藤原新敷──その1
「ふん、」
藤原新敷がドサッと室内に投げ出したのは美影。
彼女は意識を絶たれたままここまで運ばれた。
室内にある座席は禿頭の大男にはやや手狭らしく、座るのに少しばかり手間取る。
──いやいやお見事お見事。あの二人を寄せ付けもしないとは流石に藤原一族の中でも武闘派で鳴らす御仁ですです。
その耳朶に届くのはおべんちゃらをいうサポートプログラム。そう、道園獲耐の研究を手伝っていたのは枯れ木のような老科学者の組み上げたプログラムだった。
「今頃はあの研究施設も終わっているのだな?」
──それはそれは間違いなく寸分違わず、一切の痕跡もなく機材はクラッシュさせましたので。
「小僧が生き埋めになっては困るからな」
──はいはいご安心を。クリムゾンゼロは何者かに回収された模様ですので。
「ふん、そんな真似をする奴はそうはいない。大体の察しは付く。
一説では死亡したとされる九条羽鳥の生存をほぼ確信出来た。まぁそういう事だろう」
──ではでは何故にピースメーカーはその存在を明らかにしないのでしょうか?
「知らん。WD内部の揉め事ならば貴様の方が詳しいのではないのか?
それよりもこれであの小僧は間違いなくおびき寄せられるはずだ。その為にも……急げ。早く離陸しろ」
藤原新敷の声に応じるようにしてパラパラ、とした音がし始める。
この音は彼らが乗ったヘリコプターのローター音。
手際良く離陸するヘリから見えるのは天まで届かんとするかのような無数の超高層ビル群。
「ふん、くだらん街だ」
藤原新敷は九頭龍という街を嫌っている。
急発展を続けるこの経済特区、そしてその利権を享受して繁栄をする藤原一族自体をこの禿頭の大男は忌み嫌っている。
「だがいずれ俺が一族を掌握した暁には────」
微かではあったが口元を歪ませる。
そう、この禿頭の大男が嫌うのは、自分がこの繁栄を享受出来ないからであるからに過ぎない。彼がこの街から何の恩恵も受けていない事に対する苛立ちである。
(そうだ。俺に…………いや、俺の家がもっと一族の中枢にさえ近ければこんな下らぬ事に煩わされる事もなかったのだ)
彼の家は藤原一族の一員でこそあったが、血筋が薄れただの失態を犯しただのという理由で没落した一族の傍流の一つ。実際、彼が自身の血筋を知ったのは父親の死去に伴う様々な権利の相続によってであり、それまで暴力沙汰を幾度も起こした問題児でしかなかった。
もっとも実際にはそれは暴力沙汰、どころではなく一方的な暴虐、とでも言う方が正しい。
子供ながらに大柄で力も強かった彼は同年代からすれば圧倒的な存在だった。
◆
彼は十代に入った頃から自分の中にある衝動が高まっている事を自覚した。
それは何かを壊したい、という破壊衝動。その衝動が高まると何かを壊さずにいられなくなり、気付けば目の前のモノを壊していた。本人からすればただそれだけの事。
最初は学校や家屋の窓ガラスを割って紛らわせたものの、それも繰り返す内に何も感じなくなる。そうして気付けばその対象は徐々にエスカレートして、生き物に移っていく。
同級生を殴ってみた、気分がスッキリした。
──何でこんな事をするんですか?
