実験──加速
「くわばははは、いいぞいいぞ素晴らしい」
モニター越しで行われる戦闘と室内の機器が計測する様々なデータの羅列を前にして道園獲耐は充実感を覚えていた。
「どうかねコントローラー、素晴らしいだろぉっっ」
「はいはいドクター。これまでにないデータです」
枯れ木のように痩せ細った老人はその身を歓喜に震わせつつ、同時に美影のデータが気になるのか、しきりにモニターとデータを確認している。
「ドクター。どうどうされましたか?」
「ふうーむ、気になるよこれは至極気になるよ。見たまえNo.13のデータを。
これによると彼女は何かを隠している、……そうは思わないかね?」
「たしかにたしかに。過去のデータと比較しても容量が飛躍的に増えてます」
「そうなんだよ。確かに何年も経過すればある程度容量が増える、というのは有り得る話だ。
だが、彼女の場合それが数倍にもなっている。これは異常だよ。まるで、そうだね……」
「まるでまるでもう一人か二人分一緒になったかのよう、でしょうかドクター?」
「まさしく。これは気になるよ。ここに来てここまで興味深い実験対象は初めてだよ。そうは思わないかねコントローラー?」
「ではでは実験を中断しますか?」
「くわばははは、何を言ってるのだいコントローラー。実験は継続だよ。むしろ絶対防御の力を最大限にまで引き出させてみたくなったよ」
「よろよろしいのですか? 当初の予定では徐々に絶対防御の力を操作してNo.13のデータを余すことなく収集する予定でしたが」
「それは中止だねぇ。だってそうじゃないかね、No.13は想定を超える可能性を提示して見せたのだ。であるならば、こちらも手加減は無用だ」
「しかししかしそれでは絶対防御の方が勝ってしまうのではありまえせんか? 廃棄予定のモノとNo.13ではその保持する価値が釣り合いません」
「くわばはははは、確かにそうだ。絶対防御はもう実験し尽くした残りカス。翻ってNo.13は更なる可能性を秘めた原石。本来ならばここで潰すかも知れないような実験を行うのは愚の骨頂だとも云えるかも知れないねぇ。
……だがねぇ、どうやらもうあまり時間が残ってはいないのも事実なのだよ。見たまえ」
道園獲耐が指し示すモニターは監視カメラ。この秘密施設へと続く採掘場からの映像。
「クリムゾンゼロ、武藤零二ですか」
熱探知カメラは暗闇の中でもまさに昼同然の映像を送信してくる。足元のぬかるみに気を取られてるツンツン頭の不良少年の姿をハッキリとした形で。
「ううむ、いずれ招待する予定だったけども少々来るのが早過ぎるねぇ。ここの事を知っている者はそうはいまい。だとすれば誰が漏洩させたか、だねぇ」
「それはそれはあの恐らくは拷問趣向者の少年かと。彼は例の一族にも縁があったそうですし」
「まぁそれが妥当だろうさ。分かったかね? 時間がないという意味がねぇ?」
「ではではクリムゾンゼロの足止めは受け持ちます」
「ああ、頼むよ。私は今大事な実験の最中なのだからねぇ」
一人になった室内で、枯れ木のような老化学者は不気味に微笑むのだった。
◆◆◆
「はっ、ハッ」
激しい炎が巻き上がっていく。
実験室はちょっとした体育館位の大きさだが、その中を美影がひ走り回っている。
戦い始めてからかれこれ何発の火球を叩き込んだ事だろうか。
美影は相手の壁を把握すべく仕掛け続ける。
そうして一つの結論がまとまっていた。
(この壁は半端じゃなく堅い。それから多分だけど……)
僅かなではあったが美影は見逃さない。
絶対防御、の間合いが変化している事を。
その変化は数十センチ位。走り回っている美影には普通であれば判断するのは困難なはず。しかし美影はただ無闇やたらと火球を放っていた訳ではない。
