藤原新敷──その3
全身を包み込むように焔をまとったその姿を目の当たりにし、藤原新敷は既視感を覚える。
それはまさしく二年前の少年の姿を彷彿とさせる。
ただし以前とは大きく異なる点が一つ。
「ぬ────!」
不意に目の前から零二の姿が消える。
そう、焔の化身とも見える相手の素早さが以前に比べて各段に向上していた事である。
「ぐ、かっっ……」
禿頭の大男の表情が歪む。何が起きたかは見るまでもない。ミシリ、とその鳩尾へ拳がめり込んでいるのだ。胃液が逆流しそうな勢いを感じながら藤原新敷は反撃に転じようと試みる。
左右の手で相手を掴もうと伸ばす。相手は懐深くに入り込んでいる。筋力を腕に集中し一気に加速をかける。確実に捉えられるはず、の一手はだが通じない。
「しゃあっっ」
零二の左右の手が裏拳のように放たれ正確に手首を打ち、目論見を阻害したのだ。
その上で零二はその場でしゃがみ込み、そこから一気に跳ね上がっての頭突きを相手へと喰らわせる。
「うがっ」
顎先に鈍器でかち上げられたような衝撃が走り、脳が揺れるのを実感する。
よろ、とふらつく禿頭の大男に対して橙色の焔をまとわせた零二は追撃の手を緩めはしない。
「しゃあっっ」
身体を前傾させて再度間合いを潰しながら左右の肘での脇腹へ攻撃。左足で相手の右足を踏みつけて動きを阻害してからの右膝を突き上げ下腹部への一撃。痛打を受け自然と頭を下げてしまう藤原新敷の後ろへ手を回すと自身の首を振り上げ、顎先への再度の頭突き。左右の手を相手の腰へと回してロックするや否や投げっぱなしジャーマンスープレックス。自身よりも二回りは大きな相手を軽々と持ち上げ──勢い良く投げ捨ててみせる。
「フゥー」
間合いを外した零二が息を整える。
全身が熱い。文字通りに自分自身を燃やしているのだから当然ではある。
(先手は取った。これでやっとこさ……オレは戦える)
そう、これで決着ではない。
まだこれから。今のはあくまでも自分が相手に抱いていた、刷り込まれた劣等感を払いのける為の通過儀礼でしかない。
その証左に相手はすぐに立ち上がってみせる。
「……………………」
禿頭の大男は何が起きたのかをただ思い起こす。
拳同士の衝突から押し切られ、そこからの一連の自身が受けた攻撃の数々を思い起こす。
そして自分の状態を目で確認。全身が汚れているのを目の当たりとし、ズキンとした痛みから鼻骨の骨折を自覚。パタ、と滴る赤い水滴を目の当たりとし、
「小僧ォォォォォォ──」
溢れ出す怒りを噴き上げさせた。
屈辱以外の何物でもなかった。
「貴様如きがァァァァァ」
白い箱庭で、散々その身体に精神に刻み込んだはずだった。自分は強者で相手は弱者。決して自分には抗えない、抗おうとしても無駄であるのだと丹念に入念に。万が一くだらない反逆を試みても無駄なのだ、と。
それを壊された。
数年かけて構築したはずの互いの関係性を粉砕された事は屈辱でしかなかった。
「おのれおのれェェェェェ」
拳を強く強く握り締め、爪は肉へと食い込みボタボタ、と血を滴らせていく。
「へっ、どうしたよ? さっきまでの余裕綽々っぷりは何処へやら、って感じだな」
対して零二は相手を挑発しながらも、だが気を抜く事はしない。
こうして全身を焔で覆うのは二年振り。違和感は今は感じないものの、一つ実感している事がある。
(やっぱ長持ちはしそうにない、な)
以前とは違って今の零二は自分自身を燃料として焔を出している。文字通りに自分を資源としている為にその消耗度合いは、相当なモノ。
そして戦闘スタイルの違いも大きい。
以前のように中距離からの一方的な蹂躙ではなく、今の零二は自分自身を用いた近接戦闘で相手を倒す。零二の肉体も二年間で大分鍛えられてはいるがそれでもかなりの負荷がかかっている。
それを示すように全身の血管が切れて出血が止まらない。目立つ前に気化するので表面化こそしてはいないがこうしている内にも刻一刻と身体は悲鳴をあげている。
(呼吸は大丈夫、なら──)
