探り合い
零二には相手の姿が見えていた。
とは言え、それは辛うじてではあったが。
それ程に凄まじい速度だった。
何かが迫っている? そう思った次の瞬間には目の前に手が伸びていて、自分が突き飛ばされていた。
身体能力を高めた自分でさえ、何が起きたかを完全に把握出来ていなかったのだ、美影には全く理解出来ていないだろう。
「らああああっっっ」
飛びかかりながら握った左拳を振り降ろす。狙いは相手の顔面。彼女の反応は遅い。美影に気を取られたからだろう。
唸りをあげる拳は相手の顔面を直撃──しない。躱されていた。それも顔を反らしただけの最低限の動作での回避。
逆に縁起祀からのカウンターで膝が襲いかかる。顎を砕こうとでもいう勢いで。
ゴオウッッ。
「なっっ?」
思わず縁起祀がたじろぐ。相手の顎に直撃するはずの膝が燃えた。いや、正確には相手に燃やされた。
着地した零二がそのままの姿勢で肩からぶつかっていく。
(チッ、見えてるよ――)
だが、彼女は丁度後ろへ下がっていたから反応が遅れる。膝に火を付けられた事で気を削がれ、零二の追撃に対応出来ていない。
更に、彼女の予想外に零二の速度も速かった。
自分程の速度ではない、だが速い。まるで弾丸の様な勢いだ。
縁起祀の足がようやく地面に着く。もう相手は目の前に迫っている。
メリメリッッ。
(うぐっっ)
鈍い感覚。零二の肩が自分の腹部へとめり込んでいた。強烈だった。弾丸どころではない、まるで鉄球、いや砲弾。
彼女には零二の”熱の壁”の様な防御手段は存在しない。一撃をマトモに受け……勢いよく後方へと吹き飛ぶ。
(手応えあり、だな)
零二は、飛んでいく縁起祀を見ながらそう確信していた。
だが、
本来であれば彼女の身体は倉庫の壁に叩き付けられているはず。
しかし彼女は激突する前に空中でクルリ、と一回転。壁に着地するそのままフワリ、と地面に降りた。それはまるでサーカスの様な軽業。
「その程度かい? 大した事ないね……フフ」
縁起祀は零二にそう言うと、ペッ、と口から血の混じった唾を吐く。膝の火も消えていた。そもそも熱の壁は相手を燃やすのが目的ではない。あくまでも零二の防御が主目的だ、ダメージがないのも仕方がない。無論、縁起祀がそんな事情を知るはずもないが。
軽く腹部を触れてみる。骨や内蔵に深刻なダメージは無さそうだった。自分から後方に飛んだからダメージも最小限で済んだ。
これならリカバーを使う事も無いだろう。軽くステップを刻む、問題はない。
「身軽なこった、……で、お猿さンかよアンタはッッッ」
零二は即座に向かっていく。時間はあまり残っていないだろう。
彼の脳裏には、少しでも速く決着を付けてもう一人の相手、怒羅美影と戦いを再開する事しかない。
(誰かは知らねェが遊ンでられねェンだよ、オレはさ)
躊躇はしない。右手を握りながら縁起祀へと肉迫する。
白く輝く拳が唸りをあげながら迫る。
(遅いよ、こんなの)
縁起祀はその攻撃を見て正直思った。
確かに零二も速い。速いが、それだけだ。自分には遠く及ばない。
さっきの肩からのぶちかましは不意を突かれたから思わず喰らったが、こうやって真っ正面から仕掛けてくる分には何の問題もない。
(あの手を受け止めてやろうか? それともカウンターで左を見舞うか?)
彼女にはどちらも可能だ。
何故なら彼女の速度は結果として自分以外の周囲をまるでコマ送りの様に感じさせるのだから。
ジャンケンで”後出し”をして負ける事など有り得ない。極々単純な答えだ。
ゴオオオッッッ。
そこに襲いかかったのは炎。
「おわっっ」「なっっ」
巨大な炎の壁が迫りつつあった二人を遮った。
「何しやがっう……おわっ」
零二が邪魔をした美影へと視線を向けた瞬間。炎の壁を避けながら飛び出した縁起祀が落ちていたであろう鉄パイプを握り締め──振りかぶった。
(おいおいマジかっ?)
その一振りは零二の想像を絶する速度で振り下ろされた。
零二が本能的に一歩下がっていた為だろう、振り下ろされた一撃は目測を誤り、零二を掠める形で地面に叩き付けられた。
ギィン、という鈍い金属音。
(躱された? 避けたのか?)
