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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 10
347/613

先手

 


 零二が焔を揺らめかせた事で周囲の空気が一変する。

 さっきまでの冷えついた空気は一気に温度を増していき、真夏のような暑さをまき散らす。

 中でも零二の周囲はその足元でチリチリ、と紙屑らしきモノが発火、あっという間に燃え散っており、明らかに高熱なのが見て取れる。


「ふん、本気という事か」

 体感温度の上昇に伴い、身体からは自然と汗が滲む。

 藤原新敷は、「鬱陶しい」と言うとまとっていたジャケットを脱ぎ出す。

 そして、

「ふん──」

 突如としてそのスーツを零二へ向けて投げ出す。

 勿論そんなモノは零二には届かない。焔によって瞬時に発火するのだが。

「ち、」

 一瞬で禿頭の大男は動き出していた。

 一気に距離を詰め、肉薄。肩を突き出しての体当たりを叩き込もうとする。

「──甘ェよ」

 だが零二はそれに対応。何を思ったかその場で左足を踏み出す。

「ら、あああっっ」

 踏み込んだ瞬間、零二は左足へ焔を集約。強化コンクリートの地面を踏み砕き、砕け散ったコンクリートの破片が辺りにまき散る。

「ち、」

 藤原新敷の突進速度に狂いが生じる。目の前の破片は無視出来たものの、地面に亀裂が生じ、勢いを削がれる。

「しゃあっ」

 そこに零二が突っ込む。踏み砕いた勢いで相手へと逆に肉薄。勢いよく白く輝く拳を振るう。狙いは相手の左側。光を灯さない死角からの攻撃は狙い通りに向かっていく。

「ぬかせ小僧っっ」

 だが藤原新敷はそれすらも対応してみせる。向かって来る拳へ向けるかのように頭突きを返す。ガツンと鈍い音を立てながら拳と額が激突。

 禿頭の大男はその場に立ち尽くすのに対して零二は後ろへ飛び退く。

「へっ、マジで面倒くせェな」

 メキメキ、と軋みをあげた拳からは血が滴り落ちており、壊されているのが分かる。

「ふん、以前よりも随分と小賢しい。これが二年間の賜物といった所か?」

 一方の藤原新敷の方はと言えば、額に多少の赤い跡こそあるものの、ほぼ無傷。

「だが、やはりまだまだだな。貴様では俺を倒す事は出来ん」

 逆に今度は禿頭の大男が足を踏み込むと地面を砕いてみせる。

 その上で、顔位はあろうかという破片を蹴り上げると、狙いすました拳で一撃し粉砕。そうして吹き飛んだ無数の破片が零二へと向かっていく。

「へ、真似っこかよ──」

 さっきの藤原新敷同様に零二もまた躱すつもりは毛頭ない。

 焔の勢いを一瞬強めるだけで充分。実際、細かな破片は焔に触れた瞬間、燃え尽きていくのだが。そこへ破片を打ち抜き拳が突き込まれる。

「しゃああっ」

 零二はこう来る事を予期していた。目くらましからの一撃はこの禿頭の大男の得意技。それを嫌という程に身体に刻み込まれたのだから。

 白く輝く左足を小さく、だが凄まじい勢いで踏み出す。震脚の如し一歩の勢いを右拳へと乗せて放つ。


 ガン、という鈍い鈍器同士が衝突するかのような音が響く。


「ふん、少しはマシになってきたか小僧」

「るせェよクソハゲ」


 零二と藤原新敷は互いに拳を引くつもりはない。


 ここで拳を引けば、それは自分が劣っていると相手に喧伝する事に繋がるからだ。

 マイノリティ同士、イレギュラーのぶつかり合いに於いて精神的な要素は一見すると見落とされがちだが、一定以上の、両者の実力が拮抗するにつれ、その要素は重要になる。

 思い込み、と言ってしまえば身も蓋もないのだが、相手に対して優越感を持つのと逆に劣等感を持つのでは両者が激突した際に勝負に大いに影響を及ぼす事を、零二は誰よりも痛感していた。