美影は無数の火球を放ちつつ、冷静に相手の間合いを探っていたのだ。絶対防御という見えない壁に阻まれる炎はそのまま消えたが、幾つかの火球は壁に届かず、或いは外れて地面へ落ちる。その炎こそが美影にとっては大事だった。あのくすぶっている炎は目安。相手との距離感を把握する為の目印だったのだ。
もっともこれを実行出来るのも、並外れた容量を持つ美影だからこそ可能な戦術であり、並みのマイノリティではとてもじゃないがそれだけの無駄弾を打つような事は出来ないであろうが。
「激怒の槍ッッッ」
間合いを潰そうと接近を試みる相手へ美影は自身の十八番である炎の槍を放つ。
バアン、という轟音と共に激しい炎が巻き上がる。
まるでダイナマイトかなにかの爆発とも思える爆炎は普通ならばこれで決着だと思える程に激しい。
「くっ」
咄嗟に美影が横へと飛び退くとそこへ無傷の椚剛が突っ込んできた。
「クギャアアアアアッッッ」
悲鳴なのか雄叫びなのか判別出来ない声をあげつつ、足を踏み下ろし地面を踏み砕く。そうして飛び散っていく破片を壁で弾き飛ばす。
「つっっ」
まるで散弾のような無数の破片が美影を襲う。美影は全身から炎を吹き出し加速するも全弾躱す事は叶わず、その手足からは血が滴り落ちる。
「くはあああああああ、ううっ」
歓喜なのかそれとも悲痛な叫びなのかわからない声をあげ、ブルッと椚剛はその身を打ち震わせる。
その間に美影は自分の負った傷を確認する。結果として無数の傷はどれも深手には至らずリカバーの効果で破片は押し出され、傷はもう塞がりつつある。
しかし美影の表情は険しい。手で足についた汚れを払いながら考える。
(見えない壁による防御とそれを用いた攻撃の両立。ホント無駄のないイレギュラーね)
美影だが目視にて距離感を測った訳ではない。炎の発する熱で位置を把握している。肌で熱源を察知している訳だがこういった事が使い物になるレベルで可能になったのはつい最近。それまでは熱源感知は得意ではなかった。そしてキッカケとなった出来事には思い当たる節がある。
(やっぱりあの時から妙な感じ)
美影は先だっての任務である男と戦った。
その名は摩周。自らを魔術師だと述べた怪人物。
その魔術だと称する能力を前にして圧倒的に不利な状況下に追い込まれた美影は、その際これまでになかったイレギュラーの派生に目覚める。
その戦闘を境に美影は氷雪能力も使えるようになった。
一般的に炎熱操作能力とは全くの正反対であるこの能力だが、実の所、熱操作、という意味ではこれらは同じ類のイレギュラーだとされる。
つまりは炎にせよ氷雪にせよ熱の上下によって起こる事象であり、炎熱を担えるならば同時に氷雪も担う事は可能なのだ。
だが、両方を扱えるというのはあくまでも扱える、というだけの事。
例えば炎熱を得手とするのならば、そのマイノリティは氷雪は不得手。
逆に氷雪を得手とするのならば、炎熱が不得手。それが一般的であり常識であった。
考えてみれば簡単な話で、マイノリティのイレギュラーを扱う容量が100%あったとしてそれを分割すればそれだけ能力の精度や威力は低下する。
炎熱と氷雪とでは同じ系統に連なる能力ではあるが、その属性は真逆。相反する能力であり、容量を上手く分割するのは困難。だからWGにせよWDであっても訓練の過程でそのマイノリティが炎熱か氷雪のどちらが得手なのかを調べた後、不得手の能力は訓練させないのが不文律だった。
容量を無駄なく使う為に不得手な能力は捨てて得意な能力だけを訓練させる。それは確かに効率を考えれば当たり前の事であり、実際美影もそれは正しい事だとも思ってもいた。
