追いかける様に銃撃が浴びせかけられていく。彼女を追うのはエトセトラD、Eの二チーム計十人。
彼らは徹底して美影を追撃する。
それも付かず離れずに距離を程よく取りながら。
バイクで左右を挟むように四人。
後ろからハマーに乗って追撃をかけてくる残りの六人。
その全員が恐らくは暗視装置らしき物を装着しており、街灯もないような暗闇に包まれただだっ広い道をすいすいと走ってくる。
お陰で美影は逃走ルートを変更せざるを得なかった。
本来であれば、確たる移動手段を持たない美影が追撃から逃れる為には、街中に入り込むのが定石だった。
だが、今彼女を追うのは完全防備の兵士達。彼らの徹底した銃撃を見る限りでは、下手に街中に逃げ込みでもすれば、無関係の一般市民に迷惑をかける可能性がある。そしてそれを実行すると思えるだけの雰囲気を相手は醸していた。
「うっ」
まるで縫うように美影の真横を銃撃が走る。道路のアスファルトを銃弾が跳ね、削り取っていく。さっきよりも明らかに精度も威力も上がった攻撃に美影が振り向き──思わず叫ぶ。
「──ふっざけるな!!」
見えたのは、ハマーの天井に取り付けられた銃座。
そこから一人が身を乗り出し、マシンガンで狙っていたのだ。
ガガガガガッッ。
文字通りに周囲を抉りながら美影へと浴びせかけられる銃弾の雨。それに追加する様に左右の窓からも身を乗り出した連中からもアサルトライフルでの銃撃。数百発もの銃弾を躱しきるのは美影には困難だ。
彼女も零二と同じく炎熱系のイレギュラー使いとは言え、零二位のレベルでの熱操作は不可能だ。認めたくはないが、あれ程のレベルでイレギュラーを扱うのなら躱すのも、または銃弾を遮るのも可能だろう。
左右及びに後方からの一斉射撃を躱す事は彼女には出来ない。
かといって彼女には、常人を凌駕する肉体的な強さもない。
「いいから撃ち続けろ。絶対に止めるなよ」
一方、エトセトラの面々に与えられた命令は一つ。
措定された標的を蜂の巣にする事。彼らもマイノリティとの交戦経験を持っている。だから銃撃を浴びせても油断はしない。
(相手は人間じゃない、化け物なんだから)
それが彼らの共通認識だった。
「──ちっ、何やってるんだよあれ」
縁起祀はその猛烈な銃撃の嵐を目にし、思わず舌打ちした。
彼女の腹の銃創は、リカバーで既に塞がっていた。
彼女の仕事は、あくまでもあの倉庫から盗み出されたアンプルの回収。視線を巡らせば、零二が苛立ち混じりに自分を狙ってきた連中へと迫るのが見えた。
相手が美影から離れるのなら、都合がいい。戦かわずに済むのならそれに越した事はないのだから。
彼女はその身体能力を駆使して高速で迫っていく。
美影もまた、その両手から炎を吹き出し、時折走る速度を切り替えてはいるが、彼女の加速はあくまでも瞬間的な物。自動車やバイクと走って速度で勝つには無理がある。
対して縁起祀の場合は、そもそも高速移動自体がそのイレギュラーであり、軽く走るだけで自動車並みの速度を出せる。
(にしてもあんなに撃ちまくりやがって──バカか?)
エトセトラの面々からの苛烈な攻撃は、美影が重要な品物を保持してる事を知らないとでも言わんばかりだ。
このままでは彼女諸共にアンプルが壊されるだろう。
(急がなきゃな)
そう思った縁起祀は何を思ったか、不意にその足を止める。
勿論、そうしている内にも美影も彼女を狙う集団も彼女から離れていく。幸いこの道は一直線にしか伸びない。でなければすぐに見失ってもおかしくない。
だが彼女に焦りはない。
縁起祀はスマホにコードを接続。そうして耳にイヤホンを付ける。スマホの画面を切り替えるとお気に入りの曲を再生。
その曲は海外のハードロックバンドの物で、ボーカルの重厚かつ大音量のシャウトから始まる。
そのボリュームを最大にして聴くのが彼女なりのこだわり。
普通の人であればあまりの音量に鼓膜が破れるのでは、と思う事だろう。
スゥー、と息を吐く。
彼女は頭の中で自分がバイクに乗っているイメージを思い浮かべる。……そしてバイクのアクセルをふかせる。
バル、バルルル、と大きな音を周囲に撒き散らしながらそのバイクは今にも走り出そうとしている。
少し息を止める。肺の中が空っぽになるのを実感する。そうして僅かな逡巡の後に鼻からゆっくりと酸素を肺へ、そこから血中に、脳へと巡らせていく。
そうして彼女は意識を集中させる。跨がったバイク中のアクセルを吹かす。足を地面から離し────走り出す。
これが縁起祀の”儀式”。
彼女が自身の持つ”速度”を解放する際に行う為に必要な、集中をする為にはどうしても欠かせない儀式だ。
”高速移動”は肉体操作能力に該当するイレギュラーの一種だとされている。
ボディのイレギュラーを扱うマイノリティの多くが身体能力を飛躍的に向上させる。それは純粋な破壊力や耐久力を向上させ、またその反射速度をも向上させる。
何度か試みてみたものの、彼女には目に見える形での肉体変異は出来なかった。彼女に出来たのは自身の持つ速度を、加速をする事が出来る、これだけだ。誰よりも速く動く、たったこれだけ。
そういう意味で言うのなら縁起祀はボディと言うにはあまりにも中途半端に思える。
だがそんな事はどうだって良かった。彼女が本気で走り出す時。それは即ち、何よりも速く、まさに風と一つになる時なのだから。
「──────行くよ」
縁起祀は一言呟くと共に自分を解放した。最初からフルスロットル、まさに全開。
文字通りに一陣の風の如く、一気に駆け抜け──距離をグングンと詰めていくのだった。
◆◆◆
一方、美影は相変わらず三方向からの銃撃に晒されていた。
心無しか、さっきから敵からの銃撃が弱くなった様に思える。
それもそうだろう、と美影は思う。
敵がいくら銃弾を持っていようがアサルトライフルにしろ、マシンガンにせよ弾倉の弾を撃ち尽くしてしまえば恐れる事はない。
「うっっ、」
バラララッッ。
とは言っても、流石にアサルトライフルとは違い、マシンガンの銃撃は簡単に弾切れを起こす事もない。
ドオン。
突如美影の目の前で爆発が起きた。どうやら追手は、グレネードランチャーで攻撃してきたらしい。
「わっ、と」
だが彼女は止まらない。美影にとってはその程度の爆発で止まる訳にいかない。構わずにそのまま突っ込む。
バラララッッ。ドオン。
左右のバイクからはアサルトライフルでの銃撃。後方からはマシンガンとグレネードランチャーでの攻撃。
(お構い無しね、なりふり構っていないわ。連中)
こっちにはアンプルがあるっていうのに。そう思いはしたが、敵の攻撃は執拗だ。それに変に期待するのもおかしい、品物を手に入れるのが困難であるなら標的諸共に破壊、あり得る話だ。
その時だった。
不意に左右のバイクから一台ずつ彼女よりも前に出た。
そしてその二人がアサルトライフルを手放すのが見える。その代わりに何かをサドルの横から取り出すと、すぐにこちらを狙ってくる。
「グレネードランチャー? やっば」
美影は相手の思惑に気付いたが遅い。
左右のバイクから、牽制とばかりにアサルトライフルでの銃撃。
そして……前後からグレネードランチャーでの攻撃。
ドドオン。
大きな爆炎が巻き上がった。