 ◆◆◆



「く、あああっっ。くっそ」


 零二は全身から夥しい汗を滴らせながら力なく尻餅を付く。


「さて、そろそろ準備運動は終わりですかな、若?」


 一方で武藤家の執事であり後見人にして師匠でもある加藤秀二、秀じいは汗一つ、呼吸すら乱さず涼しい表情で手にした棒の先端を向けてくる。


 これは零二にとって武藤の実家での日常の光景。


 白い箱庭から出た零二は焔を封じた。

 だが、今の零二はWDを始めとした無数の権力者から賞金をかけられた身。熱操作のみならず自分自身の肉体を、身体能力を使えなければならない、という師匠の方針での能力だけでの訓練の渦中にあった。


「上等、いくぜ」

 立ち上がった零二は秀じいへ接近。寸前でしゃがみ込むとその場で素早く回転。右足払いを放つ。だが、秀じいはそれを自身の足を引き上げて躱す。

「なろっ」

 ならば、と零二はその場で左手を地面に付けると回転しながら右足を今度は相手の腰めがけて放つ。勢いよく放たれた蹴りは鋭さ、勢い共にかなりのモノであり今度こそ、と零二は思っており、蹴りは直撃するのだが。

「ふっ」

 空気を抜くかのような声で秀じいは蹴りを受けて横へ飛ぶ。

(今だ──!)

 ここが勝負のかけ所だと考えた零二が追い打ちをかけようとした時だった。

 目の前に棒が凄まじい勢いで横薙ぎに放たれ動きを止められる。そうして次の瞬間にはシャツの襟口を掴まれたかと思えばそのまま豪快に宙を舞っている。

「う、げっ」

 地面に落ちた零二はまたも自分の負けを認めざるを得ない。

「大丈夫ですかな若?」

 相手の差し出された手を掴むとゆっくりと身体を起こす。




「クッソ、また負けた。これで何敗目だよもう」


 コップに注がれたインカコーラを口にしながら、零二はボヤく。

 さっきまでのびしょ濡れが嘘のように既に汗は引いている。

 カラン、とコップに入った氷がもう溶けていくのは零二の体温の高さ故であろうか。


「いえいえ、お気になされず。若は呑み込みが早うございます」

「ンなコト言ったってさぁ、オレ負けっぱなしだぜ。むしろ前より何だか弱くなってねェか?」

「そのような事はありませんぞ。若は日々強くなっております。先程の手合わせとてあの蹴りを私に当てたではありませぬか」

「ってもなぁ、全っ然手応えがなかったワケだしさぁ」

「あれは当てた瞬間に全身の力を抜いたのです。そうして流れに逆らわずにいなす事で蹴りの衝撃を流したのです」

「ずっけェ。何だよソレ? あ~、ちっとも勝てる気がしねェよ」

「はっは」

「ハァ~」


 思わず盛大なため息が口をつく。

 戦えば戦う程に自分と目の前の老人との差の大きさを実感する。



 秀じいこと加藤秀二とはかつて裏社会にて名の知れた武侠だった。

 ”疾風迅雷”