縁起祀は驚愕した。
あの速度とタイミングの一撃を。
さっきの一撃は一般人なら間違いなく即死だ。
彼女は人を殺した事はない。
あの躊躇いのない一振りも、相手がマイノリティだったから。
ましてや、目の前の相手はあの時、自分に違う世界がある事を教えてくれた人物だ。
彼女はそこで思い出す。あの時目にした破壊の痕を。
とても人間業ではないあの破壊。
マイノリティとて死ぬ、その事は彼女も”知っている”。
但し、マイノリティはその個体差が大きい。
縁起祀の場合は、優れているのはその速度。つまりは瞬発力。
圧倒的な身体のバネを活かしての見えない攻撃が身上だ。
だが、それ以外の部分、例えば耐久性については一般人からそう大して違いはない。リカバーという名の超回復能力を抜きにしての話ではあるが。
しかし、基本的には常人と変わらない耐久性の彼女にとっては零二の破壊的な攻撃も、火の海を作り出した美影の炎も双方がまさしく脅威でしかない。
リカバーにも限度がある事を彼女も知っている。
結局は、無敵でも不死身でもない自分がこの状況下で二人を出し抜くには真っ向勝負ではいけない。
(隙を見つけろ、化け物であってもコイツらだって元はわたしと同じ人間だ……必ず隙を見せるはず)
(思った以上に注意深いヤツね)
怒羅美影は乱入者の動きに軽く、小さくチッ、と舌打ちする。
さっきの炎の壁は美影が二人の動きを抑制する為に張ったもの。
美影とすればこの対峙を継続した方が有利に事が進むからだ。
腰の重いWG九頭龍支部も、これだけ派手な事態になってしまえば事態の収拾に動かざるを得ない。
WDも動くだろうが、何だかんだといって組織力で優るWGの方がこうした事態への対応能力は高い。
目の前にいる二人の内、美影にとって本当に厄介なのは、結局武藤零二だ。
あの乱入者は未だに何者かは判然としないが、ここまでの展開を見る限りでは大きな組織にいるとは思えない。
イレギュラーの系統は恐らくは肉体操作能力で、”超高速”に特化しているマイノリティだろう。
相手の動きはさっきからよく見えない。
その動きは間違いなく零二より速い。
ハッキリしているのは、つまりこの場で一番不利なのは一番遅い自分だ、という事。この状況下で美影が取るべきは、この三竦み状態の維持。一対一で正面からぶつかり合うよりも互いに睨み合う展開の方が都合がいいのだ。
(さて、お二人さんには悪いけど、ここは長期戦にするわよ)
美影は微笑を浮かべつつ、内心でほくそ笑む。
(チッ、こりゃやべェな)
零二は自分一番不利だと認識していた。
そもそも長期戦向きではない彼にとって、この睨み合い状態は歓迎出来るものではない。
思わず視線を美影へと向ける。
さっきの妨害は、間違いなく美影が意図的にこの状況を作り出す為の一手だろう。
(ったく、どうするよ?)
このままだと一番最初に脱落するのは自分だろう、それは分かっている。
一方で倒しやすいのは乱入者、つまり縁起祀だろう。
彼女は確かに手強いが、正直言うと、この場で一番厄介なのは美影で間違いない。その攻撃手段やその間合いこそ異なってはいたが、同系統のイレギュラーを扱う為だろうか、零二の攻撃を凌ぎ切っていた。あまり余力のない零二とは違い、彼女にはまだ何か隠し玉の一つや二つ位はあるのかも知れない。
(油断出来ねェヤツだ、ちぃとばっかマジぃぜ……コイツぁよ)
零二は自分に残された残量に思いを馳せ、小さく歯軋りした。
(ここにアイツらを連れてこなくて正解だった)
縁起祀は心からそう思った。
コイツらは二人共に普通じゃない。
本来であれば二人の激突の間隙を突いて、今頃は仲間達と帰路についているはずだった。だがこの二人は決定的な隙を見せずに、こうして状況は膠着しつつある。
(このままだとマズイ。時間をかけられない)
これ以上長引くと不確定要素が何か起きるかも知れないのだ。
それだけの価値がある物を、美影は今、手にしているのだから。
(仕掛けるか……)
そう縁起祀が思った瞬間、であった。
ボッ。
何かが発せられる音が耳に入った。
三人が共に音に気が付いた時には既に遅い。
爆発が三人の周囲を包み込む。
ここへ至り、更なる不確定要素がこの場を襲おうとしていた。