そんな事を真面目ぶった面で言った教師を殴った。自分よりも目上の人間を殴るのは楽しかった。
(何でだと? 殴るのが楽しいからだよ。ぶっ壊すのが楽しいからだよ)
何でそんな事も周りは分からないのか、いつしか藤原新敷の精神は変質。暴力にまみれた人間に変わるまでそう時間はかからなかった。
──自分を律する事すら出来ない奴は家族ではない。
父親からは勘当同然に寄宿舎付きの学校に入れられたものの、最初こそ自分よりも強い存在に従いこそすれ、それも時間が経っていくにつれて彼自身が強くなった事で破綻。乱闘を起こして上級生を含む二十人に重傷を負わせて退学させられる。
(ああ、もっと何かを壊したい)
そう考えた藤原新敷は迷う事なく裏社会へ足を踏み入れる。
そうして周囲の犯罪組織に対してたった一人で対等に渡り合う一匹狼として、何よりもその暴虐性を恐れられ、一目置かれる存在になる。
そうして数年が経過、父親が死んだと知る。
そしてその遺産やら何やらの権利相続の書類の中にあったのが、藤原一族についての様々な記述。そこにあったのは藤原一族という存在が巨大な権力を持つ名家であり、自分の家もまたその一族の血筋である事。そして没落した理由は数代に渡り、その血筋に”異能者”が輩出されなかった事であると。
この頃になると、藤原新敷は自分がその異能者である事を自覚しており、ならば自分もまた藤原一族の一員として評価されるべきなのではないか、と認識。
そこで彼は藤原一族に直接談判。その結果として得たのが今の立場。藤原一族に於ける様々な汚れ仕事を受け持つ陰の存在である。
(確かに前よりは金もある。権限もそれなりには持ってはいる。だがまだだ、こんなものじゃない俺が欲しいのはな)
禿頭の大男は求める。より強大な権力を。そして何より大きな充足感を得る為に破壊を楽しみたい。
◆
パラパラ、と間断なくローターは回る。
軍の特殊部隊仕様のこのヘリは隠密性及びに速度に優れており、目的地であるあの研究施設の跡地にも間違いなく先行するはず。
「…………ふん、これで機会は得た」
藤原新敷は零二は間違いなく自分を追って来るはずだと確信を抱いていた。
本来であれば零二の処分はまだ時期尚早、それが彼の近くにいる老人達の意見。だからこの一件は藤原一族の意を汲んだのではなく、あくまでも藤原新敷個人の独断。
だがそれが何だと言うのか?
千年を越える歴史の中でこの一族の総意が一致した事などあっただろうか?
そんな事があったとは思えない。それが彼がこの行動を取った根拠。
「誰もが自身の利益を考え、そして成果を得る。一族全体の利益など付随するおまけに過ぎん」
そう、個人の利益を追求する事。WDが標榜する自由をこの一族はずっと昔から延々と行ってきたのだ。
(あの小僧は俺を激しく憎悪している、それに無自覚だったが──)
視線を移して倒れたままの美影を見る。
意識は途切れたまま、呼吸はその胸が上下している事から確認出来る。
「ともあれ、あの小僧を苦しめるのには役に立つだろう」
禿頭の大男にとって大事な事は一つ。
武藤零二、という存在を殺す事こそが因縁を絶つ唯一の方法だという事。
そしてその為にならどんなに卑劣と思われようとも構わない。
「だが、どうせならこの手で殺したいものだな」
くっく、と低い声を漏らしながら大男はヘリから見える景色を眺める。
いつの間にか目的地に近付いていた。
九頭龍からおよそ数百キロ離れたとある山中。
主立った交通機関は一切ない地図上では単なる山としか記載されない場所にそれは存在していた。
そこは長らく国有地であったのを藤原一族が数十年前に購入。
最初からそういう目論見だったかは分からないが、いつしかそこには研究施設が作られた。人里なら離れたその場所は世間の目を気にする事なく様々な実験を出来る場所だという事で徐々にその規模を拡大。そうして設立されたのが”白い箱庭”。今ではくすんで灰色になった廃墟である。
様々な研究者や研究のスポンサーなどの出迎える為に用意されたヘリポートにゆっくり降下していく。ちなみにこの山には普通には入る事は出来ない。何故ならここは特殊な場所なのだから。
今、こうして降りていけるのも禿頭の大男が首にかけている指輪の効果である。これがなければここに入るのは、少なくとも彼以外のヘリの操縦士や気絶したままの美影には不可能であろう。
「さて、折角用意した場所だ。死ぬまでに精々俺を楽しませろよ武藤零二」
大男はサングラスを外し、光を失った左目に手を添えると……独り笑うのだった。
 