 その名を耳にするだけで武術家のみならずその筋の連中までもが恐れをなして下がる程だったらしい。

 その高名と強さ故に日本の自衛隊や警視庁、果ては各国政府から教官職への要請は常にあったそうなのだがそのいずれも彼は断ったのだそう。

 かの武侠の目的は単に自分の強さを追求する事のみ。

 若い頃こそ血気盛んにあちこちで名を知らしめたそうだが、それも年を経て変化。

 極力揉め事には関わらず、静かに生活したかったのだそう。

 そんな彼を最終的に見初めて雇ったのが零二の父親だった先代の武藤家の主人である”武藤むとうげん”。

 豪快な性格の玄は秀じいの経歴を知った上でその人格を評価、迎え入れたのだそう。

 秀じいもまた、玄の人となりを気に入り今の立場に着いた。




「ふっふ、戦いに勝つにはどうすればいいと思いますか?」


 いくばくか後、秀じいは突然そう訊ねる。


「やぶからぼうな質問だな」

「若、お答え下さい」

「…………いかに相手よりも早く自分の攻撃を叩き込むか、かな」

 その単純極まる答えに後見人たる老執事は思わず、「はは、」と笑う。

「あ、ひっでェ。笑うなよ」


 零二は頬をぷく、と膨らませ抗議の視線を送る。


「いえいえ、若の答えはある意味正しいです。ですが常にそうなるとは限らない。

 例えばその立ち会いに際し、相手方の方が早ければそれで失敗です。

 それに互いの体調に寄っても変化は起こり得ます。相手方が絶好調なのに対し、こちらが負傷や病を得ているのでは────」


 秀じいはそれから数分間、零二を前に自身の経験なども含め、様々な事例を説明してみせた。

 それら様々な話を時に真面目に、時に砕けた調子で話す。

 零二は無自覚であったが秀じいは彼にとって初めての自分にとって身近な大人だった。

 九条羽鳥は恩人、という側面が強く、恩義こそ覚えてはいたが身近な存在だとは到底言えない。

 だが、加藤秀二は違う。彼は零二にとって初めて心を開ける大人だった。


 うつらうつら、と船を漕ぎ始める零二を見る秀じいの目には優しい光がたたえられている。

 とは言え、それを本人に見せはしないのだが。

 コホン、と大きめの咳払いを一つ入れると零二がビクッと目を覚ます。


「若、話を聞いてましたか?」

「え、ああ。ええ、と……悪い。聞き逃した」


 零二はバツの悪そうな表情を浮かべるとはは、と誤魔化すように笑う。

 それに対し一切表情を変えずに見つめる後見人。

 そして、零二がへたれるのに要した時間は、

「スイマセン。教えて下さいませ」

 約五秒だった。


「よろしい。では一つだけ覚えておいて下さいませ。戦いの要諦とは────」



 ◆◆◆



「へっ───」


 ミシミシ、と骨が軋みをあげていくのが零二には分かる。

 筋肉が骨が悲鳴をあげている。

 ギリギリの所で耐えているが、それもいつまで保つかは怪しい。

 拳と拳の押し合いは続く。


 これが単なる力比べであれば零二に勝機は一切なかった。


 仮に目の前にいる藤原新敷のイレギュラーが継続的、持続力の高いモノであればこの激突はもう既に終結していたに違いない。

 瞬間的に筋力の増強、という能力でなければ間違いなく零二はこうして対抗出来なかった。


「小僧…………」


 藤原新敷の表情には相手への明確な殺意と同時に怒りが満ち満ちている。

 彼にとってみればこの状況は望む展開であった。

 まずは互いの実力差を明確にする事。

 それさえ確立してしまえばこの対決の趨勢は決まる。

 そう、これまで同様に。



 そう、そして零二もまた分かっていた。

 目の前の相手が何を考えているかを。だからこそここで引く訳にはいかない。

 ここで引いてしまえば、それはこれまでと同様なのだから。

 脳裏に浮かぶのは秀じいの言葉。



 ──戦いの要諦とは先手・・を打つ事です。如何にして自分が相手よりも上なのかを理解させる事。そしてそれこそが若に対して藤原新敷なる男が過去に行った事なのです。

 自分の方が上なのだ、と様々な手段で刷り込んでいく事により若はかの人物に対して自分は劣るのだ、と思うようになる。

 幾度も言いましたがイレギュラーとは担い手の心根次第で大きく効力を変化させます。

 藤原新敷なる男が執拗なまでに若に対してそのような刷り込みをした、というのは裏を返さば実の所は自分と若との実力差はそう大きくない、という事なのです。

 だからこそ、もしも若がかの人物と再度対峙する機会があるのであればこれだけは肝に銘じて下さいませ。まずは先手を取るのだ、と。


 そう、その時とはまさに今。

 この場こそがその機会。


 この拳同士のぶつかり合い、押し合いとはそういうモノである。


「く、ぐぎぎ……」


 ミシミシ、という軋みが増していく。

 零二もまた爆発的に身体能力を引き上げる事が可能ではあるのだが、それは相手とて同じ。

 互いの持続時間がどの位なのか? また何処までが限界なのか? そういった読み合いをしながらの激突は想像以上に零二の神経をすり減らしていく。


(どうする? このままじゃ多分オレが根負けする)