(だけどあの時以来、アタシは氷雪能力を使えるようになった。それも当たり前みたいに)
美影が意識せずとも氷雪能力の精度は日々上がっていく。かと言って炎熱能力には何の支障も来さない。これは通常ならば有り得ない事だった。
ある日その事で不安を覚えた美影は訓練を手伝ってくれる家門にそれを吐露した。
──あなたが普通じゃないだけなのかもね。
そう一言で言われ美影は苦笑した。
あまりにも簡単にそう言われたのが妙に面白かった。そもそもマイノリティっていう段階でもう一般社会からは逸脱し、普通なのではないのを思い出したのだ。
「あぐうううううころぉぉすうううう」
殺意をさらけ出し椚剛は再度突進を試みる。自分自身を弾丸のように扱うその戦法は単純明快。
(普通なら馬鹿の一つ覚えっていうトコだけど)
舌噛みしたい気分になる。自分自身を不可視にして最強の盾で覆った相手を食い止めるのは極めて困難。何せ止めようにも生半可な攻撃が一切通じないのだから。
実際、自分の十八番ですら通じなかった。以前であればもう打つ手はなくなっていたに違いない。
「く、っ」
舌打ちしながら弾丸を避ける。絶対の壁をまとったソレは弾丸、というよりは鉄球、或いは砲弾といった表現の方が正しいだろうか。
「つう゛、つぶれろおおおおおお」
正気を失った怪物と成り果てた椚剛は止まる気配もなく突進をかけてくる。
しかもその速度は徐々に上がっていく。
(壁とかにめり込む直前で弾き飛んで来てる?)
それは椚剛が障害物にぶつかる寸前で壁を操作して自身を反射させている、という事。
そしてその都度速度は上がるーー加速していく。このままではいずれ自分が躱せなくなる事を美影は理解した。
「ぎゃっはははははあああああ」
絶叫とも歓喜とも分からない雄叫び。
椚剛自身がこれを行っている訳ではない。今や彼を動かすのは”ペルソナ”。戦闘補助プログラムにより彼の身体は動かされていた。
モニター越しの光景に老化学者は満面の笑みを浮かべる。
「素晴らしい。ペルソナによって絶対防御はこれまで出来得なかった精微な能力操作を行っている。
まさしくこれだ、理性を失ったフリークをペルソナによって制御。これこそが私の目指すモノだ、くわばははははは!」
哄笑が轟く。
「くううううう、」
美影の肩を砲弾がかすめる。
ズキン、とした鈍痛は骨折を想起させる。
椚剛、否ペルソナによって動かされるフリークは徐々にその動きを鋭くしていく。攻撃パターンも端的にう言えば何の捻りもなかった単なる突進から腕を振りかぶっての壁を用いた殴打に切り替わっていく。ただでさえ間合いを測りにくい相手の積極的な攻勢を前に美影は少しずつ、だが確実に追い込まれていく。
「あ、ぐぅ」
呻き声をあげる。躱したと思っていた攻撃が届いた。
(壁の間合いが伸びた、さっきよりもずっと)
予め余裕を持って躱したつもりでも通じない。今や部屋中にある炎の揺らめきでも見切れない程の速度で壁が伸びている。
「おまえおまえだクソガキ、むとううううううれいじいいいいいっっ」
「ハァ?」
椚剛の叫びを受け、美影の表情は一変。
「何よアンタ。あのバカに負けたってワケ?」
そう理解した瞬間に、何かがざわめくような感覚を覚える。
「おまえだけはあああああ」
椚剛は歯を剥き出しにし、絶叫しながら加速をかける。
これまでで最速の突進。これを躱すのは不可能だと思える速度。
「くわばははは、さぁどうするねNo.13? そのまま何も抗せず死んでしまうのかね?」
実験という名の殺し合いを見つめながら枯れ木のような老化学者は口元を歪めるのだった。




