白い箱庭、第十階
「…………」
カツン。カツン、カツン。
甲高い足音だけがただ響き渡る。
錆び付いた螺旋階段を零二は無言で降りていく。
他の階へと繋がる階段とこの最下層となる地下十階へと繋がるそれは段数及びに埃っぽい空気も比べ物にならない位に重苦しい。
分かってはいた、そんなのは気のせいでしかないのだと。ここは二年も恐らくは無人であっただろう場所。その証拠とでも言えばいいのか、階段には零二以外の足跡や手摺にも誰の痕跡も伺えない。
(ま、クソハゲヤロウがエレベーターで降りたならまだ誰かいるかも知れねェけどな)
その可能性は低いだろう、と零二は半ば確信を抱いていた。
あの藤原新敷、という禿頭の大男の性格は知っている。
(あのヤロウは最低最悪な暴力男だけど、オレを倒すならテメェの手で、って思ってるハズだ。
さっきの二人はオレに対するちょっかいってトコだな。オレを焦らせようっていう)
無論、二年の間に何かしら変わった部分はあるだろう。
少なくとも二年前にはスーツ姿なんて想像も付かなかった。それに何よりも変わったのは……。
(あの傷の跡、アイツはそのままにしてやがったな)
その左目周辺に刻まれた傷。朧気ながらも覚えている。あの傷を付けたのは零二だと。
あの日。
最後の実験、だと聞かされ零二は自分が心から信じていた士藤要と対峙し敗れた。
零二、当時No.02であった少年にとってNo.09こと要を殺すなど考えも付かない事だった。
細かな事は覚えていない。ただ事実として零二は敗北を喫し、処分される所でイレギュラーが暴走。あらゆるモノを灼き尽くした。
──殺してやる、必ず殺してやるからな。小僧ッッッ。
時系列は思い出せないが、憎しみに満ち満ちた声をあげながら藤原新敷は倒れた。
これまで一度とて勝てた事にない相手に深手を負わせ、倒した、はずだ。
(だけど一体どうやってオレは勝てたンだ)
その時の事を思い出そうにもその都度、何か靄がかかったような感じと共に頭痛が生じて中断。
心配をした秀じいの勧めもあって医者に見せた事もあったが、明確な答えは出ない。
ただ考えられる、可能性として言われたのは、
──その時の出来事が幾つかの心的外傷となって刻みつけられたのではないでしょうか? それが複雑に絡み合う事で負荷を感じてしまう。無理に思い出そうとするよりも時間をかけてゆっくりと向き合っていく。それが一番の薬だと思います。
そう言われ、漠然とした不安を覚えた。
口にこそしなかったものの、一生治らないのではないのか、という考えが頭をよぎった。
先日、京都で零二はそうしたトラウマの一つの要因であった焔と向き合い、そうして使えるようになった。だが、それでも零二はあの日の事が思い出せない。
(いや、違う。思い出せないンじゃない。思い出したくないンじゃねェのか?)
そんな考えに至ると乱れていた心が不自然な程に落ち着く自分がいた。
何か、得体の知れないモノがあるのではないのか?
知ってはならない何かがまだあるのではないのか?
この階段を降りるにつれ、そんな考えばかりが脳内を占めていく。
「ったく、らしくねェよ。ねェよな」
そう呟くと両手で頬をパアン、と叩く。
ツン、とした痛みは一時的だろうがモヤモヤした気分を何処かへと追いやる。
そうして長い長い階段は終点を迎える。
パッ、と照明が灯る。どうやら電気系統はまだ生きているらしい。
この階は他の階よりもシンプルな構造になっていて、あるのは零二がいた部屋に士藤要の部屋、後は浴室と訓練室に経過観察室のみ。それぞれの広さが他とは全然異なっており、今にして思えば確かに待遇はマシだったのだろう、と思う。
「ま、関係ねェがよ」
勝手知ったる我が家、零二は自分にあてがわれた部屋のドアを開く。
ギシシ、と軋む蝶番の音。
「…………非常電源は無事か」
この部屋の電気もまたまだ生きているらしく主だった零二が入ったのを感知すると照明が点灯。
「二年前にぶっ壊れたと思ってたけど……」
今更ながらにこの施設が、より正確にはこの階が他の階とは完全に別枠扱いであるのだと実感する。
白い箱庭、という研究施設はそもそも零二のような存在を研究する為の場所であるのと同時にいざという時には一定期間以上立て籠もれる要塞でもある。外からの侵入に際し最後まで、この階だけは誰も近付けさせない。その為に用意されたのが一桁ないし二桁のナンバーを持った実験対象だと以前士藤要から聞かされた。
「………でも何だか妙な気分だな」
零二はその室内に何か妙な感覚を覚えた。自分の暮らした部屋だというのに何故か違和感を覚える。知っているはずの本棚、知っているはずのベッド、知っているはずの……。
「う、っ」
ゾワ、と背筋が震え、反射的に零二は部屋を出ていた。
「ああ、そうだ。こンなトコで時間を潰してる場合じゃねェ。行かなきゃ──」
そう言い聞かせるように零二はヨロヨロと歩き出す。心臓の鼓動が妙に大きく思えた。
壁に置いた手には普段ならかくはずのない汗が滲んでいて、ズルズル、と手形の線を引いていく。
「ふう、はぁ、」
歩きながら呼吸を整えるべく深呼吸をする。
何度も何度も繰り返す内に、徐々に荒かった呼吸も、高鳴っていた鼓動も落ち着いていく。
そうして通路を歩き続け、その先、階の一番奥にあるその場所が見える頃には平静さを取り戻していた。
「────」
思えば何回ここに足を運んだだろう、と零二は思う。
来る日も来る日も、そこで様々な訓練やイレギュラーの実験を繰り返した。
その広さは外に出るまでピンと来なかったが、サッカーコート程はあるだろう。
その一番奥に、相手はいた。
「ふん、随分と待たせるじゃないか小僧」
禿頭の大男が奥にいる。
サングラス越しでも威圧するようなその視線は気の弱い者なら卒倒する程に強烈。
何度となく叩きのめされた相手を恐れていないか、と問われればその答えは否、である。
零二は藤原新敷を恐れている。理性では克服したつもりだったが、本能までは克服出来てない。
「へっ、オレはアンタにゃ用事はねェけどどうしてもってコトなら考えてやらンでもない」
「ふん。ではまずはあの小娘を何とかするのだな。コントローラー」
その声を受けて猛烈な殺意が叩き付けられ、零二はその気配を察して上を見上げる。
それを待っていたかのように無数の火球が降り注ぐ。
まるで雨のように降り注ぐそれらを零二は躱そうとせず、その場に立ち尽くす。
パアッ、と室内が赤白く光り、猛烈な炎の渦を巻くのを見下ろした後、天井部から美影が静かに降り立つ。
「武藤零二────」
その声からは一切の感情の起伏は感じられない。
普通であればこれで終わってもおかしくない業火を淡々とした面持ちで観察している。
そんな中でブワ、と炎の中で変化が生じる。
炎の中を人影が平然とした歩みと共に歩いてくる。
まるで何もなかったかのようなその歩みと共に渦は消えていく。
天井へ向け白く輝く拳を突き出しそこにいるのは無論、
「へっ、だよな。まずはお前からだよ────ドラミちゃん。
オレとお前の決着がまずは先だよな」
不敵な笑みを浮かべる零二だった。
 




