圧倒
ツンツン頭の不良少年は空を切って強かに壁に身体を打ち付けられる。
「く、っはッッッ」
呻き声をあげ、地面に落ちる。
強い衝撃が背部を襲い、ほんの一瞬意識が飛ぶ。
背骨が砕けたかのような痛みに受け身を取っても無駄なんじゃないのか、とすら思えてしまう。
それは零二をしてまるで冗談みたいな光景だった。
目の前にいる敵はこれまで対峙してきた誰よりも遥かに強い。
「く、っそ」
ゆっくりと起き上がる零二の見据える先にいるのは石、いや岩そのものではないのか、とすら思える異形の怪物。
もはやついぞさっきまでそこにいたはずの禿頭の大男は見る影もなく変異を起こし、面影など見受けられない。
いや、唯一面影というべきモノを指摘するのであればそれは抉られたような傷痕のある左目。
ただしさっきまで無かったはずの光が今やその目には宿っている。
『くく、どうした武藤零二?』
声だけは辛うじて藤原新敷のモノではあるが、それすらも地の底を思わせる低さと重々しさを想起させる。
ドシン、ドシン、とした足音は相手の巨躯に相応しく重量感を感じさせる。
『先程までの威勢の良さはどうしたのだ? 俺を倒すのは諦めたのか?』
嘲笑う声とは裏腹に目は鋭く細められており、油断など微塵もするつもりがないのは明白。
「誰が諦めたって?」
零二は出来る限りの虚勢を張りつつ、橙色の焔を巻き上げる。
そうして一気に加速。相手の懐へ突入する。
「しゃああっっっっ」
気合いを込めた叫びと共に零二は攻撃をしかけていく。
「シャインダブル──」
相手の腹部へ白く輝く双剣で切りつける。左右へ横薙ぎの一撃。返す刀で袈裟と逆袈裟。そしてさらに首筋へ刎ねる勢いでの一撃。
零二の手刀は間違いなく名刀と言い換えても差し支えない切れ味を発揮するのだが──。
『くだらん』
「──ち」
ピシピシ、という何かが崩れる音。
零二の攻撃は藤原新敷の、岩のような皮膚に微かな亀裂を生じさせるのみ。
「クソッ」
焔を噴き上げ間合いを外す。だが相手もまた目の前にまで迫っている。
鈍重そうな巨大からは信じられない程の瞬発力で腕を振り上げる。
『無駄だ小僧』
声が耳元で聞こえたのと同時に零二は痛烈な一撃を食らう。それはラリアット、或いは腕刀とでも云えばいいだろうか。大振りで普通なら簡単に躱せるはずの攻撃であったのだが。単純に速度が早く上手く対応仕切れない。
「く、っ」
両腕を交差してラリアットの直撃こそ避けたが零二の身体は軽々と宙に浮く。
そして今度は藤原新敷の攻撃が始まる。
ラリアットを放った手を動かし零二のシャツの襟口を掴み上げる。宙に浮いた零二の身体を逆に下へと叩き付けるとそのまま地面を引きずりながら走り出す。
「ざ、っけンな」
ガリガリガリ、と地面を抉りながら勢い良くボウリングにでも興じるかのように投げ出す。
壁に衝突したのと同時に間合いを潰しながらの右拳を鳩尾へとめり込ませ、左拳を突き上げてのアッパーで顎先をかち上げる。
「…………あ、」
脳が揺れて意識が遠退く。
焔の勢いは弱まり、足元もおぼつかず完全に無防備な状態に陥る。
そしてそこを藤原新敷は見逃したりはしない。
『どうしたどうしたどうした?』
笑いながら拳を叩き付ける。零二の身体は強烈な一撃を受け、九の字となり前へと崩れる。倒れるのを認めるつもりのない藤原新敷は膝を突き上げて零二を宙に浮き上がらせると両手を重ねて横っ面へと野球のバットでボールでもミートするかのような一撃を見舞う。
『クッハッハッッッハァァァァ』
哄笑しながら動き出し、吹き飛ぶ零二へ追い付くと相手の腹部を蹴り上げ、今度は凄まじい勢いで天井に叩き付ける。
そしてゆっくりと落下してくる獲物めがけて赤銅色の拳を握り締めると──。
『これで終わりだ小僧ッッッッ』
凄まじい勢いで振り上げに零二の腹部を貫いた。
「…………」
零二は意識を失ったままなのか何の反応も示さない。
ただ血だけが腹部から拳を伝い溢れ出す。
『くだらん。この程度か』
反応を示す様子を示さない零二に関心を失ったのか、その身体を投げ捨てる。
受け身すら取れずまともに地面に落ちる姿を見て、藤原新敷は自身の完全なる勝利を確信。
『まぁいい。ならこちらは依頼をこなすだけだ』
その視線を気を失ったままの美影へと向ける。
そう、藤原新敷の狙いは零二ではなく美影であった。
個人的には全く興味を惹かれない少女に藤原の一派が関心を示したのだ。
『まぁ、どの道小僧は殺してやったがな』
藤原の一派にとって零二の存在は既に必要なし、となっている。
彼らにとって重要だったデータは既に収集済み。だからこその”処分命令”。そしてそれをたった今実行した。
”満足したか、小さきモノよ?”
声が聞こえる。呪具の元となった怪物の声。
『ああ、満足だ。これで俺は前に進める』
実際気分は悪くない。異形にこそなったがフリークになったという感じではなくあくまでも肉体が能力に適応する為に変異した、という感覚だった。
”我に代償を払うがいい”
『ふん、好きなだけ持っていけ』
何を欲しているのかは分かっている。この呪具は生きている。強大な力を与える見返りとして求めるのは担い手の血肉そのもの。いつの日か再度復活する日の為に少しずつ力を蓄えているのだ。
ゾブ、ゾブとしたナニカが蠢く感触。
『く、ぬう』
内部からゴッソリと喰われたような感覚は不快極まりない。
だが致し方ないと理解している。
それに、
(代償、いいだろう。これより後はもう必要もない)
もう自分を脅かすだけの存在などいない。
さっきのにしてもイレギュラーを使った、という認識すらない。
素の力だけであれだけの破壊力を誇示出来たのだ。
(俺はもう無敵だ)
その気さえあれば藤原の一族をすら統べうるだけの力を持った、そう感じる。
刃向かうモノがいれば潰せばいい。今なら簡単に出来る。
藤原新敷は自身の圧倒的なまでの力に酔っていた。
だからだろう、彼は怠った。
血溜まりに沈む獲物へトドメを刺すのを。
だから、僅かに手足をピクリと動かす少年の変化を見逃した。