 状況は零二に不利であった。

 イレギュラー云々以前の、互いの体格差、それに伴う筋力差は明々白々。

 実際、相手は表情こそ苛立ってはいるものの、まだ余裕を残しているのに対して、零二の方は今にも筋肉が断裂寸前。

 膠着状態はすぐにでも崩れるだろう。そしてそれは先手を相手に取られる、という事でもある。零二は劣等感に禿頭の大男は優越感を再確認。それは互いのイレギュラーの効力に影響を与え、勝敗は決するだろう。過去同様に零二の敗北として。これまでと異なるのは敗北は即ち死という事だろう。


(どうやら先に手の内を晒すのはオレってコトか──)


 望ましい展開とは言い難い。だが他に手段はない。


(どの道、これまでみたいになるのだけは避けなきゃだよな。なら──)


 勝負をかけると判断するや否やで零二が仕掛ける。


「──ンッッッッッ」


 息を吐き出しながら、全身から蒸気を噴出。身体能力を引き上げ──拳を押し出す。


「ぐ、ぬっ」


 藤原新敷は自分が押されるのを感じ取る。そしてそれは待ち望んだ展開。先に仕掛けさせてからこちらも仕掛ける。それでいい。

 ググ、と全身が押されるのを自覚する。零二からの圧力はみるみるうちに増大していく。


(確かに、以前よりも手応えはある──だがな)


 意識を集中──全身の筋力を引き上げる。その効果はすぐに発揮。脚に腕、胸部や背部に臀部。全ての筋肉がミシリ、とビルドアップ。押されていたのが嘘のように押し返していく。


「小僧、どうやら俺の勝ちだな──」


 見れば零二の腕からは血管が切れたらしく血が噴き出していくのが見える。これで勝負はあった。そう確信を抱きながら、相手を押し潰す勢いで筋力を更に引き上げていく。


「く、ぐぐあああああああ」


 零二の全身は限界を越えつつある。もとより力比べが不利なのは承知していた。そう、こうなるのは分かっていたのだ。


「ふん、潰れろ小僧ッッ」


 相手の表情にはさっきまでの苛立ちは何処へやら、優越感からだろう笑みが浮かび出す。そう、待っていた。この時を。


「────はああああああああああ」


 燃料は自分自身。一瞬だけ揺らめかせるのではなく、燃え続けさせる。

 長時間持続は不可能。だがある程度の時間であれば問題はない。


「なに、……これは?」


 状況が変化するのを藤原新敷は目の当たりにする。

 零二の全身が燃え上がっていく。僅かばかりの揺らめく程度ではなく文字通り全身を焔で包み込んでいく。淡い朱色の焔は橙色へ色を変えていき勢いを増していく。

 それと比例するかのようにさっきまで感じていたはずの優越感が崩れていく。押し潰す寸前だったはずの相手から反発が返ってくる。


「な、これは──」


 ミシミシと筋肉が軋みを、悲鳴をあげていくのが分かる。ブチブチ、と毛細血管が切れたらしく血が噴き出す。止まらない、止められない。相手の圧力が増大していく。抑えきれない。

 そして、拳から腕、肩口までの骨がメキッとした悲鳴をあげていき──相手の拳が顔面を直撃する。


「ぐ、がっっ」


 呻きと共に大男の身体は後ろへよろめく。鼻からは血が流れている。ズキン、とした激痛は鼻骨が砕けたからだろうか。

 信じ難かった。力負けした事が信じられない。

 そしてその動揺を見透かしたかのようにツンツン頭の不良少年は橙色の焔に身を包ませながら言う。


「どうだいオレの拳の味はさ?」


 先手を取ったのは零二だった。



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