ゴオッ、と橙色の焔を噴き上げ零二が動き出す。
凄まじいまでの加速力に伴って二十メートル程の距離は瞬き程の時間で詰まっている。
「くそ、っ」
藤原新敷もまた迎撃に出るべく腰を落として身構える。
そうして眼前の相手へと拳で放つ。牽制目的のボクシングで例えるならばジャブのような攻撃。ダメージよりも相手の動きを止めるのが目的の攻撃は、だが届きはしない。
零二はそれをすんでの所で躱すと逆にカウンターの一撃を藤原新敷へと叩き込んでいた。
「ぐおう、っ」
痛烈な膝がすれ違いざまに脇腹を直撃。だがそれで零二の攻撃は終わらない。素早く背後に回り込むと相手の左膝裏を右足で踏みつける。当然ガクンと膝から崩れる藤原新敷に対して左の手刀を首筋へ叩き込みつつ右手を首へと回す。相手を後ろへと引き寄せながら左膝で腰を一撃すると前へと突き飛ばす。基本的には我流の零二ではあるがこの二年間、後見人たる加藤秀二に様々な武術や格闘技の手ほどきを受けてきた事は確実に血となり肉となり、こうして実を結んでいる。
「こ、ぞ──」
禿頭の大男が反撃として振り向きながら放つ強烈な右裏拳は空を切る。
相手の攻撃を頭を下げつつ躱した零二は左へ回り込みつつ再度脇腹を今度は右肘で一撃。殴打というよりも突き刺すような一撃を受け、息を吐き出しながら藤原新敷の身体は前へよろめく。
「うっらあッッッ」
そこへ回り込み込んだ格好の零二はその身を低く沈み込ませると左足を地面に踏み出す。震脚のようなその一歩で生じる勢いを乗せた拳を白く輝かせつつ放つはツンツン頭の不良少年にとって十八番の一撃。
「激情の初撃──インテンスファースト」
「ぐ、ぬうっっはあっっ」
強烈な一撃を受け、藤原新敷の身体は浮き上がる。
一瞬、自重を喪失したかのような浮遊感を感じ、次に襲い来るのは痛み。
それは鈍痛だとか切られたとか、そんな類の痛みではない。
焔をまとわせた零二が更に拳に込めた一撃は肉体へ浸透していく。
メキメキョ、と鳩尾から生じた拳の衝撃によりさっきまで幾度となく攻撃を受けていた左右の脇腹、肋骨が砕けたのが分かる。
だがそれだけではない。全身が、熱い。特に腹部、鳩尾のそれはまるでそこで何かが燃えているかのよう。
まるでそこから火でも噴き上げるかのような感覚を覚え、目で確認する。
「…………あ」
自分でも驚く程の間の抜けた声。
そして冗談のような光景がそこにはあった。
光を放っていた。まるで腹部、皮膚の中に何かしらの照明機器でも仕込んでいるのか、と錯覚する程のまばゆい橙色の光。
それを為しているのは一人の小柄な少年。
ウニ、というよりはタワシのようなツンツンした髪をした少年。
「これで終わりだな……」
少年はそう言うとゆっくりとした動作でズブリ、と手を引き抜くと一歩後ろへ飛び退く。
すると、それに呼応するかのように腹部にくすぶっていた焔が一気に全身を蹂躙する。
「く、が、あ、ぐ、ああああああああああ」
全身が燃えていく、いやそんな生易しい感覚などではない。
あらゆるモノが焔によって燃え、沸騰し、気化していく。
内臓が、骨が、体液が、細胞の一つ一つが強制的に消えていく。
(し、ぬのか?)
これまでも幾度か危険な目にはあった。
拷問だって受けた。瀕死に陥った事も一度や二度ではない。
だがこんな感覚は初めてだった。
痛みだとかそういったモノすら感じる暇もなく肉体が燃えていく、消えていく。
恐らくはものの数秒にも満たない時間で跡形もなくなる。
(ふざけるな────)
力なく、拳を握る。
死に臨み男の中に渦巻くのは怒り。
(──ここで死ぬのは俺ではなくあの小僧であるべきだ)
そう、武藤零二とは常に自分に勝てないはずの相手。
自分が虐げ、殺してしまう事はあってもその逆の事態など起こってはならない。
(俺は、死なん)
その思いが情念となり、男の中を満たしていく。
それこそがスイッチであった。
「……しぬのは、お前だ小僧ォォォッッ」
そう言い放つと藤原新敷の雰囲気は一変、気付けば体内を焼き尽くさんとしていた焔は消えていた。




